日本で結婚式を挙げたニューヨーク出身のタラさん。現在は名古屋に住んでいる(写真:タラ・カミヤさん提供)

 正真正銘のニューヨーカー、生粋のクイーンズガールだったタラ・カミヤさん。だが寿司職人との運命的な出会いにより、現在は和食レストランのマネジャーとなった彼の妻として、そして彼との3人の子どもを持つ母親として名古屋で暮らしている。

 実はタラさんも、おむつ交換と保育園と幼稚園の送り迎えの間をぬって続けたブログに人気が出て、すでに自らのオンラインビジネスでも成功している。

 できれば別の機会にでも、ニューヨーク出身の黒人女性が日本でどのように”家事する起業家”へ転身したのか聞きたいが、今回はタラさんが日本人男性との結婚で得た幸せな気づきを紹介したい。

当記事は「東洋経済オンライン」(運営:東洋経済新報社)の提供記事です

日本人のパーティに「潜入」

 タラさんに人生の大転機が訪れたのは32歳の時だった。ロウアー・マンハッタンのクラブで友だちと楽しんでいた夜だ。そのクラブにはフロアがいくつかあることがわかり、ほかの階も探ってみようということになった。

 その1つで偶然、個人のパーティに出くわした。参加者の大半はアジア人。それが日本人であると知ったタラさんは「誰か一人と話してみせるわ」とパーティに潜入することを決めた。

 その理由を「それまで一応3年間くらい日本語の勉強をしていたの。日本にもいつか行きたいと思っていた頃よ。だから、本物の日本人と日本語で話すチャンスだと思ったの」とうれしそうに話す。

 パーティ会場ではライブペインティングが行われていたのでそばで眺めていると、日本人の男性が話しかけてきた。「ヨウヘイ(洋平)」と名乗るその男性は、この作品は気に入ったか、とタラさんに尋ね、アーティストは自分の友達だと話す。

 男性のブロークンイングリッシュを聞き、タラさんは日本語で話すチャンスを確信。思い切って日本語で自己紹介をして、記憶にあったほかの日本語も使ってみた。男性はタラさんの学習努力に感心した様子だった。

「彼は『君は変わった黒人女性だね』って言ったわ(笑)。そして『何か飲む?』って聞いてくれたから『もちろんよ!』って答えたわ」

 ふたりはしばらく一緒に過ごした。お酒を飲み、限られたお互いの語学力を最大限に駆使して会話を楽しんだ。最後のほうになってようやく洋平は、自分がマンハッタンのアッパー・イースト・サイドにある寿司レストランのシェフだと告げた。そして、もしよかったら自分の仕事を見に来ないか、とタラさんを誘った。

「当時の私はまだ“ちょっと軽めな女”って感じだったのね」と懐かしそうに笑う。

「だから単純に『やった!タダで寿司が食べられる!』って感じだった。頭に浮かんだのは本当にそれだけ。その時はまさか彼と結婚するなんて思ってもないし、一目ぼれしたわけでもなかった。ただ『この人は日本人だから、この人と話せば日本語の練習になる。それに食事もタダで!』って考えて彼のお店に行くことにしたの」

神様のお告げがあったような感覚に

 だが、洋平さんが働く寿司レストランに行き、同じ空間で時間を共有してみると明らかに違った気持ちを抱くようになった。「小さくてかわいいお店だったわ」と振り返るタラさんから、当時の初々しいふたりが感じられた。

「私はカウンターに座って、彼が寿司を握る。次々にきれいなお寿司を出してくれたわ。そして感じたの、とっても大きな『幸せ』を。うまく説明できないけど、すごく不思議な感覚だったの。たとえるなら、心が温かくなるような感じで、お寿司と日本酒で酔ったかとも思ったんだけど、それだけじゃなかったのよね」

「世の中には、神のお告げが聞こえるなんて言う人がいるじゃない? 陳腐に聞こえるかもしれないけど、あの時まさに神のお告げが聞こえたわ。

『この男があなたの夫だ』っていう声よ。本当にすごく変な感覚だったの! もうまじまじと彼を見つめて、ずっと声の意味を考えたわ。『この人が?本当に?私の夫? 神様、本気なの?アジア人よ?マジで?』って(笑)」

 この最初のデートの後、ふたりは付き合い始めた。当時ハーレムにあった洋平さんの自宅と、ブロンクスのタラさんの家を往復する10カ月間を経て、タラさんはプロポーズを受けることになる。

「家で映画を観てる時、彼が突然『ビールを買ってくる』と言って出て行ったの。そして戻ってきたらプロポーズされたの。いきなり指輪を取り出してね。それもブロークンイングリッシュだった。驚いて思わず『ビールじゃないわよ、それ!』なんて言っちゃったのよ」

 それから数カ月後には結婚。やや急ぎぎみだったのは、ちょうど洋平さんのビザの問題もあったからだ。結婚すれば迅速に、何よりも低予算でビザ問題も解決できるとふたりは考えていた。「急いで落ち着かないと時間がもったいないような気持ちがしたのね」。

まさかの展開で配偶者ビザをゲット

 洋平さんの配偶者ビザに避けて通れない米国移民局での面接は、忘れられないほど厳しかった。多様性を極めた世界一の大都市でさえもふたりの結婚は疑わしかったのだ。

 

タラさんと洋平さん(写真:タラさん提供)

「洋平の英語もブロークンイングリッシュだったけど、審査官がジャマイカ出身の人だったのよ(笑)。独特のアクセントが強くて、私には理解できたけど洋平には難しかった。

 途中から私に『何て言ってるの?』って日本語で聞いてくるし、審査官からも『ご主人の言っていることが本当にわかるんですか?』なんて言われた」

「結局問題を解決したのは、私が日本語で話したこと。審査官は私が日本語を話した瞬間“信じられない!”って顔をしていたわ。『あなた本当に日本語が話せるのですか』って聞かれたのよ。彼にとってはまるで犬が話しているみたいに見えたのかしらね(笑)」

「だから『ええ、もちろんよ! だから言ってんじゃない、私たちは夫婦のふりをしているわけじゃない、夫婦なのよ』って言ってやったわ。そしたらすぐにスタンプを押してくれたの。『オーケー!じゃお幸せに!』って」

 彼女の話を聞きながら、この結婚によってそれぞれの家族との間にはどんな摩擦が起きたのかと考えたが、事実はまったく逆だった。

「私は本当にラッキーなのよ。日本人と結婚した外国人の悩みや悲しい体験談はたくさん聞いていたわ。でも私は一切、どんな非難も、まったく経験していないの」

「プロポーズを受けた後、彼は両親に『アメリカの女性と結婚する』と電話で報告したの。その大きな決断を聞いて、ご両親も最初は少し心配されたみたいで、すぐにニューヨークまで私に会いに来てくれた。そしてありがたいことにすぐに気に入ってくれたの。

『良い人じゃないか! 頭もいいし、すてきな女性だ』って言ってくれて。ただ、彼の両親はもともと誰かを悪く言うような人たちではないのよ。それでも本当にありがたくて、とってもうれしかった」

 その約1年後、ふたりは結婚式を挙げた。式の様子はアメリカのリアリティ番組「Four Weddings」でも取り上げられたというから、やはり注目度の高い夫婦だと言わざるをえない。

最大の壁はコミュニケーションだった

「結婚式では通訳に来てもらって、洋平のお父さんにスピーチをお願いしたの。その時お父さんは、私を家族の一員として迎えることがうれしいと言ってくれた。そしてね、私のことを、日本女性にも見られないような品や優雅さがある人だと言ってくれたの。大切な家族や友人、たくさんの参列者の前で」

「驚いた。すごく光栄だった。『ワオ!そんなふうに思ってくれていたなんて』って。しばらく言葉が出ないくらいうれしかった」

 それから7年、3人の子どもたちに恵まれた現在、洋平さんは名古屋で和食レストランの料理人兼マネジャーになり、2人の息子(7歳、5歳)と3歳になる娘の面倒はタラさんが中心だ。

 日本の地方都市での暮らしは日々の小さな問題がないわけではないが、周りからはとても親切にしてもらっている。そしてずっと変わらず、洋平さんや両親から大切にされている。

「洋平はすばらしい父親。彼を見ていると私はなんてダメなのかしらと思うくらい、彼はいつも優しくて、怒らない。寛容な人なの」

「取るに足らないと思う人もいるかもしれないけど、私たちの最大の壁はコミュニケーションだった。付き合い始めた頃の私は、自分をアメリカ人というよりもニューヨーカーだと強く意識していたから、質問したらイエスかノーしか返ってこないものだと思っていたの」

「なのに『コーヒー飲む?』と聞いても、洋平の答えは『うん、ちょっと……』とか言うのよ。もう『ちょっとってなに? コーヒーいるの、いらないの?どっちよ!』なんて言い返す感じ。

 当時はこのコミュニケーションの問題が大きなハードルで、なぜ肯定も否定もしないのか不思議だった。どうしてはっきりとした言葉で伝えてくれないのかって」

「そんな経験を重ねていくうちに少しずつ気づいた。日本人の男性と結婚して、日本の伝統的な家族のひとりになる準備というのは、どれほど日本の伝統文化を勉強したとか、どれほどたくさんの本や映画で学んだとか、そういうことじゃなかった」

タラさんが気がついた日本文化の本質

 7年間の時を経て、今はっきりわかったと感じることがある。

「もしもあのままアメリカで暮らしていたら私たちの関係は今とまったく違うものだったはずよ。アメリカで結婚していた頃はおコメを炊かない日だって珍しくなくて、『今日はご飯を炊いてない、それだけでしょ』なんて言ったりしてた。

 でも今はそんなことありえない。ご飯がないなんて許されないことよ。お釜を空にするなんて絶対にしない。今はこれが私たちのライフスタイル、これが私たちの文化になったと実感してる」

「こんな小さなことだけど、でも積み重ねてきたらわかった。なぜ洋平が自分の気持ちを強く言葉にしないのか。つまりそういう文化じゃないということ。ここでの文化は、みんなが快適でいられることを大切にする文化、そのために自分の意見はどっちつかずにしてもいいときがある文化なの。

 伝えたい本音は少しほのめかしたり、それとなく示すだけでいい。今は彼の本心や言いたいことがすごくよくわかるようになった」

 タラさんと洋平さんの結婚は、小さな思いやりを丁寧に重ねる大切さを示してくれている。


バイエ・マクニール ◎作家 2004年来日。作家として日本での生活に関して2作品上梓したほか、ジャパン・タイムズ紙のコラムニストとして、日本に住むアフリカ系の人々の生活について執筆。また、日本における人種や多様化問題についての講演やワークショップも行っている。ジャズと映画、そしてラーメンをこよなく愛する。現在、第一作を翻訳中。