8月24、25日に放送された『24時間テレビ』(日本テレビ系)は大好評だった。

「メインパーソナリティーを嵐が、総合司会をフリーアナウンサーの羽鳥慎一さんと日テレの水ト麻美アナが務めました。嵐はグループとしては最多となる5回目の出演となりましたね。平均視聴率は16・5%と、昨年より1・3%上昇しました」(スポーツ紙記者)

 '13年以来6年ぶりの出演となった番組の舞台裏では“5人らしさ”を発揮していた。

 松本潤はカメラに映っていないところで、誰よりも機敏に動いていたという。

コンサートで演出を担当していることもあって、CMの合間に次のセットを準備する際に、スタッフに“このピアノはもう少しこっちのほうがいい”など、細かい指示を出していました」(制作会社関係者)

 櫻井翔はどんなときもゲストへの気遣いを忘れない。

「'08年に番組の企画で共演した難病を患う男の子が、11年ぶりにサプライズでスタジオに登場しました。久しぶりの再会がよほどうれしかったのか、櫻井さんは何度も“来てくれてありがとう”と労っていました」(同・制作会社関係者)

 周りをよく見る彼は、スタッフからの信頼も厚かった。

番組の進行に関する全体的な指示を受けていたみたいで、スタッフと話した後に彼がほかのメンバーや出演者に指示を出していたそうです」(同・制作会社関係者)

 ムードメーカーの相葉雅紀は会場を沸かせる場面もあったが、こんな地道な努力も。

空手やテニス、新体操の選手と一緒にアートとスポーツを融合させたライブパフォーマンスを19人のアスリートと披露しました。相葉さんは本番が始まる前も、ひとりで脇のほうで練習していましたよ。番組が始まる24日には、朝からジムに行って自分なりに精神統一までしていたそうです」(日本テレビ関係者)

15年前では考えられない“指示出し”

 メンバー同士の固い絆を感じさせる場面もあった。

「櫻井さんは、半身まひになった女の子とピアノに挑戦する企画を担当したのですが、演奏が終わると二宮和也さんが感極まったのか、テレビに映らないよう涙を流していましたよ」(同・日本テレビ関係者)

 嵐が初めて『24時間テレビ』のメインを務めたのは、デビューから5年後の'04年のことだった。

「アテネ五輪が行われた年で、世間はオリンピック一色でした。そのため、当時の日テレ内では、“視聴率も取れないだろうから、知名度のあるジャニーズのタレントを起用して傷をつけたくない”という声があり、当時はまだ今のように人気のなかった嵐にオファーしたという話もありました」(芸能プロ関係者)

 嵐だけではインパクトに欠けるという判断で、スペシャルサポーターに東山紀之も起用された。

「視聴率は11・7%と、低い数字でした。初めての大役に喜んでいたそうですが、苦い結果に胸中は複雑だったでしょう。当時、相葉さんがメンバーに向けて読み上げた手紙で“トップになりたいって夢、絶対叶えようね”という言葉がありましたが、そんな悔しい思いもあったのかもしれません」(同・芸能プロ関係者)

 その後、多くの経験を積んだ5人は今回の放送中に大きく成長した姿を見せた。

「15年前は終始、緊張していて進行をこなすのが精いっぱいという印象でした。今年はひとりひとりただこなすのではなくゲストやスタッフが気持ちよく番組を終えられるよう気遣っていました。スタッフにも指示を出すなんて昔は考えられませんでしたよ」(前出・日本テレビ関係者)