精神科医

 最近、精神分析や認知科学的な観点から「呪い」というキーワードがよく語られます。人の心というものは、ちょっとしたきっかけでさまざまな慣習、偏見、思い込みにとらわれやすいもの。最近ではそんな感情を暴走させている有名人も目立ちます。そうならないためにどうすればいいのか。いま私たちができる対策を、精神科医の春日武彦さんにアドバイスしていただきました。

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「女性はやせているほうが美しい」──そんな思い込みによって、心と身体が壊れていく人もいるというのは精神科医の春日武彦さん。客観的に見てまったく太っていないのに、食べ物を吐いたり、下剤を使ったりして、太ることを極端に恐れ、不健康なやせ方をするのが摂食障害の患者さんです。

「ある摂食障害の女性は、吐けない体質だったので、下剤を1日50錠も飲んで、食べたものを出していました。彼女は“44kgを100gでもオーバーすると世間は自分に冷たくなる”と思っていて、44kgをオーバーしないよう必死でした。自分がどうしたらキレイに見えるかではなく、“やせているほうがキレイなんだ”と思い込み、体重だけにこだわって暴走してしまうのです」

 最近は、フランスでやせすぎのモデルの起用をしないという法律ができ、「やせていることが美しい」という価値観には疑問が投げかけられています。とはいえ、多くの人が「やせたい」とダイエットに励んでいるのが現状です。

「日本でも最近はぽっちゃりした女性タレントが人気を得ていますが、お笑い芸人として、太っていることで笑いをとっているケースが多く、“豊満なほうが美しい”という価値観はまだ少数派でしょう。まだまだ、やせ信仰は根強く残っていますが、まじめに信仰するのではなく、上手にごまかしていくことが呪いにかからない方法です。突きつめず、“やせたいけど、おいしいケーキはやめられない”“やせている女性がタイプだけど、実は妻は太め”といったダブルスタンダードで生きていくほうが幸せと言えるでしょう」

何事も、とことんまでは追求しない

 では、なぜ、摂食障害の人は、そんな苦しい思いをしてまで、呪いにとらわれてしまうのでしょうか。

「世の中にはいろんな価値観がありますが、“女性はやせているほうが美しい”というひとつの価値観に絞り込むと、ほかのことを考えないでいいので、ある意味、楽なのです。なぜやせているのがいいのか、自分がどうしたら美しく見えるかは関係ない。体重だけを気にしていればいいのです。この呪いを解くのはとても難しいので、摂食障害の人は“やせているほうが美しい”という呪いを受け入れつつも、目的はやせることではなく、自分が美しくなることであって、やせることは美しくなる手段のひとつ、くらいに考え直す必要があります」

 この「ひとつの価値観にとらわれていると楽」という状態は、松居一代さんや泰葉さんの言動にも見られるそう。

「人は誰でも気持ちが追いつめられると、ひとつのことにこだわるようになります。松居さんの場合は“夫が浮気をしているに違いない。私はこんなに妻として完璧なのに許せない”、泰葉さんの場合は“私がいま不幸なのは元夫との結婚生活のトラウマのせい”となり、おふたりとも狭い世界の中だけで攻撃していればいいので楽なのでしょう。この、ひとつの価値観へのとらわれがプラスの方向に働くと、“この道ひとすじ”として、芸術家やアスリートなどが誕生する可能性もあります。誰もが何かの価値観にとらわれる可能性はありますが、間違った方向に進んで、生きづらくならないためには、何事もとことんまで追求しない、後にはひけないことはしないほうがいいと言えます」

「自称うつ」の人も呪いにかかっている

 また、最近多い「自称うつ」の患者さんは、「うまくいかないのはうつのせい」という呪いにかかっているそう。

「自称うつの患者さんは、世の中の気に食わないことや不安を全部、うつ病のせいにします。会社にも“うつです”というと病人として尊重され、周りも手を出せなくなります。今、うつはとても便利な言葉になっているのです。会社には行けないけれど、旅行には行けるなど、自称うつは、本来のうつ病とは異なり、本気で治そうとしない人がたくさんいます。病気から治ったら、今まで保留にしていた問題に結論を出さないといけないので、実は病気から抜け出したくないのです」

 一見、呪いにかかって苦しそうな状態に見える人も、実は、そこに安住しているという面もあるから驚きです。

「安住していても、呪いにかかっていると、人間関係が修復不可能になったり、仕事を辞めざるをえなくなったりと、失うものは小さくありません。実は呪いは、“ちょっと太った?”とか“ご主人、浮気してるんじゃないの?”といった、他者からのさりげないひと言によってインプットされることが多く、自信がなかった部分を“やっぱり”と思ってしまい、受け入れてしまうのです。

 呪いにかからないためには、“人は思いつきでしか物事を言わないもの。言葉を額面どおりに受け取る必要はまったくなし”と肝に銘じ、空気を読んで物事の裏も察するということが大事です

松居一代さんの騒動を分析

松居一代

 YouTubeで夫・船越英一郎さんの浮気疑惑を訴えた松居一代さん。ただし、裏づけがとれない内容で、「松居さんの妄想では?」と思っている人も多いはず。こういった松居さんのような言動をする人は、還暦あたりに多くなると春日さんは言います。

「ちょうど定年くらいの年齢になると、社会から必要とされなくなり、体力も落ち自分が急に凋落していくことに不安を覚えます。その焦りの反動として、ふだんからわだかまりを持っていたことがドッと被害妄想として出てくるのです。特に、これまで成功していた人は落ち目となっていく実感が大きくて、被害妄想が激しくなるのでしょう。松居さんもどこかに敗北感を持っているはずです。こういう人は病院に行って治るものではありませんし、そもそも、本人が病気だと思っていないので、診察を受けようとはしません。直接の攻撃対象になると大変ですが、相手にするとますます巻き込まれるので、周りは静観するしかありません」

春日さんからのアドバイス
□呪いを受け入れ、上手にごまかす、ダブルスタンダードで
□いい加減がよい加減。とことんまで、ものごとを突きつめない
□苦しんでいるようでいて、そのほうが楽だからあえてその状態にいる人もいる
□人の言葉を額面どおりに受け取らない

<プロフィール>
春日武彦(かすが・たけひこ)◎1951年、京都府出身。日本医科大学卒。産婦人科医として6年間勤務したあと、精神科へ移る。大学病院、都立松沢病院精神科部長、都立墨東病院神経科部長などを経て、現在も臨床に携わる。医学博士、精神科専門医。著書に『無意味なものと不気味なもの』(文藝春秋)、『幸福論』(講談社現代新書)、『精神科医は腹の底で何を考えているか』(幻冬舎新書)、『臨床の詩学』(医学書院)、『緘黙』(新潮文庫)ほか。