原田雅彦。雪印メグミルクスキー部監督を務めながらスキー連盟理事の要職にも就いている

「彼は45歳で飛んでいるんですから。金メダルをぜひ取ってほしいですね!」

 原田雅彦(現・雪印メグミルク監督)は4年後輩の葛西紀明選手にエールを送る。彼が出られなかった長野オリンピックで日本団体の大逆転勝利を演出したのが原田だった。

「日本が金メダルを取ると、世界中が思っていました。でも、私のジャンプがのびなかったことで、1本目を終えた時点で日本は4位。もしかしたらメダルを取れないんじゃないかと思いましたね……」

 リレハンメルオリンピックでまさかの失敗ジャンプを演じ、団体の金メダルを逃した悪夢が頭をよぎる。

「悪天候で2本目が中止になりかけました。4位で終わるところ、テストジャンパーが必死に飛び、再開が決定します。岡部選手と斎藤選手がいいジャンプをして私は3番目。

 1本目に距離がのびず、みんなが不安そうに私の顔を見ていたのを覚えています。でも、お客さんや関係者がひとつになって金を! と後押ししました。いや日本中がひとつになったのを感じましたね

 足の骨が折れてもいいと覚悟して臨んだ2本目は、137メートルの大ジャンプ。飛び終えると放心したような表情で「ふなき……ふなきぃ〜!」とラストジャンパー船木和喜選手の名を呼んだ。

「正直、2回目を飛び終わって本当に、ホッとしました。そうとうなプレッシャーを感じていたんだと思います。みんな原田が失敗するんじゃないかとハラハラしていたわけですから。

 その重圧から解放されて、ああいう状況に。フラフラになった中で囲まれて、質問されてもうまく答えられない。そのうちに船木の順番が来たので、 “ほら、金を取る瞬間だよ”と。“船木を見ようよ”と言いたかったんだけど、“ふぅなぁき〜ぃ”になっちゃったんです(笑)

 極限の状態で戦っていたのだ。使命感がパワーとなった。

「プレッシャーがないとダメです。そうでないと、結果が出ませんよ。私も初めての五輪はのびのびやれて楽しかった。経験を積み重ねるうちにプレッシャーがかかってきて、不安も大きくなる。でも、これがオリンピックなんだな」

 4年に1度のチャンスに向けて、ベストな状態にもっていかなければならない。

「実力だけではどうにもならないことも、努力して打ち砕いていくのが競技者なんです。結果を出すために自分でまじめにやるしかない。自分を見つめ、自分なりの努力をする。言われたことをこなしているだけの選手はダメですから」

 4年前のソチオリンピックでは、金メダル確実といわれた女子ジャンプの高梨沙羅選手がメダルを取れなかった。

「あのときは追われる立場だったけど、今度は逆の立場ですから。“私たちのほうが有利よ”と気持ちを切り替えてくれれば。男子の団体もいけると思います。葛西の調子が上がれば大丈夫。五輪チャンピオンというのはその日1位だった選手のことです。真剣に準備するしかありません」

 プレッシャーを楽しめば、きっと結果は出る!