配偶者の死後も離婚を望む人が増えている(写真はイメージ)

 離婚したい。

 そう思うのは、配偶者が生きている時だけとは限らない。
 相手は死んだけど、できることなら今からでも離婚したいーー

 実はその思いは叶(かな)う。それが「死後離婚」と言われている手続きだ。

民法第728条(離婚等による姻族関係の終了)
(1)姻族関係は、離婚によって終了する。
(2)夫婦の一方が死亡した場合において、生存配偶者が姻族関係を終了させる意思を表示したときも、前項と同様とする。

 実際には「死後離婚」という制度があるわけではないが、上記の法律に従って、自らの意思を持ち「姻族関係終了届」を出せば、夫もしくは妻、そしてその親族との姻族関係を終了することができる、というわけだ。

増える「死後離婚」

 2005年に1772件だった「死後離婚」の提出数は、2015年には2783件と10年で1000件以上増えている。

「生前離婚」だと、配偶者の財産を相続する権利や遺族年金を請求する権利を失うが、死後に「姻族関係終了届」=「死後離婚」を届ければ遺産は相続でき、遺族年金も請求できる。

 この届け出ができるのは、生存する夫または妻だけで、配偶者の親など相手の親族の同意などは不要。一方で、義父母のほうから妻や夫との親族関係を終了させることは認められていない。

 夫や妻の死後、最も面倒なのはその家族との関係だ。例えば義父母などが生活のために経済的な援助を必要としている場合、扶養する義務を負うのは、原則として直系血族および兄弟姉妹。しかし、民法は877条で「特別の事情があるときは、三親等内の親族が扶養義務を負うこともある」と規定している。

 また民法730条で、「同居の親族は互いに助け合う義務がある」とし、同居している場合、互助義務を負うことになっている。つまりは面倒な関係は、そのままであれば断ち切れないのである。

「死後離婚」が増えている理由はそこにある。

 家制度の元での「嫁」的役割は消えたかと思われていたが、現実には夫が死亡した後も、妻たちを追い込んでいるのだ。

相続しないと納骨もできない

 こうした家制度の「遺風」は戦後、新憲法下で行われた個人の尊厳と男女の本質的平等に基づく民法改正で、一掃されたものではなかったのか。

 実は、そうではなかったのだ。

 先日、私の義父が亡くなった。子も親戚も遠くに散らばっているので、なるべく法要と納骨などは同じ日にやりたいと言うことになり、墓地の管理組合に連絡すると、墓石に戒名などを掘るためにも、まずは墓を相続しろ、とのことだった。ほどなく、相続のための書類が送られてきたのだが、そこには家系図とともに、「妻」「長男」「次男」等を記入する欄もあった。

 義父が名義人である墓に本人はそのままでは入れない。必ず「相続」しなければならない。つまりは必ず「墓守」を決めないといけないのだ。

 それは昭和も越え、平成も終わろうとしている現在、まさかお目にかかるとはに思ってもみなかった手続きの数々だった。

 その源泉は「祭祀条項」にある。

戦後民法改正時の「祭祀条項」を巡る争い

 戦後、「家」制度が廃止され「法律上の家」はなくなり、当然、長男単独相続を原則とする家督相続の特権とされたこの「祭祀条項」(旧987条)も消える運命にあった。

 ところが、だ。なぜか祭祀条項は民法相続編に897条として残ることとなった。897条は祭祀継承者について、

(1)被相続人の指定、(2)指定のないときにはその地方の慣習、(3)指定もなく慣習も明らかでなければ家庭裁判所の調停・裁判によって決定する

 と規定したのだった。

 加えて明治民法にもなかった条文ーー婚姻の解消・取り消し、離縁、縁組みの取り消しの時の祭祀事項が親族編(769条、771条、751条2項、749条、808条2項)に新たに規定された。系譜、祭具及び墳墓の祭祀財産は、一般の財産相続の原則とは別に、特定の者が「祖先の祭祀を主催すべき者」として承継することとなった。

「その地方の慣習」などという微妙な線引きを法律事項に書いて、実質は「長子相続」を残したというわけだ。

 現行民法は1946年7月から改正の具体的作業に入り、第七次案まで議論をされて、翌年の国会審議を経て現行民法となったのだが、「祭祀条項」が残ったのには理由がある。

 保守派への配慮なのだ。他の法律を通すための「駆け引き」と言ってもいい。

 つまり、「家」制度を廃止する変わりに「祭祀条項」を入れ「財産相続の別枠」とすることによって、「家」制度擁護を強行に主張する保守派の抵抗を弱めるための妥協的政策だったのだ。

 推進派は保守派に、ここで廃止するのはあくまで「法律上の家」制度だと強調した。「我が国古来の淳風美俗とされた家族・家庭生活を否定するものでも、また祖先の祭祀を重んじる国民感情や習俗をなくすものではない」と、この「祭祀条項」を掲げながら、建前上の詭弁(きべん)を言ったのだ。

「祭祀条項」を置くことで他の民法改正が一気に進むのであればそれでよい。新憲法に従い、自由に生き方の選択肢を増やそうと思っていた改正派の人々にとっては、福音とも言えたのだ。実際「この規定があることによって、民法に対する攻撃とたたかうのがある程度楽になったとするならば、霊験あらたかな規定」であるとまで言われた。

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 しかし、実際はそう甘くはなかった。結局、保守派が望んだように、民法897条の「祭祀条項」は「家制度」温存の「隠れ蓑(みの)」とされ、特に相続編の「身分関係変更による生前承継」の規定は、「民法をよく検討した人でなければ見つけることができない」といわれるほど、親族法の各所に細かく分散して、今の今まで生き続け、特に「嫁」と呼ばれてきた女性たちを縛っているのである。

「祖先の祭祀は氏を同じくする者によって主宰される習俗を尊重するものであって、氏に結びつけられた法律効果であることは明らか」だったと言われるように、それは「夫婦別氏制度」への転換がうまく行かないことにもつながっている。

 実は、日本は伝統的に夫婦は別氏で、同じ氏と決まったのは明治31(1898)年のこと。むしろ最近の話なのであるのだが、こうして見てくると、法律制定時の二派の闘いと、立法時にいくつもの仕組まれた「罠」と「穴」が、今も私たちの暮らしの中で作用していることに気がつくのである。

(文/井戸まさえ)

<プロフィール>
井戸まさえ
1965年生まれ。東京女子大学卒業。松下政経塾9期生、5児の母。東洋経済新報社記者を経て、経済ジャーナリストとして独立。兵庫県議会議員(2期)、衆議院議員(1期)、NPO法人「親子法改正研究会」代表理事、「民法772条による無戸籍児家族の会」代表として無戸籍問題、特別養子縁組など、法の狭間で苦しむ人々の支援を行っている。近刊に『日本の無戸籍者』(岩波書店)。