「義父母、両親、夫の親戚……葬儀はすべて私が手配し、裏で取り仕切りました。私がやらなければ何も進まないから、責任を感じてもいました。でもね、あるとき親戚の誰かが言うのが聞こえてきたんですよ、“あそこのお嫁さん、女中みたいよね”って」

 佐野さんの胸に「これからの時間は、自分の人生のために使いたい」という願望が生まれた瞬間だった。それは日に日に大きくなり、やがて熟年離婚を決意する。このとき、45歳。熟年離婚というにはまだ若いが、夫は65歳だった。また佐野さん自身、早くに年の差婚をしたことで、一般的には40~60代に経験するライフイベントをすべて終えたと感じ、この先の人生を熟年期とみなしていた。

「看取るべき人を看取り、巣立つ子どもを見送れたこと自体はとてもありがたいと思っています。でも、夫は親戚が多く、この先、介護が必要になる人がまだまだいました。夫自身もそのうち動けなくなるでしょう。そう考えると、このタイミングしかなかったんです。私にまだエネルギーが残っているうちに離婚しよう、と」

資金はパートで貯めた150万円

 財産分与はいらない、障害のある子はこの先も自分ひとりで面倒を見ていくという条件を提示したところ、夫はすんなり離婚を承諾し、そこから佐野さんの“第2の人生”が始まった。ひとり暮らしの資金は、看護助手のパートで貯めた約150万円。

「幸い、住むところは安く見つかりましたが、家電から何からそろえるとなると、その程度の蓄えはすぐに消えました。ぜいたくをしたいわけではなかったのですが、毎日パートに出てもお給料は月12万~13万円。カツカツの生活です。ほかにもっとおカネをいただけるお仕事があればよかったのですが……」

 介護、看護、子育て、障害児の世話……佐野さんは人生の半分以上、人のケアに専念してきたが、これは履歴書上は「何もしていない」と同じことになる。45歳で職歴がなければ、仕事を探すのは困難を極める。それゆえ看護助手の仕事を続けていたが、食べるものにも困る状態に陥るまで多くの時間はかからなかった。

「家にある食糧が、パン粉だけなんですよ。息子の入院費も支払えなくなって、病院側は待ってくれましたが心苦しかったですね。それでも、私自身が望んで手に入れた暮らしなので、“この年で食べるおカネに事欠くってスゴイな、自分”ってどこか楽しんでいる部分もありました。もう前の生活には戻りたくなかったから」

 郵便ポストに投函されていた求人誌、これまでは見向きもしなかった「高収入」のページを開いてみた。この年齢だと風俗店でも雇ってもらえないのではないか、採用になってもはたして自分にやれる仕事なのだろうか。不安は大きかったものの、悩んでいる時間がもったいなかった。