3月5日発売の50周年記念レシピ『ボンカレー50』。フランス語のBON(おいしい)と英語のCURRY(カレー)を合わせ、語感のいい商品名

 誰もが1度は口にしたことがあるレトルトカレーの代表『ボンカレー』が、発売50周年を迎えた。カレーを国民食にした立役者といっても過言ではないその軌跡と、半世紀にわたり愛されてきた理由を探った。

世界初のレトルト誕生! 開発秘話&営業努力

『ボンカレー』が、世界初の市販用レトルト食品として発売されたのは1968(昭和43)年2月12日。軍用携帯食である真空パックのソーセージを見て、大塚食品の担当者が「1人前入りで、お湯で温めるだけで食べられるカレーもできるのでは」と、ひらめいた。

 もともと点滴液などを製造していたグループ会社の殺菌技術を応用し開発すること4年、半透明パウチに入った『ボンカレー』が完成した。

 ところが、レトルト食品を知らない小売店や消費者には、最初なかなか受け入れられなかった。消費期限が冬場でも3か月しかなく、店頭に並ぶ前に返品になってしまうことも。レトルトカレーに野菜や肉を入れて煮込もうとする人もいたため、パッケージには「牛肉・野菜入り」と大きく明記。当時人気の女優・松山容子をパッケージモデルに使ったが、苦戦した。

昭和レトロなホーロー看板。今ではプレミアムがつき、高値で取り引きされることも

 発売翌年の5月には、アルミパウチに改良され、消費期限が2年に。全国発売に乗り出し、PRのためにホーロー看板を使った。当時、約20人の営業マンが、1枚の重さ約2キロのホーロー看板15枚を抱え、小売店を1日60件以上回り、『ボンカレー』を置いてくれる店の軒下に、持参した金鎚(かなづち)で打ちつけていった。取りつけたホーロー看板の数は、数年間で9万5000枚にものぼった。

 そして、『ボンカレー』が不動の人気を築くきっかけが、’72(昭和47)年、落語家・笑福亭仁鶴が出演した、時代劇『子連れ狼』のパロディーCM。“3分間待つのだぞ”という台詞が流行し、レトルトカレーの食べ方も一気に浸透。翌’73年には年間販売数量1億食を達成し、1年間で国民1人につき1食は食べているほどの人気商品となった。

こだわりの手作りと箱ごとレンジに進化

 発売以来、“お母さんのカレー”をコンセプトにしてきた『ボンカレー』。玉ねぎ、にんじん、じゃがいもが入り、炒めた小麦粉が香ばしく、ドロッとしているのが特徴。発売当初より具材は変わらず、工場では冷凍野菜ではなく、生の野菜を人の手作業で皮をむいたり、芽をとったりして、手作りの食感と風味を出す工夫をしている。

 その一方、競合商品も多数登場し、人々の嗜好(しこう)が多様に。’78(昭和53)年に、フルーツや香辛料をたっぷり使った『ボンカレーゴールド』を発売した。

 2003(平成15)年には、湯煎から箱ごと電子レンジでできる調理に進化。’09(平成21)年、具材に国産野菜を使用した『ボンカレーネオ』を発売すると、’13(平成25)年には定番の『ボンカレーゴールド』も箱ごと電子レンジ調理になった。

 ’15(平成27)年、ボンカレー史上最高品質のプレミアムなカレー『The ボンカレー』を発売し、翌年には『ボンカレーゴールド』に使用の具材を国産化するなど食べる人のニーズに合わせて、味、材料、調理法の改良を重ねてきた。

フタをあけ箱ごと電子レンジにかけて2分で食べられる。忙しい女性たちの強い味方だ

「レトルトカレーには保存料が大量に入っている」と、いまだに思われているが、これは大きな誤解。19世紀、ナポレオン時代のフランスで、食品を瓶に詰めて密封し、それを湯煎で温度を上げて殺菌するという瓶詰が発明された。これと同じ手法で、瓶ではなくパウチ袋を用い、さらに加熱時に容器が膨張して破裂するのを防ぐために高圧をかけたのがレトルト食品。だから、保存料なしでも、食品を長期保存できるのだ。

 また、通常のレトルトカレーは、甘口をベースに辛味を加えて中辛、辛口にしているが、『ボンカレー』は甘口にはフルーツたっぷり、中辛にはビーフを多めにと、カレーのレシピ自体を辛さに応じて変えている。

 こうした消費者に寄り添い、安心・安全を常とした企業努力こそ『ボンカレー』が発売以来50年間、愛され続けた理由なのだ。

コラボ企画が続々登場!

 50周年を迎えた『ボンカレー』は、節目の年を迎えたり、接点を持つさまざまな企業とコラボ。エースコックの発売30周年を迎えた大盛りカップ麺『スーパーカップ』とコラボし、2商品が販売されている。大手農機メーカーのクボタとは、お互いに日本の農業を応援していることから、50周年を迎えるクボタの田植機の展示会に『ボンカレー』のパッケージカラー(赤、黄色、オレンジ)をイメージした田植機(非売品)が登場。今後もコラボ企画が予定されている。

『スーパーカップ』とのコラボ商品(写真左)、クボタの『ボンカレー』のパッケージカラーをイメージした田植機

沖縄は『元祖ボンカレー』が売り上げ9割!

 松山容子がトレードマークの『元祖ボンカレー』は、2003年に沖縄県以外では販売中止に。同県では『ボンカレーゴールド』なども販売されているが、『元祖ボンカレー』の販売数が9割を占めるそう。「いちばん最初のブランドを大切にする沖縄の県民性と、台風による船便遅延時の備蓄食として根づいているのが理由かもしれません」(大塚食品広報)。沖縄では、他社のレトルトカレーでも“ボンカレー”と呼んでいるそうで、まさに代名詞!

(取材・文/小山内美貴子)