アメリカ占領下から戦後72年を迎えた現在まで米軍基地が集中する沖縄。米兵による事件・事故が絶えたことはなく、「平和憲法」を享受できたこともない。ヘリパッド建設が強行された高江で、美しい海が埋め立てられていく辺野古で、伊江島で、だからこそ女性たちは、身を挺して根強い抵抗を繰り広げている。あきらめるわけにはいかない、沖縄の思いと「今」を伝える現地レポート。

筆者の鎌田慧氏

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 沖縄本島の北部、東村(ひがしそん)の清流・新川(あらかわ)川を見下ろす崖の径(こみち)を歩いていた。

 先に立っていた宮城秋乃さん(38)が道端の水溜まりにしゃがみこんで、指さした。

「これっ、ナミガエルの卵です。沖縄県の天然記念物で、絶滅危惧種です。あっ、オタマジャクシもいます。ナミガエルはオタマジャクシのほうがレアです。たくさんいますね」

 頭の白い模様(白紋)が特徴だ。宮城さんは、少し昂揚(こうよう)した声になった。普通のカエルの卵は、寒天のひも状に並んでいるのだが、ナミガエルは1個ずつ、ばらばらにゼリーと土のようなものに覆われている。

「卵とオタマジャクシが一緒に見られるなんて、結構レアです。こんな人里に近いところに、天然記念物が棲息しているんです」

 と研究者の口調になった。宮城さんは日本鱗翅(りんし)学会に所属する研究者である。彼女は「ブロッコリーの森」と呼ばれている、沖縄「やんばる地方」の森に棲む貴重な生物たちが、米軍基地建設によって大量に殺されていることに抗議し続けている。

研究者の宮城秋乃さんは、ヘリパッド建設による自然界への影響を危惧する 撮影/浅井真由美

 ここまで来る途中、私たちは小さな、白い、可憐な蝶が茂みの周りで、ひらひら舞っているのを見ていた。

「このリュウキュウウラボシシジミがいるというだけで、ほかの何を調べなくても、ここに自然度の高い清流が流れていることの証明になるのです」

 と彼女が言ったのを聞いて、私たちの目につかない小宇宙に、さまざまな生物がひっそりと生きている、生命の豊かさを感じさせられた。

 夜になると、大型のホルストガエルがやって来る。県の天然記念物でもあり、絶滅危惧種であり、2016年には国内希少野生動植物種に指定されたカエルだ。やんばる固有種のハナサキガエルもやって来る。それを食べにヒメハブが現れる。

 昨年7月22日の工事再開以来、東村高江では、オスプレイが発着する新たなヘリコプター着陸帯(ヘリパッド)の建設が強行されてきた。

 宮城さんは、オスプレイパッド建設地に、ホルストガエルがいるのを発見した。それで沖縄防衛局に、

「ここにはホルストガエルが生息していますから、破壊しないでください。環境省が決めた希少なカエルです」

 と伝えた。しかし、その後、そこは工事用道路として伐採され、整地されてしまった。カエルたちはどこへ行ったのだろうか。

 天然記念物って、殺しても罪にならないのですか? そう聞くと、

「天然記念物の指定は文科省の文化財保護法。絶滅危惧種とかは環境大臣の管轄です。どちらにしても、個体そのものを直接殺せば罪になりますが、棲息(せいそく)地を破壊しても、直接殺してないので環境大臣としては何も言えない、と言われてしまって。

 でも、研究者からしたら、1匹を殺すより、その棲息地を壊すほうが罪が大きいのです。1匹が死んでも、その環境に頼っている個体は生きられるし、この個体がいなくなっても、ほかの個体は棲み続けられます」

 ─と、突然、カカカカカカ、と甲高く啼(な)く声が森の中から聞こえてきた。

「あれは、ヤンバルクイナのデュエットで、ここにいるよ、とつがいのもう一方に連絡してるんです。鳴き返す声も聞こえます」

 ヤンバルクイナやノグチゲラは、沖縄やんばる地方だけにいる絶滅危惧種の鳥だ。宮城さんは崖の際に枯れて倒れかかった、1本の木を指さして言った。

右上から時計回りにヤンバルクイナ、ホルストガエル、ノグチゲラ。やんばるの森が住処の希少動物だ

「これはイタジイですが、枯れ始めたころ、カミキリムシが卵を生みに来て、もっと枯れると違うのが来て、もっともっと枯れるとまた違う虫が来て、というように、枯れる段階によって棲み着く虫が違うのです」

 キノコが生え、ウルシゴキブリ、コワモンゴキブリ、ゴミムシダマシが来て、虫たちの大食堂になる。そこへノグチゲラもやって来る。くちばしで掘られた跡が、大きな穴になって残されている。

 1本の木が一生の間に、どれだけの鳥や虫たちの生活を支えることか。

 ブロッコリーの森の木を何万本も伐採し、空中から見ると巨大な醜い穴。オスプレイの訓練場、それを6個も作った。

 沖縄特有の亜熱帯性湿潤の森に風が吹き込み、乾燥が進む。環境に護(まも)られていた生物が死に絶える。伐採と整地でむきだしになった赤土が、川や海に向かって流れ込む。自然のジェノサイド(大虐殺)。

米軍基地のために破壊される悦楽の海

 大浦湾は深いブルーの海である。米空軍の滑走路が建設されようとしている名護市辺野古の海岸は、リーフ(環礁)の中にあって緑色に輝いている。遠浅の海底に太陽が反射しているのだ。

 このジュゴンがやって来る海に、惜しげもなく、ナイロン製の網にくるまれた砕石が投入され、埋め立て準備が始められた。住んでいない私でさえ、胸が痛くなる光景だ。

海上から工事中止を訴える抗議船の船長・相馬さん(右)と筆者。辺野古の埋め立て予定地にはサンゴ礁が広がる 撮影/浅井真由美

 ジュゴンが帰ってくるか、どうか。

「この草がザン草。ジュゴンが好きな草です」

 相馬由里さん(38)が箱メガネを渡しながら言った。ザンはジュゴンのことである。私はジュゴンを見た人の話を聞いたことがある。「人魚」と言われる半身が、朝陽を浴びて金色に輝いていたそうだ。

 船べりから乗り出して、浅瀬を覗(のぞ)いてみると、緑色の長めの草が波に揺れているのが見えた。ジュゴンは特定の海草藻場だけにやって来る。その「食(は)み跡」が残されている、という。

 相馬さんは名護市の市民団体『ヘリ基地反対協議会』が所有する抗議船「平和丸」の船長である。神奈川県箱根町の出身だが、ダイビングの海に魅せられて沖縄に移住、3年前、小型船舶操縦免許を取った。

 彼女は4隻ある抗議船の専従船長のうち、たったひとりの女性船長である。定員13人のボートを操縦して、海上での抗議行動や、取材者や見学者を案内している。

 海のフェンスともいえる、オレンジ色のフロート(浮具)に沿って、建設予定地に向かう私たちのボートを警備して、海上保安庁の黒色の警戒艇が伴走している。

 私たちの船は海上に張られたフロートと黄色のブイに妨害され、建設予定地へは大きく迂回(うかい)しなければ近づけない。「臨時制限区域」として立ち入りが禁止されている。埋め立て予定地が160ヘクタールなのに、立ち入り禁止区域を560ヘクタールも取っているのは不当な処置だ。

政府は4月に辺野古で埋め立て工事に着手 撮影/浅井真由美

「みんなの海だし、この人たちが仕切る権限、全然ないと思うんです」

 相馬さんは呆(あき)れた表情で言う。日曜日だったので工事はなく、のんびりした空気が漂っていた。県は国が進める工事を違法と訴えた。海底の状況も不安定で、難工事だ。

 海上保安庁の船からはひっきりなしに、「ここは臨時制限区域です。すみやかに退去してください」とのアナウンスが流れている。反対する市民のカヌーも数が少なく、水上バッタのようにスイスイ走り回っていた。

「向こうの島が平島(ひらしま)。休日には米兵が泳いできて、洞窟のところから海に飛び込んで、ロープを頼りにまた登ってきて、遊んでいます」

 サンゴ礁の海で泳ぐのは、米兵にとっての悦楽でもある。その海が米軍基地のために破壊されつつある。

女たちが担う沖縄の平和

 辺野古の翌日は、海の向こうにカウボーイハットの形をして浮かぶ、伊江島に渡った。

 42年前と16年前、「命(ぬち)ドゥ宝(命こそ宝)」でよく知られる反戦地主・阿波根昌鴻(あはごんしょうこう)さん(’02年、101歳で死去)をお訪ねしたことがある。最初の訪問時、米軍の演習に使用された、原爆の模擬弾を見せていただいて驚嘆した。

本部半島の北西に浮かぶ伊江島。ここから反基地闘争は始まった 撮影/浅井真由美

 この小さな島に、日本軍の大飛行場があったため、島民1500人、日本兵2000人が戦死した。

 戦後は米軍に「銃剣とブルドーザー」によって、強制的に土地を奪われた。

 いまなお、島の面積の35%が米軍用地である。「ヌチドゥ宝」、それが悲劇の教訓であり、未来への希望の言葉である。

 阿波根昌鴻さんに協力して、反戦平和資料館『ヌチドゥタカラの家』を建設し、いま館長を務めているのが謝花悦子さん(79)。この島出身で、父親はこの島での戦死者のひとりである。

「また戦争になりそうで怖い。どうして同じことを繰り返そうとしているのか」

 怒りの表情を隠せないのは、ここがオスプレイと最新鋭F35ステルス戦闘機の訓練基地として強化され、これからさらに危険になりそうだからだ。

 戦争中は重病で寝たきりだった。病院で治療を受けられたのは、米軍に占領されてから。その個人的な体験と恐怖を語り続けている。 

 車イス生活の謝花さんは、伊江村議の名嘉実さん(62)に、米軍基地を案内するように頼んでくださった。

「非暴力の抵抗」を貫いた阿波根さんの教えを受け継ぐ謝花さん 撮影/浅井真由美

 杭1本の境界表示で、基地と民家や畑がごちゃ混ぜに暮らしている。かつて63%を占めていた基地の過剰存在を理解させられた。

 帰る日、辺野古の基地建設工事の現場に行ってみた。座り込んでいる人々の中に、顔見知りの島袋文子さん(88)や上間芳子さん(72)がいた。毎日が心配で、家にじいっとしていられない人たちである。

 このような女性たちが、沖縄の平和を担っている。

取材・文/鎌田 慧

ルポライター、ジャーナリスト。1938年、青森県生まれ。新聞、雑誌記者を経てフリー。労働問題、原発、基地など社会問題をテーマに、徹底して現場に足を運び、深く斬り込んだルポを発表し続けている。