'88年7月、映画の試写会での一幕。信子さまにすがりつく娘ふたりの姿に笑顔の寬仁さま
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 '08年には『ストレス性ぜんそく』の診断で1年近くご入院。退院後、信子さまが戻られた先は、家族の待つ住まいではなく、千代田区内にある旧宮内庁長官公邸だった。

「療養を目的として“完全別居”になりました。彬子さまと瑶子さまは、病気の父を置き去りにした信子さまが許せなかったといいます」

三笠宮家の次の当主はどなたに

 彬子さまが'15年6月に『文藝春秋』に寄せられた手記には、療養を機に母娘関係は破綻したことが綴られている。

《母は父の生前である十年ほど前から病気療養という理由で私たちとは別居され、その間、皇族としての公務は休まれていた。私自身も十年以上きちんと話をすることができていない》─

 信子さまのご心労のもとは、寛仁さまのDVとアルコール依存だったと囁かれている。

「'07年にアルコール依存症であることを告白した寛仁さまは、若いころから酒浸りの日々。“自己顕示欲が強い”といわれる信子さまとの歯車がかみ合わない際には、飲酒や暴力に走られたのです」

 夫婦の溝は埋まらなかった。

「寛仁さまの逝去直前、信子さまは病院を訪問しましたが、お見舞いは拒否されてしまいました。ご臨終の際もお別れの儀式もご夫妻の対面はかなわなかった……。寛仁さまの遺志により、葬儀の喪主は彬子さまが務められました」(前出・記者)

 逝去から約1年後、寛仁さまの父・三笠宮崇仁さまが当主を務める“本家”に、信子さま、彬子さまと瑶子さまが入られた。

「そのころから、信子さまの活動が、にわかにご活発に……。国民への説明や三笠宮さまへの挨拶がないまま、公務を再開した母に対し、娘2人は不信感を募らせ、確執は深まりました」(同・記者)

 '16年11月に亡くなった崇仁さまの葬儀に信子さまの姿はなく、事実上の“破門”だとも報じられた。そうしたトラブルを一手に引き受けてこられたのが、6月4日に99歳を迎えられた百合子さま。

「現在、三笠宮家の当主を務めていますが、“当主の座”をどなたに引き継ぐべきか、思い悩まれているとお見受けします」(宮内庁関係者)

 ご一家に関連する行事では、ご高齢の百合子さまに代わって彬子さまがお役目を果たされることが多い。

「百合子さまはかねて、彬子さまを“次の当主”に指名したいという思いが強い。白寿の誕生日写真は、彬子さまと歓談するツーショットで“彼女へバトンを託す”と言わんばかりに信頼関係をアピールされた印象を受けました」(前出・ジャーナリスト)