東海村元村長「脱原発をめざす首長会議」世話人・村上達也さん

 原発がある自治体の首長という立場ながら「原発は地域にとって疫病神」と、明確にNOを突きつけてきた茨城県東海村の村上達也元村長。原発は地域や住民に何をもたらし、何を奪うのか?

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「何なんだよ、この国は」

 日本には原発を作る技術はあるけれど、それをコントロールする能力がない。思想もない。1999年のJCO臨界事故と2011年の福島第一原発、この2つを経験して以来、そう確信するようになりました。

 臨界事故が起きたのは村長になって2年目。日本の技術は世界最高で、原子力施設は多重に防護されているのだから放射能が外に漏れ出るおそれはない。したがって、避難の必要もない、と当時は喧伝されていました。

 国や自治体が原発の防災計画を作るときの指針にも、そう書かれていた。仮想事故といって、まず起こるはずがない事故なんだから、具体的な対応は必要ないんだとね。

 でも、現実を見てごらんなさい。臨界事故を起こして、中性子線という放射線が外部に飛び出しているのに、県は屋内退避でいいと言う。国とは連絡もとれない。一方で、JCOの職員は全員が避難したという。(旧日本軍の)関東軍みたいだな、と思いましたよ。

 JCOの塀の付近で放射線を計測すると、ガンマ線が検出されて、毎時0・84ミリシーベルトという高い数値でした。そのため独自に判断して住民の避難を決めたのですが、このとき、まだ県は災害対策本部を設置していませんでした。何なんだよ、この国は。安全神話に安住している国に安全はない。そう強く感じましたね。

 その思いに追い打ちをかけたのが福島第一原発事故です。あのときは4基すべてが全滅してもおかしくなかった。自分の足元にある東海第二原発(茨城県)も危なかったと、あとから知りました。女川原発も福島第二原発も実は、紙一重で助かった。これだけ多くの原発が、福島と同じように全電源喪失という恐怖のなかにあったわけです。

3・11に福島原発に近い危機的状況だった東海第二原発

 福島原発に対する国の事故対応は支離滅裂、泥縄式というものでした。住民の保護より原発政策の維持を優先して、住民を放射線のなかに野ざらしにした。そのうえ、事故からわずか3か月もたたないうちに「安全宣言」を出した。

 飯館村なんかまだ避難を終えていない、事故の原因究明も、検証もされていないうちにですよ。だから事故が起きるんです。目先の利益のため、最悪のケースを想定しない国に原発を持つ資格はない。やめるべきだと思いましたし、福島原発の事故以来、堂々とそう言い続けてきました。

 とはいえ、原発がなくなれば地域が立ち行かなくなるんじゃないか? そうした意見はよくありますし、メディアからもよく聞かれますが、私はそうは思いません。むしろ原発は地域振興にならない。安易に入ってくる金は、町や人をだめにしてしまう。

 原発は国策として、カネと機動隊の力によって、全国に54基も建てられてきました。東海村の場合、原子力の研究施設を置くという話に原発がくっついてきたので、少し事情が異なりますが、原発が地域に貢献しないという本質の部分は変わりません。

 雇用を生むといっても、運営会社が雇う人数は限定的。3次下請けあたりまでは東京に本社がある会社から、そこの社員が派遣されてきたりしている。それに、地域経済が活性化するというなら、原発銀座に居並ぶシャッター商店街をどう説明できるのか。

 例えば福井県小浜市は、原発立地計画が何度も立ちあがっては阻止してきたけれど、食の文化を大事にする歴史があり、地域の伝統産業も盛んです。敦賀原発のある敦賀市は越前市と人口が同じくらいなのに、工業製品の出荷量は越前市のほうが4倍も多い。原発があるからといって町が活性化しているわけではありません。

 福島県双葉町の井戸川元町長は、原発事故のあと、「町を追われて、よその町に来てみたら、文化施設も建物も何も変わらない。原発がなくても同じだった」と話していました。

 自然エネルギーの世界的潮流に日本は乗り遅れている状況ですが、発送電分離が進み、電力自由化が定着すれば、原発頼みの町づくりから転換しなければなりません。そのときは、いずれ必ず訪れるのです。

※地名の間違いを修正しました(2018年4月24日)