結婚から約3年後、軽井沢でテニスのプレーの合間にお話しされるおふたり('62年8月)

「8月22日、天皇・皇后両陛下は静養のため、長野県・軽井沢に入られました。

 午後1時前に新幹線でJR軽井沢駅に到着された美智子さまは、白いジャケットにベージュのパンツ姿で“爽やかスタイル”なのが印象的でしたね。

 駅前では、町民や観光客など数百人が『日の丸』の旗を振って出迎え、両陛下も笑顔で応じられていました」(皇室担当記者)

 来年5月に予定されているお代替わりで、おふたりはそれぞれ『上皇』『上皇后』になられるため、今回が両陛下としては“最後”の「夏の軽井沢ご静養」となる。

 軽井沢といえば、おふたりが出会われた場所としても有名な土地だ。

1957年8月に軽井沢のテニスコートでおふたりが対戦したことが、ご交流が始まるきっかけでした。

 現在でも、両陛下が軽井沢にいらっしゃると、“思い出のテニスコート”に足を運ばれているんですよ」(同・皇室担当記者)

 その話どおり、25日の土曜日の午前中に『軽井沢会テニスコート』に足を運ばれた両陛下。30分ほど滞在されたがプレーはせず、テニスをしていたプレーヤーと楽しそうにお話しされていた。

 皇室を長年取材するジャーナリストで文化学園大学客員教授の渡邉みどりさんによると、天皇陛下は当時の気持ちを歌に込められていたという。

「約60年前に“運命の出会い”を果たされたあと、天皇陛下は、次のような『和歌』を詠まれました。

《一年前の夏、妹より軽井沢会庭球部部内トーナメントのさそひに接せり

 このトーナメントにて美智子と初めて会ふ》

 という詞書のあとに、

《たまたまの出あひつくりし電話の声 

 耳に残りて未だ新し》

 この和歌は、1957年8月に、当時の皇太子ペアと正田美智子ペアでテニスの試合をされたあとの“お気持ち”を陛下が詠まれたものなのです」

 さらに、おふたりが出会われたテニスコート近くで55年間、美容室を営んでいる塚原勝美さん(74)にも、“両陛下とテニス”にまつわる秘話を聞いた。

両陛下とテニス

「今は警備が厳しくなりましたが、昭和時代は皇太子ご夫妻がテニスをプレーされているときでも、施設に入って自由に写真を撮ることができたので、その時代の写真を現在も大切に保管しています。

 おふたりともテニスがとてもお上手だったのですが、私たちがフェンス越しに観戦していると、美智子さまがボールを拾う際に必ず私たちにお辞儀をなさってくれたことが強く印象に残っています」

 常にこまやかな心遣いをされているのは、昔も今もお変わりない美智子さま。

以前、テニスコートの近くに私の友人がブティックを経営していました。

 あるとき、美智子さまをひと目見ようと外に出ていた友人に対して、美智子さまから“ご一緒に写真を撮りませんか”とお声がけをいただいたそうなのです。

 皇后陛下になられても、えらぶることなく、地元住民にもお気遣いをされるご様子に感動しました」(塚原さん)

 軽井沢の住民を何度も感激させてきた美智子さまが、今回のご静養で最初に足を運ばれたのは……。

「軽井沢に到着した22日の夜、おふたりは軽井沢町内の美智子さまの実家である正田家の別荘を訪問されました。

 現在も定期的にハウスキーパーが入っていて、いつでも利用できるようになっているそうです。

 この日は、美智子さまのごきょうだいとの夕食会が開かれたと聞いています」(宮内庁関係者)

 まだ皇室入りされる前から通われていたという“思い出の別荘”で、普段お会いになれないご家族とのディナーをさぞ楽しまれたことだろう。

 翌23日の午前中、両陛下は戦後に旧満州から引き揚げた人たちが入植した『大日向開拓地』をお訪ねに。

「この場所は、両陛下が皇太子ご夫妻時代から静養中にたびたび訪れ、引揚者らと交流されてきた思い入れのある土地です。

 おふたりは野菜畑を寄り添って歩き、栽培されたレタスなどを見ながら散策されました」(前出・皇室担当記者)

 午後4時ごろ、再びお出かけになった両陛下は、JR軽井沢駅からほど近い『軽井沢大賀ホール』へ。

雨が降る中、『軽井沢大賀ホール』を訪問された両陛下を50人ほどの人々が出迎えた(8月23日)

 直前まで強めの雨が降っていたにもかかわらず、おふたりが到着されると、雨がぴたっとやむという出来事も。

「この日は、バイオリニストの成田達輝さんと、ピアニストの中野翔太さんのデュオコンサートが開かれていました。

 実は、一昨年の3月にも、両陛下は中野さんが出演した『東日本大震災復興支援 チャリティ コンサート』を鑑賞されたことがあるんですよ。

 今回は1時間ほどコンサートを楽しんでから宿泊所にお戻りになりました」(前出・宮内庁関係者)

 翌日も、正田家の別荘からほど近い知り合いの家を訪れて、「昼食会」に参加された両陛下。今年も思う存分に軽井沢を満喫されたようだ。

美智子さまは疎開先である軽井沢で終戦をお迎えになっていますので、お知り合いも多いのです。そういったご縁もあって、軽井沢を訪れるたびにお忍びでお会いになっているのでしょう。

 別荘でのご家族との夕食会も、美智子さまを癒したことだと思います。お代替わり後も、軽井沢を訪問される可能性は十分あるでしょうね」(渡邉さん)

 来年以降も美智子さまには、“思い出の軽井沢”を楽しんでいただきたい─。