11月22日、映画『トイ・ストーリー』が劇場公開されて25年を迎える。コンピューターアニメーションとしては世界初の劇場用長編映画で、世界中で大ヒットを記録。その後、続編が作られ、昨年6月にはシリーズ4作目の『トイ・ストーリー4』が公開された。トイ・ストーリーは、コンピューターアニメーションの新時代を切り開いた作品として、映画史にその名を刻んでいる。 

 トイ・ストーリーを生んだのが、当時はCG(コンピューター・グラフィックス)のソフト会社にすぎなかったピクサーだ。ピクサーはその後も『モンスターズ・インク』や『ファインディング・ニモ』『カーズ』などヒット作を連発、世界有数のアニメーションスタジオに変貌した。2006年にはウォルト・ディズニー・カンパニーの完全子会社となり、ディズニーに欠かせない主要ブランドの1つになった。 

 こうしたピクサーの変貌を、当事者の1人として体験してきた日本人がいる。小西園子さん。アメリカの大学を卒業後、1994年にピクサーに入社。トイ・ストーリーの制作にかかわり、ピクサーの黎明期を知る1人だ。 

 小西さんから見た、ピクサーの変わったこと、そして変わらないこととは。トイ・ストーリー25周年とともに、ピクサーでの25年を振り返ってもらった。

前例のない挑戦だった

当記事は「東洋経済オンライン」(運営:東洋経済新報社)の提供記事です

――入社当時のことを教えてください。

 私が入社したときは本当に小所帯で、コアの社員は10人ぐらいでした。エド(キャットムル・ピクサー前社長)をはじめ、シニアレベルは博士号を持っている人ばかり。教えてもらうことだらけで、まるで学校のようでした。

 入社時はジュニア・テクニカル・ディレクターという肩書。要は何でも屋さんです。レイアウト、ライティング、CGのバグの改善、アニメーション以外は何でもやりました。途中でストーリーもいろいろ変わったりして。もう夢中でしたね。

 前例のない挑戦でした。スケジュールも、どうやって人を動かすかも、何も決まっていない。コンピューターの容量がどれぐらい必要かもわからなかった。スタートアップ企業が長編映画を作っていたわけですから。

 トイ・ストーリーができたとき、実感はありませんでした。打ち上げパーティーではじめて大きなスクリーンで見たときは、感動というよりも、どうやってここまで作ってきたのかなって。これまでのことや、つらかったことばかり思い出していた気がします。

 映画が公開(1995年)されて、周りから大きな反響をもらいました。その時にはじめて、「すごい映画なんだ」と思いました。歴史に残る映画に参加できたんだとそのときはじめて感じました。