恩納村の死体遺棄現場に設けられた献花台。通りがかりに手を合わせていく人の姿も

「出勤中、恵美ちゃん(仮名)に会うといつも“おばちゃん”と手を振って挨拶してくれて、私もそれに“おう”と答えるのが日常でした」

 と、話すのは、生前の仲村恵美さん(享年20)=仮名=と親交のあった當山淳子さん(70代)=仮名。

元米軍海兵隊員

「恵美は孫のような存在でした」と、當山さんは指先で目頭を押さえた。

 恵美さんは昨年4月28日、同居していた交際相手に「ウォーキングに行く」と連絡したのを最後にうるま市の自宅から行方不明になった。

 事件が大きく動いたのは同年5月中旬。沖縄県警は18日、米軍嘉手納基地で働く軍属の男を任意聴取、19日、男が供述した恩納村の雑木林の中から変わり果てた姿の恵美さんが見つかった。警察は同日、死体遺棄の疑いで男を逮捕した。

 男の名前は、シンザト・ケネフ・フランクリン。

 シンザト被告はアメリカ・ニューヨーク市の出身。2007年から'14年まで、米軍海兵隊員として沖縄県内などで勤務した。除隊後、一時帰国していたが再び日本へ。沖縄出身の女性と結婚し、シンザト姓を名乗るようになった。

 シンザト被告の住まいは、事件現場から南に約20キロ離れた沖縄本島南部の住宅地。義父がリフォームした妻の実家に事件の少し前に引っ越し、妻と生まれたばかりの子どもとの3人暮らしだった。

「被告らしき男性が義理のお母さんと一緒に子どもを連れて仲よさそうに買い物をしているのを見た人がいました」(近隣住民)

 事件後、シンザト被告の妻と子、義父母はどこかに引っ越し、建物は売りに出された。

 沖縄で仕事を見つけて結婚し、子どもも誕生、何が被告を凶行に導いたのか。

 恵美さんの学生時代を覚えている男性は「可愛くて、とてもまじめな子。絶対に許せない」と憤りを隠さない。「お年寄りにも親切だった」と振り返る女性もいた。

 保育園から中学校まで同級生だった大城さやかさん=仮名=も回想する。

「ときどきテンションが高いときもあったけど基本はおとなしくて天然。いつも場を和ませてくれました。人のことを悪く言うこともないし、みんなに優しく接してくれた」

 恵美さんと2人、小学校の帰りに遊ぶのが日課だった。「ジャニーズが好きでDVDを見たり、雑誌を読んだり。毎日たくさん話して、時間はいくらあっても足りなかった」

生前の恵美さんの様子を語る當山さん。恵美さんは足の悪い當山さんに「大丈夫?」と声をかけ、いつもいたわっていた

 當山さんは恵美さんから将来の夢を聞いたことがある。

「あの子はひとりっ子だから結婚したら子どもが5、6人欲しいと話していました。男の子も女の子も産みたいって」

 同居していた男性とは婚約中で、幸せな未来はすぐ間近。

「沖縄の結婚式では最初に『かぎやで風』というおめでたい琉球舞踊を踊るんです。“私たちが踊ろうねー”と提案すると恵美ちゃんは“オッケー”と言って、笑っていました」(當山さん)

嗚咽は途切れることなく

 恵美さんは商業施設の化粧品売り場に勤務、事件の直前には美容関係の資格も取得して、将来の夢もあった。

 恋愛も仕事も、順調だった日々をシンザト被告が奪った。

 前出・大城さんは目を腫らし、怒りをあらわにする。

「この怒りも悲しみも消えることはありません」

 事件について、アメリカ側は「元海兵隊員であっても現在は民間人。軍とは関係ない」と主張。一方では、日本の警察より先にアメリカ軍が被告の身柄を拘束していた場合、日本側に身柄が引き渡されない可能性もあった。日米地位協定の壁だ。

 事件後、基地外で発生したアメリカ軍人・軍属による事件や事故の捜査を日本側ができるようにするなど、抜本的な見直しが求められている。

 11月16日、事件は裁判員裁判で初公判を迎えた。

 恵美さんの母親は両脇を抱えられながら傍聴席に。嗚咽は途切れることがなかった。

 殺意の有無が裁判の争点のひとつ。容疑者は罪状認否で「強姦致死と死体遺棄は認めるが、殺人については、被害者を殺すつもりはありませんでしたし、殺してもいません」と述べた。それ以降は黙秘を続け、質問に対し、何も答えない。

 検察側の冒頭陳述。恵美さんが行方不明になった昨年4月28日、シンザト被告は勤務終了後、女性を強姦しようと計画し車を走らせていた。そこに恵美さんが偶然通りかかり目をつけられた。

 被告は先回りし後をつけ、人目がないことを確認すると車を降り、背後から近づき後頭部をスラッパーという打撃用の棒で殴りつけた。その後、草むらに引きずり込み、馬乗りになって首を絞め、首の後ろ付近をナイフで刺した。これらの行為に「殺意が認められる」と検察は殺人罪を主張。

那覇地裁。22枚の傍聴券に対し、早朝から500人あまりの人が列に並んだ

 一方、弁護側は「暴行現場で刺していない」、草むらに倒れ込んだとき頭を強く打ったことで死亡したと反論する。被告に殺意はなく、「殺人罪は成立しない」と主張している。

 首を絞めたのも、殴って気絶させるつもりができずパニックになり、気を失わせるつもりだったと述べ、ナイフで刺したのも生存を確認するためだったという。

地獄であえぎ苦しみ続けることを願う

 強姦は未遂に終わったが、恵美さんは死亡。被告は車に積んであったスーツケースに遺体を詰め、遺棄した。

 17日、公判2日目。被害者参加制度を使い、恵美さんの父親が意見を述べた。

「被告を許すことはできません。(中略)遺族は極刑を望みます。命をもって償ってください」

 母親が事件後の心境をつづった手記も読み上げられた。

《私の一番大事な愛しい一人娘を失って1年余りが過ぎました。未だに心の整理がつかず、写真や笑顔を想いだすたび、涙が溢れ、やるせない気持ちです。娘の笑顔がすべてでした。母の喜びでした。楽しい人生が送れるようにと願っていました。

 その願いも叶いません。(中略、被告が)地獄であえぎ苦しみ続けることを心から願います。私の心は地獄の中で生きています》

 代理人が手記を読み上げている間、母親はハンカチで目頭を押さえ、ずっと被告を睨みつけていたが、被告が表情を変えることはなかった。

「これまで被告からは反省も謝罪も一切ありません。罪の意識が乏しい印象です。罪状認否にも事前に用意した文章を読み上げて答えており、内心はうかがえません」

 と地方紙の記者は訴え、

「24日に開かれる審議の最後に被告が供述する機会があります。そこで何をしゃべるかが重要。このまま黙秘を続けられたら、何も明らかにされず裁判は終わります。それじゃあ、遺族は耐えられない」

 と、顔をゆがめた。

「この1年、空は天気でも晴れているって感じたことはありません」(前出・當山さん)

 判決は12月1日。被告は沈黙を破るのだろうか。