透明感のあるハーモニーを奏でる兄弟デュオ、ビリー・バンバン。45周年を迎えるはずだった2014年、兄弟はそれぞれ大病に倒れる。兄・孝、脳出血、弟・進、大腸がん。当初、声すら出せない状況だった兄と自らも病を抱えつつ兄を支えた弟。再びステージに戻ってきたふたりの復活までの軌跡を聞いた。

左から兄・菅原孝、弟・進 撮影/坂本利幸

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 今年3月25日、ビリー・バンバンは、『3年越しの45周年、兄と弟の復活祭』と題したステージに立っていた。

 正しくは、ひとりは車いすに座ってのステージだった。

 3年遅れになったのは、2014年7月、兄・菅原孝(73)が脳出血で倒れ、リハビリ生活を余儀なくされたからだ。

倒れたときは、これでビリー・バンバンも終わりだと思ったね。歌うどころか、最初は声も出なかった。左側の手も足も、だらんとして動かなくてさ」

 現在も、左半身にマヒが残るが、力強い話し方に、後遺症はほとんど感じられない。

 ステージでは、『白いブランコ』『さよならをするために』など、往年のヒット曲を披露するほか、坂本冬美がカバーして大ヒットした『また君に恋してる』など、30年にわたり続く、焼酎『いいちこ』のCMソングを歌い上げた。

 弟・進(69)の透明感のある歌声に、孝がハモる。

 兄弟が生み出す音色に、満員の観客が聴き入った。

大げさかもしれないけど、僕自身、1曲1曲に魂を込めて歌った。また兄貴と歌える喜びをかみしめながらね。ふたり一緒にステージに上がれる日が来るなんて、奇跡みたいなもんだから」(進)

 兄の脳出血から、わずか2か月前、進も大腸がんの手術を受けていた。病期はステージ3。3年たった現在、経過は良好で、術後5年と言われる根治を目指している。

「進も僕もそうだけど、年をとると、待っていたように病気がやってくる。これが現実なんだよ。だけど、お前(病気)の思うようにはさせないぞって気持ちが大切なんだ。病気になっても、俺は俺の人生を生きるぞって」(孝)

 その思いを込めた著書、『さよなら涙 リハビリ・バンバン』(9月1日発売・秀和システム)が出版された。

 過酷な病をどう乗り越えたのか。じっくりと語ってもらった。

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「前兆? ないない。突然だよ」

 孝は「その日」を振り返る。

 当時、94歳だった母親の介護を5年続けていた孝は、その日も、地方の仕事を終えると、最終の新幹線に飛び乗り、実家へと向かった。

「おふくろに夜食を作って、身の回りの世話をしてさ」

 すべて、いつもの日常だった。ところが──。

夜中にトイレに入ったら、すとーんと落ちていく感覚で、前のめりに便座から転げ落ちたんだ。懸命に這(は)い上がろうとしても、手も足もぐにゃぐにゃ。どうにも動かない

 放置されれば命とりになりかねない状況。救ったのは、高齢の母親だった。

トイレで孝が死んだみたいに出てこないの

 異変に気づいた母親は、機転を利かせて進に電話した。

「それで、俺が救急車を呼んだわけ。おふくろは軽い認知症があったのに、よく気づいたよ。ほんと、兄貴はついてたと思う」(進)

 すぐさま病院に搬送され、高血圧が原因の脳出血と診断された。血流を改善する薬を点滴し、命の危機は脱した。

 しかし、ホッとしたのもつかの間。待っていたのは、厳しい現実だった。

「出血したのが、右側の視床下部で、位置がよくなかった。医者は、同じ病気で入院してる8人の中で悪いほうから2番目だって。左半身にマヒが残ると知ったときはなぜ俺が? って茫然(ぼうぜん)としたよ

 仕事柄、健康には人一倍、気を遣っていた。

 ジョギング、腹筋、腕立て伏せと、毎日1時間半ものノルマをこなし、食事面でも塩分を抜くほど、自己管理を徹底して。だからこそ、「まさか」の思いが募った。

「最初はどうにか治るんじゃないかと思ったけど、リハビリが始まって、どんどん実感がわくわけ。ああ、本当に動かない。俺、ダメなんだって。悔しくって、落ち込んだよ。だけど、だんだんと気持ちが変わっていったんだ。なるようになるさ、って

 人一倍、責任感が強い孝は、これまで自分に厳しく生きてきた。仕事はもちろん、運動も母親の介護も、どれひとつ手を抜くことなく。ときに頑固と言われるほどに。

 しかし、病に襲われ、痛感したという。

もう今までの身体と違う。同じようにやろうとしたら、できない自分にイライラするだけだ。この病気になったのだって、そんな生き方がストレスになったからかもしれない。だったら、もう自分を縛るような生き方はやめようって。それからだよ。リハビリに前向きになれたのは」

デビュー当時のビリー・バンバン

身体の自由を失って気づけた大きな収穫

 3か月ほどで退院。自宅に戻ってからは、妻の手を借りながらも、できることは自分でやるよう心がけた。

 というのも、育て上げた5人の子どものうち、長男が孝より数か月前に、同じ病、脳出血を発症、長女も乳がんと統合失調症を患っているため、妻の介護が必要だからだ。

「右利きで利き腕が残ったから、箸も使える、歯磨きもできる。せんべいの個別包装はありがた迷惑だけど、それだって、こうやって(歯を使い)開けられる。カミサンは必要以上に手を出さず、そんな俺を見守ってくれてる」

 週に2回は専門のリハビリ師の訪問を受ける。取材当日も、終えたばかりだった。

「今日も杖(つえ)を使って、廊下を10往復だよ。リハビリ師さんに、“あと1回できますか?”なんて言われると、疲れてても、“やります!”って答えちゃう。マゾだから(笑)。もちろん、ダメな日もあるけど、いい意味で、“いい加減”にやってると、嫌にならずに続けられる。それで、今までできなかったことが、ある日ふっとできたりすると、うれしいんだ

 発症当初は記憶力が弱り、「あれ、なんて名前だっけ?」と物の名前が出づらかったが、ひとつひとつ克服している。

「今、思い出せないのは、テレビで顔を隠す、あれ」

「モザイクですか」と答えると、「それだ! モザイク。もう忘れないぞ。こうやって、思い出せない単語を片づけていって、ずいぶん減ったんだ」

 順調なリハビリの日々を送るが、むろん、心が折れることもある。

 中でも落ち込んだのは、トイレでの失敗。

「お腹をこわして、トイレが間に合わなくてさ。カミサンに片づけてもらったときは、涙が出たよ」

 孝が暗い声を出す。と、さりげなく進が口をはさむ。

「俺だってあるよ。飲みすぎた翌朝とかさ(笑)」

「そうか、あるか」

 気づけば、孝に笑顔が戻る。

 大腸がんを経験した進は、今も月に1度、血液検査を受けている。

腫瘍(しゅよう)マーカーの値が、今月も異常なしってわかると、心からホッとする。ああ、よかったって。それで、居酒屋で1杯やるんだ

 病名は違えど、同じように大病を経験した進は、兄の気持ちが誰よりもわかる。進流のやり方で、兄を支えている。

進やカミサン、スタッフには本当に感謝してる。俺は病気になって、身体の自由を失ったけど、周りにどれだけ助けられているかに気づけた。これは、大きな収穫だよ

どんな状態になっても、そこに楽しみはある

 回復とともに、復帰へのお膳立ても着々と整っていった。

 発症から11か月後には、ラジオ番組にトーク出演。その翌年からは、コンサートへのゲスト出演など、歌の活動も再開した。

 中でも思い出深いのは、昨年、母・きよ子さん(享年96)が亡くなる数か月前に見に来た、東京・立川でのステージ。

もう1度、兄弟で歌う姿を見せられて、最後の親孝行ができたと思う。出番が終わって、客席のおふくろのところに行ったら、“よかったよ。本当によくできたね”って喜んでくれてね」(孝)

復活コンサートは大盛況のうちに幕を閉じた

 満を持して臨んだ、今年3月の『3年越しの45周年』は、偶然にも母親の命日だった。

 1000席のチケットは、すぐに完売した。コンサートの構成は、孝が担当。曲順や、トーク内容をつぶさに練った。

「もう、頭の中で何回コンサートをやったことか。お客さんに、チケット料金以上に喜んでほしいからね。その目標が、何よりのリハビリになったんじゃないかな」(孝)

 懸命になるあまり、兄弟でぶつかることもあった。

「病気のせいで、繊細にハモるのが難しい。もどかしくて、進やスタッフにあたってしまったりね。だけど、よく聞こえる右耳で音を拾いながら、だんだんと覚えていったんだ。新しい身体と向き合って、試行錯誤しながらね

 努力は実を結び、全23曲、3時間にわたるコンサートは、大盛況のうちに幕を下ろした。

 最後の曲を歌い終え、進の手を借り、孝が車いすから立ち上がったときは、割れんばかりの拍手に包まれた。

コンサートが終わって、多くのファンが“元気をもらった”と言ってくれて。内心、元気は俺のもんだ。あげないぞ! って思うけど(笑)、僕らは、新しい役割を与えられたと実感してる。人生って、どんな状態になっても、そこに必ず楽しみがあることを伝えるっていう」(孝)

兄貴、いいこと言うなあ。それ、いつも俺が言ってることだよ(笑)」(進)

 秋からはコンサートが続く。

 絶妙なトークとふたりが生み出すハーモニーは、多くの人を勇気づけるに違いない。

9月1日に上梓(じょうし)された『さよなら涙 リハビリ・バンバン』(秀和システム)※記事の中で画像をクリックするとamazonの紹介ページに移動します

ふたりはこう変わった〜周囲の人に聞く

■兄・孝の妻・菅原けい子さん(72)

「病気になる前の主人は、わがままでしたが、今は子どもたちの介護もあるので、彼なりに我慢しているようです。着替えなど手を貸すと、必ず“ごめんね”と言うのも昔と変わったところです。私自身、胃がんを経験して体力がないところに介護が始まり、最初は疲れ果てていました。でも、主治医の“いい人になっちゃダメ”というアドバイスをきっかけに、ヘルパーさんなど周囲の手を借りて、主人を支えています」

■所属事務所社長・佐々木昌志さん(60)

「大病をして変わったのは、兄より、むしろ弟のほうですね。昔は、ラジオ番組に出演してもひと言も話さない気難しさがあったけど、今では兄弟漫才みたいに話すし、“自然体でいいんだよ”なんて、さりげなく兄を支えている。70代を迎えたふたりは、競馬にたとえれば、第4コーナーを回ったあたり。今後は、流すように気持ちよく走ってほしいですね。そんな彼らの姿に、勇気づけられる人は多いはずですから」

<Information>

●9/16(土)書籍発売記念トーク&サイン会東武百貨店池袋7F「9番地特設会場」(問い合わせ/旭屋書店)

●10/15(日)ビリー・バンバンコンサート2017in富山(問い合わせ/南砺市井波総合文化センター)

(取材・文/中山み登り 撮影/坂本利幸)