社会問題を風刺する漫才で注目されるお笑いコンビ『ウーマンラッシュアワー』の村本大輔(むらもと・だいすけ)さん(40)。お笑い番組『THE MANZAI』(フジテレビ系)では、ネタで原発問題に触れて大きな反響を呼んだ。村本さんはここ数年、日本のお笑い界やテレビ界とは距離をおいてきたが、最近では“アメリカで勝負したい”と思うようになったという。その狙いは、いったい何なのか。YouTube『たかまつななチャンネル』の生対談で、忖度(そんたく)なし・タブーなしの心境をたっぷり語ってもらった。

お笑いに救われてここまでこられた

 福井県のおおい町で生まれた村本さん。中学校での成績は学年ビリで、両親の仲も悪く、当時は自分の価値が見いだせなかったという。

「いつも怒鳴り声が聞こえてくる家庭で。それに俺は勉強もスポーツもできないし、友達もいなかった。真っ暗な部屋のなかで、生きる意味がわからないというか、手ごたえがない日々を送っていたわけよ。そんなとき、テレビで(明石家)さんまさんとか、ダウンタウンさんとかがブワーッと(お笑いを)やっているのを見て、涙を流して思いっきり笑ったら救われたんです。いろいろ悩んでいることがどうでもよくなって、楽になれたのよね。そこで“お笑いの世界に入ろう、自分もあのなかに行きたい”と思いました」

 その後、水産高等学校に入学し、サッカー部に入部。上手だった村本さんが1年生でレギュラーになりかけると、それが鼻についたのか、先輩たちからいじめられた。

“お前は汗臭いからクサオだ”とか“カス、死ね”みたいな悪口を言われることがずっと続いて、サッカーボールも回ってこなくなりました。同級生も先輩のほうにつくし、学校に行くのがすごく嫌で。でも、そのころ中学生の弟が、修学旅行中に奈良で買ってきた木刀をベッドの下に置いていたのよ。

 ある朝、俺はそれをゴミ袋に隠して電車に持ち込み、例の先輩たちが使う駅の駐輪場に潜(ひそ)んで、彼らが来た瞬間に後ろから木刀で殴りかかった。それで“お前ら今まで、俺に嫌なことばっかり言って”、“次に同じようなことしたら、知らんからな”みたいなことを言ったら、先輩が“すみません”って。その翌日からは一切、嫌なことを言われなくなりましたね

 だが、直接的ないじめがなくなったかわりに「あいつは暴力的だ」と言いふらされ、学校では孤立した。

「つらかったけれど、“やられたら絶対に倍返ししてやる”という気持ちがどこかにあった。お笑い芸人になった今は、嫌なことがあったら全部、舞台の上でやってやる、という思いがあります。お笑いっていうのは、弱い人間にとって唯一の武器というか。だから、だいたい子どものときにいじめられたやつが、見返すためにやったりする」

 お笑いの世界に入ってから、芸人として芽が出るまでには時間がかかり、コンビを組んでは解散して、を繰り返した。結果、10人が村本さんのもとを去った。

「28歳のときに父親から、“原発関係の人と知り合いだから、給料のいい発電所で働かせてやる”と電話がかかってきたんです。(現在の相方である)中川パラダイスが最後に組んでくれて、“3か月で『M-1グランプリ』(テレビ朝日系)の準決勝まで進めなかったら解散しよう”って伝えて漫才をやったんだけど、期限までに準決勝にいけたのよ。それで、原発の仕事は断った。

 そのあと、漫才を見た島田紳助師匠が連絡をくれて、いろいろな番組でも名前を出してくれたので、世に出られる機会が増えた。『踊る!さんま御殿!!』(日本テレビ系)に出演したときに、さんまさんから“村本どう?”って指し棒を向けられたのね。その瞬間に、“あれ、中学生のころに見ていた指し棒の先に、俺がいるぞ”と。あの喜びったら。感動したし、そのときに改めて“自分を救ってくれたのはお笑いだ”と気づいた。漫才とネタのおかげで世に出て生活ができて、親も安心させられて。自分というものが誰かに認められたような感覚があったの