「新宿二丁目」をご存じだろうか。東京の繁華街・新宿の東側に位置し、靖国通りと甲州街道、御苑大通りに囲まれた東西約300m、南北約350mの区画の中に、300をはるかに超えるゲイバーと、女装系、レズビアン系バーがひしめき合うエリアである。

 ここは、いわゆる“二丁目”と呼ばれ、全国、いや最近では世界各国から多くの人が集まる“LGBTの聖地”とも呼ばれている。ちなみにLGBTとは、「レズビアン/女性同性愛者」、「ゲイ/男性同性愛者」、「バイセクシュアル/両性愛者」、「トランスジェンダー/性別越境者」の頭文字をとったセクシャル・マイノリティー(性的少数者)の総称である。

現在の新宿二丁目ができた背景

 この街で、バー『A Day In The Life』を経営するマスターが、その名も『新宿二丁目』という本を著した。

「二丁目がどうやって生まれてきたのか知ってほしかった。なんでこの街がこんなに個性的で面白い街になったのか。世界的にもほかにない特別な街なんです」

 そう語るのは、著者で評論家、小説家としても活躍する伏見憲明さんだ。

 この特殊な街、二丁目はなぜ生まれてきたのか。

 本書によると、

《新宿二丁目は、江戸時代には内藤新宿の宿場町の中心で、四谷大木戸から追分(現在の新宿三丁目交番付近)にかけて甲州街道沿いにあった妓楼(遊女をおき客を遊ばせる店)は人気を集めた。明治になってもそれは続き、大正期には、街道に点在していた妓楼が「新宿遊郭」として現在の二丁目の一ヶ所に集められ、大いに栄えた。第二次世界大戦の前後にも、赤線・青線の色街として男たちの足を盛んに誘った。しかし、1957年(昭和32年)売春防止法が施行されると、灯の消えた街に、今度は男性同性愛者たちが進出してくる──》

 こうして現在の二丁目が誕生していったのだ。

「もともと遊郭があったような性的な場所。ある評論家がこの街には“荒い淫風”という空気感があると表現しました。それが、二丁目にゲイたちを呼び寄せたのかもしれませんね」

 伏見さんが初めて二丁目に足を踏み入れたのは、1981年、高校3年生の夏休みだった。

「自分にそういう傾向があるのがわかったのは、高校生になってから。週刊誌の記事で二丁目にゲイ・ディスコなんていうのがあるのを知って、親が旅行でいない夜を見計らって恐る恐る来てみました。身元がバレないように生徒手帳は家に置いて。そのディスコの中は、若者たちであふれんばかりの盛り上がりでした」

 以来40年、二丁目に通いだし、6年前に自分の店をオープンさせたのだ。