「春馬君は4歳で子役として劇団に所属し、7歳でNHK朝ドラで俳優デビューしました。今年で“芸歴”26年周年を迎えて、ちょうど30歳になったばかり。俳優としてこれからという時だけに残念な思いでいっぱいですが、積み重ねてきた芸歴と彼が求める俳優像が重荷になっていたのかもしれません」(芸能プロ関係者)

 思いもよらない訃報だった。7月18日、自宅マンション内で俳優の三浦春馬さんが首をつっているのが見つかり、搬送先の病院で死亡が確認された。自殺と見られている。

 1997年のNHK朝ドラ『あぐり』でデビューした三浦さんは、その後も子役としてドラマや映画に出演。2006年には『アンフェア』(フジテレビ系)や『14才の母』(日本テレビ系)と話題作に出演すると、次第に俳優として認知されるように。

「彼を一躍スターダムにのし上げたのが、2008年の初主演ドラマ『ブラッディ・マンデイ』(TBS系)でした。クールで知的な天才ハッカーの高校生役がハマり役で、イケメン俳優の筆頭に躍り出たのです。しかし、真面目でストイックな春馬君は、世間の評価に不満を持っていたようです。長らく芸歴を積み重ねてきた彼は、イケメン俳優と括られることに不満を抱いていたと言います」(テレビ誌編集者)

三浦さんが「命をかけた作品」

 当時の彼は18歳。しかし、真剣に俳優業に打ち込んできた彼にとって、その演技を評価してほしい思いだったのかもしれない。そして彼が“イケメン俳優”からの脱却を図ったのが2014年の『僕がいた時間』(フジテレビ系)だ。

「特定疾患である筋萎縮性側索硬化症(ALS)を患う青年という難しい役どころでした。役作りでは、食事制限で体重を落としていったのですが、すると心のバランスを崩していく。この疾患は、筋肉が次第に動かなくなっていく症状ですから、減量するにも運動すらできないのです。春馬君も役に没頭するタイプですから、神経をすり減らしていたと聞きます。

 俳優として今までとは違う自分を見せたいと話していただけに、まさに俳優生命をかけたドラマだったというわけです。難役を演じるためにALSについても熱心に勉強するなど、“生きることの大切さ”を訴えていただけに残念です」(前出・芸能プロ関係者)

 同ドラマの最終回では「死にたくない、助けて!」と、心から言葉を発した主人公。三浦さんは思いとどまることはできなかったのだろうか。