活躍する場所は違うけれど、どちらも1994年生まれで東北出身。大谷が野球を始めたのは、小学校2年生のとき。指導したのは、彼が小学校卒業まで所属していた『水沢リトル』の浅利昭治さんだった。

(1)始まりの地、東北

「翔平は自分の小学校にある軟式野球のスポーツ少年団ではなく、硬式の水沢を選んだんです。“ここには友達がいないけどいいの?”と聞いたら“大丈夫です。僕は硬式がやりたい!”と。丸刈りでヒョロッとした普通の子だったけど、根性がありましたね」

 それから5年間、一度も練習を休まなかったという。

「指導を受けると、次の練習までに改善してくる子でした。キャッチボールひとつとっても、回転を意識したりして1球も無駄にしない。普通の小学生じゃなかなかできないことですよ。プレーはずば抜けていたけど、偉ぶることなくチームメートと仲よくふざけていました」(浅利さん)

 一方、羽生がフィギュアスケートを始めたのは4歳。小2から小6までの間は、都築章一郎コーチが指導した。

幼いころに喘息だったので、治すためにとお姉さんと一緒に通い始めました練習中は高い集中力を発揮するタイプで、納得するまで徹底的にやるんです。自分のスケートに対して貪欲というか、研究心のあるお子さんでした。現在の彼のストイックさは、当時から変わらないですね。身体的なことだけでなく、芸術的・音楽的なセンスも持ち合わせていて、将来が楽しみだと感じていました」

 仙台の同じリンクにはオリンピックで活躍した本田武史や荒川静香がいて、“自分も世界で戦える選手になる!”と思うようになっていった。

彼は仙台の街をとても愛してるんですよ。震災の経験も大きく、厳しいことをたくさん経験したのが、とても大きなエネルギーになっているんじゃないでしょうか。だから、日本を離れて海外に行くことには抵抗があった。でも、スケートを磨くためには必要だということで、私を含むみんなが背中を押したんです」(都築コーチ)

 同じ東北でキャリアをスタートさせた大谷と羽生。両者ともに、当時の恩師も絶賛する特別な存在だった。