本人の努力と家族のサポートが勝利を導く(写真はイメージです)

 フィギアスケートの紀平梨花(16)が22日、スロバキアで行われてたオンドレイ・ネペラ杯でのショートプログラム(SP)で首位発進し、そのままフリーもトップでシニア初戦から頂点に立った。

 女子における国際スケート連盟(ISU)公認大会でのフリー2本のトリプルアクセル成功は、浅田真央(27)以来の快挙。18年の平昌五輪では、惜しくも年齢制限で出場資格なしだったが、今もっとも注目を集める選手となっている。

娘のために転職と引っ越し

 その実力は、16年9月、ジュニアグランプリのスロベニア大会で女子7人目の3回転半に成功し、昨季は全日本ジュニア選手権で初優勝。全日本選手権でも3位に入っているというから安定そのもの。

 当時5歳の姉が習っていた、フィギアスケートについて行ったのが3歳の時。

 なんでもやりたがる紀平に、両親もなんでもやらせていたという。英才教育で有名な広田幼稚園から始まり、ピアノ、バレエ、体操と続けていたが、一番のめりこんだのがスケートだったそうだ。転んでも転んでも諦めず、幼稚園児なのに、6時間もリンクにいたことがあるという。

彼女が小学1年の時、スケートのコーチから個人レッスンに誘われているんです。そこから土日は最低6時間、平日でも2時間は練習。父親は普通のサラリーマンですが、大会ごとに表彰台の情報を集め、現在の濱田美栄コーチが在籍する関大KFSCにたどり着いたそうです。

 母親はもともと、正社員として勤めていましたが娘のレッスンの送迎をするために会社を辞め、時間の融通がきくデパートの販売員に転職しました。

 そして彼女が公立中学に入ると、自宅から学校の距離が遠くなったので一軒家を売却し、通学と練習リンクに通いやすい所に引っ越しました。両親の都合よりも、娘のやりたいことが第一という家族の腹のくくり方もすごいですよ」(スポーツ紙記者)

 どうしても母親が送って行けないときには、近所に住む祖父が送迎を担当するというから徹底している。家族ぐるみで支えてきた娘への思い。そこには、紀平家のある考え方があるという。

「ご両親は、子どもが『やりたい』と言うまで黙っているそうです。やりたいことが出てきても、本気かどうかしばらく見極めて、最終的に本人の気持ちを尊重。

『やめたければやめればいい』とも言うそうです。だからこそ気持ちが変わらなかった娘を、全力でサポートしようと決められたのかもしれません」(前出・スポーツ紙記者)

 家族一致団結。そんな思いも一緒に、紀平は世界の頂を目指しているのかもしれない。

<取材・文/宮崎浩>