白を基調とした洋装で皇居に入られる雅子さま。お声がけに丁寧に応じられた(1月10日)

「“雅子さま~!”と、お声がけをしたら、私たちの前で車の速度が落ちて、わざわざ車の窓を開けて笑顔でお手ふりしてくださいました。昨年以上にお元気そうなご様子だと感じましたよ」

 そう話すのは、車で皇居にお入りになる雅子さまを半蔵門で待っていた女性。

 1月10日の午前10時過ぎ、皇居宮殿・松の間で行われた『講書始の儀』に出席されるために皇居を訪れていた雅子さま。

「『講書始の儀』は、毎年1月に天皇陛下(84)が人文科学、社会科学、自然科学の各分野の権威者3人から合わせて約45分の講義をお受けになる行事です。

 美智子さま(83)や皇太子さま(57)などの皇族方も列席されるほか、日本学士院会員や日本芸術院会員なども陪聴します。

 雅子さまがこの行事に参加されるのは、'03年以来で15年ぶりとなりました」(宮内庁関係者)

 今年は、日本近世史を専門とする慶応義塾大学名誉教授の田代和生さんが江戸時代の日朝貿易について、ほかふたりも同様にそれぞれの専門分野についての講義を行った。

15年ぶりに雅子さまが出席されたのは、来年に迫るお代替わりの日を見越してのことだと思います。

 講義内容はなかなか難しいものでしょうが、勉強がお得意の雅子さまにとっては相性がよかったことも、今回の出席につながったのでしょう

 そう話すのは、皇室を長年取材するジャーナリストで文化学園大学客員教授の渡邉みどりさん。

 これは毎年の恒例行事なのだが、療養生活に入ってからの雅子さまが長年出席を見送られていたのは、この行事における“プレッシャー”が関係していたのかもしれない。

 宮内庁OBで皇室ジャーナリストの山下晋司さんは、当行事について次のように話す。

今年の『講書始の儀』では、日本史以外にも「認知科学」や「光化学」の講義も(1月10日)

「間内には皇族方以外に講義を一緒に聴講する陪席者が50人ほどいますし、ガラス越しに間内が見える報道室からは取材カメラが撮影しています。

 間内からは、報道室にいる人の顔がはっきり見えるわけではないのですが、人がいるのはわかりますので“見られている”という感覚はあるでしょう」

 心理学に詳しい東京未来大学こども心理学部長の出口保行教授も、'04年に診断された『適応障害』の療養中である雅子さまにとって、当行事は負荷が大きいものだとしたうえで、前向きな意見を示す。

ストレスのかかる状況に対して、雅子さまが努力されたのは、皇族としての責任感を強くお持ちだからでしょう。

『適応障害』の治療法として、今まで持っていた考え方以外にも目を向けさせるという手法があります。

 今回であれば、『講書始』を経験したことで、学者からの講義で素晴らしい学びを得られる行事なのだと、考え方がお変わりになる可能性もあると思います

『歌会始の儀』はご欠席に

 今回の経験が、ご本人にとってプラスに働いてほしいものだが、この2日後に行われた皇室の方々や一般公募から選ばれた和歌が詠まれる『歌会始の儀』のご参加は見送られることに。

 もしお出ましになれば、こちらも15年ぶりのことだったが、『講書始の儀』よりも参加のハードルが高いというのは、前出の山下さん。

「『講書始』は、ずっと着席したままで学者の講義をお聞きになるだけですが、『歌会始』は両陛下や自分の歌が詠まれる際には起立をしなければならないなどといった“所作の決まり”があります。『講書始』の2日後ということも不安材料となり、今回は大事をとられたのだと思います」

 決して難しくなさそうな決まりだとしても、療養中の雅子さまにとっては、ご負担になることもあるだろう。

「世間から見れば簡単そうな所作でも、雅子さまからすれば大変なストレスがかかっていることもありえます。

『歌会始の儀』は、医師の判断のもとで欠席されたと思われますが、15年ぶりに『講書始の儀』に出席したことが病状の回復につながる可能性はあると思います」(出口さん)

 『歌会始』にはお出ましにならなかったものの、確実に“前進”を果たしたといえる。

1月2日に着物姿で皇居に入った愛子さまだが、2日後に発熱された

 昨年12月の雅子さまのお誕生日では、次のように文書で感想を寄せられていた。

《できることが少しずつ増えてきましたことを有り難く、また、嬉しく思い、今後とも、快復に向けての努力を続けていきたいと思っております》

 皇太子さまの即位が来年5月1日に確定し、政府では皇位継承に関する準備委員会が立ち上がるなど、刻一刻とお代替わりの日が近づいていることも今回の出席につながったのだろう。

 一方で、とある皇室担当記者は、新年の“快挙”には愛子さまも関係していると話す。

昨年末の東宮職医師団の見解では、まだ雅子さまはご体調に波がおありだと発表しています。しかし、昨夏以降のように公務へのお出ましが増えたことが自信となり、次の公務の出席につながるといういい循環に入っておられるようです。愛子さまが高校生活に慣れて、自分の力で学校生活を楽しく送られていることも背景としてあると思います

 そんな愛子さまは、『講書始の儀』の数日前に体調を崩されていた。

「1月4日から冬休みを利用して、友人たちとスキー合宿に参加するため、長野県・奥志賀高原に滞在されていましたが、初日に発熱を伴って、医師にインフルエンザと診断されました。

 6日までに熱が下がるなど症状は安定して同日に帰京されましたが、9日から始まった3学期は数日間、休まれたようです」(東宮職関係者)

 '16年秋に愛子さまが体調を崩して学校を長期欠席された際には、看病によるお疲れを理由に岩手県での『障害者スポーツ大会』の開会式などを直前でキャンセルされたこともあった雅子さま。

 昨秋は、愛媛県での同大会に皇太子さまだけが出席されており、同日に愛子さまの高校の文化祭に2日間連続で訪れたことを“愛子さまファースト”と報じられてしまったのだが、今回は“公務優先”の姿勢をお見せになったのだ。

過去には、公務よりも愛子さまを優先していたことが世間から批判の的になったこともありました。

 しかし、今回のように愛子さまがご病気で休まれているさなかにも、重要な宮中行事に出席されるお姿からは、強い“覚悟”と“決意”が感じられましたね」(渡邉さん)

 15年ぶりに“45分の壁”を崩した雅子さまは、愛子さまの成長とともに歩みを進められている─。