霞ヶ関駅

 今から23年前の1995年3月20日(月)。春分の日の前日だが、東京の通勤ラッシュはいつもと変わらず激しかった。そこに、誰もが経験したことのない異常事態が起こったのである。

 8時6分、茅場町駅の駅員は、乗客から「異臭がする」との連絡を受けて、日比谷線(中目黒方面)に人が倒れているのを発見した。その2分後、八丁堀駅を発車した電車に、車内非常警報器が鳴り響いた。規定により、電車は次の駅(築地駅)まで運転されたが、車掌がドアを開けるやいなや、乗客が倒れ込むようにホームに飛び出した。8時14分、この電車の運転士は、

車内で白い煙発生、列車から降りたお客様がホームで倒れている

 と、運輸指令所に連絡する。実際には「白い煙」は発生していないが、列車火災が起きたと早合点したようだ。

 同じ頃、日比谷線の反対(北千住)方面でも同様の事態が起きる。

 8時5分、広尾駅では、車内に異臭のする液体がこぼれていると、乗客が駅員に訴えた。8時11分、その電車が神谷町駅に到着すると、乗客が「車内に異臭がして倒れている人がいる」と車掌に告げた。駆けつけた車掌は、車内に新聞紙に包まれた不審物を見つけて、これを運輸指令所に報告。電車は霞ヶ関駅で運転休止となった。

 不可思議な報告を受けた運輸指令所だが、8時35分、「日比谷線全線営業停止」を指令した。日比谷線全駅の乗客を避難させるとともに、駅係員や乗務員も避難するように指令したのである。

 ところが、異常事態は日比谷線だけはなかった。

 8時12分、霞ヶ関駅の千代田線ホームにJR常磐線からの直通電車が到着すると、ホームにいた2人の助役は、乗客から「車内が汚れている」と知らされる。2人は、車内に広がる液体を新聞紙でふき取ったが、まもなく倒れてしまい、そのまま帰らぬ人となった。

 8時26分、丸ノ内線の荻窪行が中野坂上駅に到着すると、急病人が発生しているとの訴えを、運転士が乗客から受ける。車内には異臭のする袋が2つ残されていたが、これを駅員が事務所に持ち帰り、そのまま警察に引き渡した。この電車は荻窪駅で清掃されたが、折り返しの新高円寺駅で回送になる。

 丸ノ内線の反対方面では、30分以上も不審物の発見が遅れた。8時43分、本郷三丁目駅の駅員により、ようやく不審物が車外に出された。

 9時12分、警察からの要請により、千代田線、丸ノ内線では霞ヶ関駅が通過扱いになった。この時点で警察は把握したかもしれない。これは、霞ヶ関を狙ったテロなのだ。日比谷線、千代田線、丸ノ内線とも、霞ヶ関駅を通る路線である。

 事件の2日後、オウム真理教の教団施設に強制捜査が入った。

 オウム真理教は、当時大きな社会問題になっていた宗教団体だ。出家した家族が帰らなくなり、不気味な教団施設が地元住民の反発を受けていたが、教団幹部や教祖の麻原彰晃(本名:松本智津夫)がメディアに出演して、教団批判への反論を繰り返し、異様な“劇場”を世間に見せつけていた。

 そのような宗教団体であるにも関わらず、甘いマスクを持つ教団幹部に女性ファンがつき、歌って踊る女性信者の美貌が話題になり、教団に魅せられる若者が絶えなかった。一方で、教団から多数の候補者が国政選挙に立候補するなど、不気味さを増していた。

 オウム真理教は、密かに化学工場とも呼べる施設を作り上げて、化学兵器であるサリンの生成に成功していた。しかし、警察による強制捜査が近いことに気づいた麻原は、証拠を消すべく、生成したサリンを破棄していた。

 そのため、地下鉄サリン事件では純度の低いサリンを使うしかなかった。地下鉄サリン事件は、死者13名、負傷者約6,300名という甚大な被害を出したが、もしも純度の高いサリンが使われていたならば、はるかに大きな被害になっていたのだ。

 逮捕された教団幹部の中には、慶応大学医学部出身の心臓外科医で、石原裕次郎の手術チームの一員にもなった男がいた。千代田線の実行犯、林郁夫である。彼だけでなく、オウム真理教の信者には理系エリートが多い。日比谷線の北千住方面の実行犯は、東京大学の博士課程まで進んだ豊田享で、丸ノ内線の荻窪方面の実行犯は、早稲田大学の修士課程まで進んだ廣瀬健一である。

 オウム真理教は、空中浮遊などの荒唐無稽なことも唱えていた。そこに、高い教育を受けた彼らが入信し、サリンの生成を成功させるなどして、無差別大量殺人へと突き進むのである。

 事件の日、実行犯たちは、先を尖らせた傘とサリンの袋を持ち、それぞれ地下鉄に乗り込んだ。一瞬、良心の呵責(かしゃく)を覚える者もいたが、オウムの論理に従って犯行に及んだのだ。

 廣瀬は、車内でサリンの入った袋を取り出そうとしたとき、包んでいた新聞紙が音をたてて、前に立っていた女子中学生に振り向かれそうになった。思わず手を止めて、電車が駅に到着すると耐えられずに降車したが、「これは救済なんだ」と言い聞かせて、後方の車両に移って乗りなおす。そして、サリンの入った袋を床に落とし、傘の先で突き刺したのである。

 犯行を終えた実行犯たちは、麻原彰晃の指示によって「グルとシヴァ神とすべての真理勝者に祝福されポアされてよかったね」と一万回唱えた。ちなみに、オウム真理教では、「ポア」は殺人を意味する言葉である。無差別殺人の実行犯に、良心の呵責を起こさせない洗脳を施したのだ。

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 洗脳された人たちの犯罪は、自供が得られないので解明が難しい。地下鉄サリン事件も、最初は実行犯の特定すらできなかったが、林郁夫が自供を始めたことで捜査が動き出す。

 林郁夫は、

「乗客の安全や電車の正常運行の確保という強い使命感から、文字通り身を挺して殉じた地下鉄職員の崇高な行動と、本来医師として人の生命や健康を守るべき使命を与えられているはずの自分が引き起こしたおぞましい無差別殺人行為を比べ、あまりの落差の大きさに雷を受けたような強い衝撃を受け、麻原のまやかしに気付き、自分のとった行動が誤っていたと確信し」、

 事件について語ることを決意したという。

 殉職した営団地下鉄の職員の姿が、事件の突破口となったのだ。林郁夫の自供が始まりとなり、麻原を見限った弟子たちが次々に証言を始めた。追い詰められた麻原は、コミュニケーションが取れない状態に陥り、ついに自ら事件について語ることはなかった。

 現在、オウム真理教の裁判は終結して、次の焦点は死刑執行に移っている。すでに「オウム真理教」を名乗る宗教団体は消滅し、地下鉄サリン事件の記憶も薄れつつある。

 しかし、オウム真理教の後継団体は存続しており、今でも麻原を「開祖」と位置づける団体があるという。オウムへの監視は怠れない。


文)佐藤充(さとう・みつる):大手鉄道会社の元社員。現在は、ビジネスマンとして鉄道を利用する立場である。鉄道ライターとして幅広く活動しており、著書に『鉄道業界のウラ話』『鉄道の裏面史』がある。また、自身のサイト『鉄道業界の舞台裏』も運営している。