2017年、週刊女性のインタビューに応じる御嶽海

 3横綱に続いて新大関の栃ノ心、さらには琴奨菊まで休場して相撲ファンに悲鳴をあげさせた名古屋場所もいよいよ残すところあと2日。

 優勝争いのトップを行くのは、大関の次のランクにあたる「関脇」の御嶽海(みたけうみ)。長野県出身、1992年12月25日(クリスマス!)生まれの25歳。フィリピン出身のお母さんマルガリータさん似のベビーフェイスで明るい性格。ニックネームは、みーたん。東洋大学時代に学生チャンピオン&アマチュア横綱に輝いた実力者だ。

場所ごとにバスツアーを決行

 その、御嶽海と言って相撲ファンならすぐ思い浮かぶのが、大応援団。

 たとえ本場所に足を運ばなくとも、TVの中継画面を見るだけで一目瞭然!「御嶽海」と大きく書いた揃いのタオルを掲げた、まるで矢沢永吉ファンのような御嶽海ファンが毎場所、連日のように会場のあちらこちらにいて、大声援を送る。

 初めてそれに遭遇する人は「何事が起こったんだ?」と驚くほどだが、TVの中継は慣れたもので、アナウンサーは「御嶽海への長野県からの応援団が今日も来ていますね」と淡々と言う。

 確かに大相撲の世界では、相撲ファンがそれぞれ地元出身の力士を応援することはよくある。しかし、御嶽海を応援する長野県民パワーは並はずれてすごい!としか言いようがなく、どうしてここまで応援するのか? 初優勝への期待に、さらに応援にも力が入る地元の熱心なファンの方に話を聞いてみた。

 話をしてくれたのは大の御嶽海ファンで、同郷の長野県木曽郡上松町(あげまつまち)で文房具店を営む原英紀さん(75歳)。御嶽海が角界入りをした2015年から応援している。

「後援会にはもちろん入ってるだね。御嶽海の家は私ん家から700~800メートル離れたところにある。上松は山ん中も中、小さな町で、車で町を行こうものなら端から端まで10分もかからんで、あとは山、山、山。人口も4500人ぐらいしかおらんしな。

 そういう土地だで、全国一クラス、全日本クラスのスポーツ選手が出るようなことはないし、過去に大物言うたら島崎藤村(旧木曽・馬篭出身の明治の作家)ぐらい。そんなところに毎日スポットライトを浴びる関取が誕生したら、そりゃ町をあげて応援するのはあたりまえだで。

『上松元気会』という町おこしの会のみんなで、御嶽海を応援しちょる。会員は500人以上おりますわ。場所ごとに地元の後援会は2~3回バスツアーを募集して、大勢で行きよるで」

御嶽海の勝敗が、挨拶がわり

 木曽郡上松町は、長野県南西部に位置する、駒ヶ岳のふもとの小さな町。町のホームページには「ひのき里」とある。

 御嶽海は2015年3月場所にデビューして勝ち越し。翌5月場所には十両(関取)に上がるとんとん拍子の出世で、小さな町は突如、誕生した大相撲のスターに、沸きに沸いているのだ。

2017年、週刊女性のインタビューに応じる御嶽海

「なんちゅったって町にはそうそう話題もないから、挨拶がわりに『今日は勝ったな』とか『明日はどうなるんや』って、場所中は毎日がそんな。町の話題の中心が御嶽海なんだなぁ。それがだんだんと長野県全体に広がっていった。

 長野県の人は昔から地元愛が強いで。山の多い長野県では集落は谷づたいにあり、昔は隣の集落に行くには、山を越えて谷を降りなきゃいけない。自然と、人と人のつながりが強くなって、よう話し合うようになった。それが長野県民。そんなだから御嶽海の応援にみんなが燃えるわけだ」

 なるほど、急しゅんな山の多い長野県という土地柄で、強い連帯感が芽生える県民性ゆえか。

 さらに言えば長野県、昭和の時代はスポーツの弱い県の代表とも言われた時代もあったとか。高校野球も出たら負け……。

 大相撲の世界で言えば、御嶽海は長野県出身関取としては7人目で、十両昇進は37年ぶり、幕内昇進は39年ぶり、三賞受賞は65年ぶり、三役昇進は84年ぶりという、本当に久々の長野県出身の相撲界のスターだ。

 さらに今場所に優勝すると、長野県出身力士としては江戸時代に活躍した伝説の力士、雷電(らいでん)以来、200余年ぶりというから、御嶽海、そりゃもう、長野県民なら応援するしかないでしょう! 

 さらに御嶽海は「相撲を見てればわかるだろうけど、土俵際で相手を負かしてもダメ押しせずに、かばうようなところがある、気持ちの優しい子。素直で、でも芯の強いとこもある」と、文房具店の原さんもメロメロ。御嶽海、愛される人柄なのだ。

 そして、もうひとつ、愛される大きな理由がある。

地元新聞社は写真集を2冊も出版!

 それは2014年9月27日に起こった御嶽山(おんたけさん)の噴火。火口付近に居合わせた登山者ら58名が亡くなり、5名が行方不明のままだ。御嶽山に近い木曽の観光も打撃を受けたし、何より木曽の人たちの心が沈んだ。

 そんな時期に登場した御嶽海には、木曽の人たちの夢と希望が託された。今も「長野県木曽郡上松町出身」と場内アナウンスが流れ、それがTVで放送されるだけで「あれがなんともいえんのだよ。ありがたい。あれが最高なんだよ」と原さんもしみじみ言う。

和田靜香氏の私物。信濃毎日新聞刊の、御嶽海写真集

 長野県の新聞社、信濃毎日新聞もそんな御嶽海を応援しようと、場所中に一面トップはあたりまえ、関取になった、三役になったといえば号外を出し、御嶽海だけギッシリ詰まった写真集も、これまで2冊も出版している。いや、もう、そのページを繰るだけで地元の熱気と愛が伝わってくる。すごい!

 ちなみに優勝したら祝賀会やパレードはやるんですか?と原さんに聞くと、

「優勝パレードとか上松でやりたいけど、これまでそんなことなかったで、やり方がわからんですよ。優勝の瞬間や授与式はパブリック・ビューイングっての? 上松町公民館でみんなでやりたいと思いますけどね」

 と、なんとも素朴な答えに、こちらもなんだか全力で応援したくなる。

 なるほど! こうやって御嶽海応援団、どんどん増殖していくのか! 長野県民パワー、おそるべし。


和田靜香(わだ・しずか)◎音楽ライター/スー女コラムニスト。作詞家の湯川れい子のアシスタントを経てフリーの音楽ライターに。趣味の大相撲観戦やアルバイト迷走人生などに関するエッセイも多い。主な著書に『ワガママな病人VSつかえない医者』(文春文庫)、『おでんの汁にウツを沈めて〜44歳恐る恐るコンビニ店員デビュー』(幻冬舎文庫)、『東京ロック・バー物語』『スー女のみかた』(シンコーミュージック・エンタテインメント)がある。ちなみに四股名は「和田翔龍(わだしょうりゅう)」。尊敬する“相撲の親方”である、元関脇・若翔洋さんから一文字もらった。