与那国空港付近では、日の丸の小旗を持った多くの地元住民に歓迎された(3月28日)

「両陛下としては最後の沖縄訪問だと思ったので、“絶対にひと目だけでも……”と思っていました。

 美智子さまの素敵な笑顔が一生の思い出になりましたよ」

 そう話すのは、沖縄県内でおふたりを奉迎した那覇市に住む主婦。

 天皇・皇后両陛下は、3月27日から2泊3日の日程で約4年ぶりに沖縄を訪問された。

 初日、まず最初に向かわれたのは、糸満市の『沖縄平和記念公園』だった。

「公園内の沿道には、約600人の市民が“ご来県ありがとうございます”などと横断幕を掲げ、両陛下を歓迎していました。

 『平和祈念堂』で拝礼したあと、『沖縄戦没者墓苑』に移動して白菊の花を献花し、戦没者を慰霊されました。

 その場に立ち会った遺族らに“がんばってこられましたね”などと、ねぎらわれていましたね」(皇室担当記者)

 両陛下は毎回、沖縄入りするとすぐに戦没者墓苑にお立ち寄りになる。

 その理由を、皇室を長年取材するジャーナリストで文化学園大学客員教授の渡邉みどりさんは次のように話す。

現在の両陛下は、'75年に沖縄を初訪問されたのですが、当時はまだ遺族が多く存命されていて、複雑な感情が県内に残っていました。

 そのときのご経験が、現在までおふたりが続けている“慰霊の旅”の原点につながっているのでしょう。

 “火炎瓶”が飛んだ初訪問から40年以上になりますが、両陛下は今でも沖縄に対して強く心をお寄せになっていると感じます

 この翌日には、日本最西端の与那国島を初訪問された両陛下。

与那国馬とのご交流では「ほかの在来馬はどんな馬がいたかしら?」と質問も(3月28日)

 まず、島の東北部に位置する『東牧場』で“与那国馬”と触れ合われた。

「最初に与那国馬のおとなしい性格や在来馬であることをご説明いたしました。

 ほかにも観光乗馬や、本島では障害者乗馬としても使われていることをお話しすると、美智子さまが、“イギリスで障害者乗馬を見たことがある”と、おっしゃっていましたね。

 ご興味がおありだったのか、ほかにもいくつかご質問をいただいて、予定の時間をオーバーしたほどでした」

 そう話すのは、このときにおふたりを案内した西山博史さん(38)。

 陛下は幼いころ、宮古馬に乗ったことがあるそうで、当時を思い出されていたのかもしれない。

 ご昼食のあとの与那国町内にある久部良小学校では重要無形文化財の『棒踊り』を鑑賞された。

 このときの両陛下のご様子を、『与那国町伝統芸能伝承保存会』副会長の田頭政英さん(73)はこう語る。

「棒踊りというのは、小刀と普通のものよりも大きい2メートル弱の“なぎなた”を組み合わせた独特な踊りなので、演舞の前に1分ほどご説明させていただきました。

 “この踊りは約300年前からあるんですよ”と申し上げると、両陛下はとても驚かれていましたね。

 2つの演目で約9分間の演舞でしたが、以前から棒踊りに関心をお持ちになっていたようで、とても興味深そうにご覧になっていました」

美智子さまの「神対応」とは

 踊りが終わると、美智子さまは予定外の“神対応”をとられたという。

「棒踊りが終わったあと、演目に参加した計12名に、両陛下から近寄ってお声がけを始められたのです。

 地元の小学生には、“どうでしたか、うまくできましたか?”とか、“よく踊れましたね。長い間、練習したんでしょう。疲れなかった?”と、とても優しい笑顔で皇后陛下が話されていました。

 その後、太鼓を受け持った演者たちにも、ひとりひとり、ねぎらいのおことばをかけていて、みんな感激しっぱなしでした。

 しかも、このお声がけは予定になかったものだったそうで、演者たちも“驚いちゃった!”と話していましたよ」(田頭さん)

 ほかにも日本最西端の碑がある『西崎』や、地元の漁業組合でクロカジキをご覧になるなど、計5か所を見て回られた。

地元小学校で与那国島伝統の“棒踊り”を鑑賞されたあとに“予定外”のお声がけを

 今回のご訪問に、島民は感動していたというが、その中でも特に思いを馳せていたのは、'86年に与那国島の海底に壮大な遺跡を発見した新嵩喜八郎さん(70)。

 この海底遺跡を9年の歳月をかけて調べた全貌が、'95年にさまざまな新聞の1面を飾ったのだ。

 そして今年、30年間撮りためてきた写真をまとめた写真集『神々の棲む海』を作製したそうなのだが、これが美智子さまの目にとまったという。

海底遺跡や島の風景などを盛り込んだ40ページほどの写真集なのですが、今回の与那国島ご訪問にあたり、資料として両陛下のお手に渡ったのだと思います。

 それをご覧になった皇后陛下が、“素晴らしいお写真ですね”とおっしゃっていたと人づてに聞きました。

 さらに今回、与那国島でおふたりが食事をされているときにも“与那国の海底遺跡はどうなっているのですか?”と、興味を持たれていたそうです。とてもありがたく、喜ばしいことだと感じています」(新嵩さん)

 沖縄本島から500キロ以上も離れた与那国島に、両陛下がいらっしゃったことには特別な意味があると話す。

「両陛下が足を運ばれたことは本当にうれしくて、これで与那国島も本当の意味で“本土復帰”を果たしたと感じました。

 島民もみな、たいへん喜んでいて、両陛下としては最後だったと思いますが、在位中にいらっしゃったことは、日本人として涙が出るほどうれしかったです」(新嵩さん)

 '45年に沖縄本島に上陸した米軍との地上戦は、熾烈を極めた。

 戦後も苦難の道を歩み、米軍施政下から本土復帰を果たしたのは'72年のことだが、両陛下の与那国島へのご訪問は1度もなかったのだ。

 今回の与那国島訪問は、島民にとっても“悲願”だったにちがいない。

「両陛下は日ごろから国民のことをお考えになっていますが、とりわけ遠方の島々に心を砕かれています。

 日本各地の離島を訪問することで、おふたりがかねてから願う“国民統合”を果たそうとされているのでしょう。

 今回の日本最西端にある与那国島へのご訪問もその一環でしょうし、島民もさぞ胸を打たれていると思いますよ」(渡邉さん)