「産まないことは“逃げ”ですか?」と聞かれたら、あなたはなんて答えますか?

 女性に生まれてきたなら一度は考える「自分と出産」の問題。だけど、産む、産まない、産めない、その選択は人ぞれぞれであり、そこに正解はない。今、コラムニストの吉田潮さんの体験談である「妊活」から「産まない」を選択をした、一冊の本が多くの女性の注目を浴びている。吉田さんが考える、産まない選択、そして、これでよかったと思う人生とはーー。

吉田潮さん

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私は子どもが苦手です

 周囲に子どもがいない家系に育ったこともあり、子どもと、どう接していいのかわからないのです。若いころは必死に「子ども好きアピール」をするという滑稽な自分もいましたが、徒労に終わりました。子どもから好かれたためしがまず、ない。

 ところが、34歳のとき、うっかり「子どもが欲しい病」にかかってしまい、39歳で不妊治療に挑戦しました。「遅いわ!」とツッコまれそうですが、不妊治療に挑む余裕ができた時すでにおすし、いや、遅しだったのです。

 そんな顛末を45歳になった今、1冊にまとめることができました。タイトルは、同じく子どもをもたない友達の言葉から生み出されたもの。子どもを産んだ人が産んでいない人に「それは仕事に逃げているだけだよ!」と言ったエピソードが発端です。

 え……、産まないことは逃げですか……? いったい私たちは何から逃げているように見えるのか、どこへ逃げていると思われているのか。女は子どもを産まなくちゃいけないのか、子どもを産まないと、何か特別な理由が必要になるのか。

「こういうテーマで書くことになったよ」と話したら、実にたくさんの友人知人恩人が意見や体験談を寄せてくれました。「女は産んで当たり前」という目に見えない呪縛に、モヤモヤした思いを抱えている人が多いのだと実感しました。

モヤモヤの正体は「世間が主語」

 生き方は人それぞれのはずなのに、「産む・産まない」の話になると、なぜか主語が世間や親、あるいは国家へと飛躍します。

イラスト/安彦麻理絵

「周りが産んでいるから」

「親に孫の顔を見せてあげたいから」

「少子化を止めるためにも産むべきだ」

 と。すごいなぁ。人のために、親のために、お国のために生きているのか……。すみません、そこまで考えられないです、私は。

 ひとつ心配なことがあります。自分以外の誰かが主語になってしまうと、必ず「人のせい」にしたり、選択や決断に後悔したりしませんか? 

 産むも、産まないも、自分が主語であればいいし、自分で決めたことならば突き進むしかないわけです。転職も結婚も離婚も妊娠も出産も、主語が他人に乗っ取られないよう、なりすまされないよう、ということを書いたつもりです。

 今回は、「産む・産まない・産めない」「不妊治療」「家族との距離感」「不干渉の母」「別居婚」など、いろいろなキーワードがあります。共感というよりは、「改めて自分と向き合う」効能があるといいなぁと思っています。

 というのも、私は「子どもを産まない人生を選んだ人の代弁者」ではありません。あくまで読んでくれた人が主語で、「あ、そうか、私の人生の主語は私だ」ということに気づいてもらえれば本望です。

孫なんかいらない・面倒くさい

 いまだにテレビドラマでは「孫の顔を見せてあげたい」というシーンが出てきます。世間の親たちはそんなに孫を欲しがっているものなのか。私の母に、孫が欲しいか、羨ましいと思うことがあるか聞いてみたところ、いい感じで突き抜けた答えが返ってきました。

「ちっとも思わない。孫がいたことがないからわからない」

 親の主語は親である、という当たり前すぎることを、子である私も忘れていました。孫の顔を見せることが親孝行だと思ったら大間違いでした。

 働く娘に代わって、孫の世話を押し付けられて、せっかく手に入れた老後の自由な時間を奪われるのは、マジ勘弁。そんな母の思いがひしひしと伝わってきます。すべての女性が子どもや孫を欲しいと思っているわけではないんですよね。

 私自身も、本当に心の底から子どもが欲しかったわけではありませんでした。むしろ「本当は欲しくなかったことに気がついた」クチです。

 親には親の人生、私には私の人生がある。そこを改めて噛みしめています。

『産まないことは「逃げ」ですか?』(KKベストセラーズ)吉田潮著 ※記事の中の写真をクリックするとアマゾンの紹介ページにジャンプします

産まない人も産めない人も

 不妊治療を経て、私は産めなかったわけですが、今は「産まない人生を選んだ」と言うようにしています。

 もしかしたら、「きみは鳥なの?獣なの?」と問われるコウモリのように思われるかもしれません。鳥たちには「翼があるから鳥だよ」と言い、獣たちには「毛が生えてるから獣だよ」と答えたコウモリは、鳥たちにも獣たちにも嫌われて、ハブにされ、その結果、夜だけ飛び回るようになったっつう。

 でも、産まない人と産めない人が喧嘩してもしょうがないし、もっと言えば、産んだ人とも、なんら闘う必要もないです。みんな同じ女なんだよね。だから今、問われたら「生き物でーす。みんな同じでしょ?」と答える所存です。

 産んだ、産まない、産めないには人それぞれの理由や背景があります。

 でも、女であることはみな一緒。いや、男も含めて、全員人間であることは一緒ですよね。誰かに自分の価値観を押し付けることなく、そして、自分の価値観を否定することなく、人にも自分にも嘘をつかずに生きていけたらいいなぁと思っています。


吉田潮(よしだ・うしお)◎コラムニスト 1972年生まれ、千葉県船橋市出身。法政大学法学部政治学科卒業後、編集プロダクション勤務を経て、2001年よりフリーランスに。医療、健康、下ネタ、テレビ、社会全般など幅広く執筆。テレビ『新・フジテレビ批評』、『みんなのニュース』(ともにフジテレビ)のコメンテーターも務める。また、雑誌や新聞など連載を担当し、著書に『幸せな離婚』(生活文化出版)、『TV大人の視聴』(講談社)ほか多数。新刊『産まないことは「逃げ」ですか?』に登場する姉は、イラストレーターの地獄カレー。公式サイト『吉田潮.com』http://yoshida-ushio.com/