今の音楽ビジネスの抱える現状が見えてきました

 9月16日の引退から1週間。ようやく安室奈美恵さん関連の記事は落ち着きはじめ、「アムロス」を叫ぶ人の声も減りはじめています。

「引退発表からの1年間で200億円以上も経済効果があった」とも言われる空前のフィーバーが収まりつつある今だからこそ、さまざまなものが見えてきました。

 なかでも見逃せないのは、安室さん個人というより、音楽ビジネスやエンターテインメント全般にかかわることだったのです。

チャンスなのに仕掛けられない歯がゆさ

 ビジネス的な視点で見れば、「安室さんが引退した今がチャンス」のはず。各社が勝負をかけて売り出しにかかり、メディアも安室さんに代わる“新・歌姫”を作るためのサポートをすると思いきや、そのような様子はほとんど見られません。

当記事は「東洋経済オンライン」(運営:東洋経済新報社)の提供記事です

 消費者の新譜に対する期待感が薄れ、レコメンドされた曲を選ぶ傾向が強いこと。アルバムの曲をバラ売りされてしまうこと。ライブでの収入が中心となっていること。多くのアーティストが出演するフェスが浸透したこと。音楽番組が減っていること。

「新たな歌姫の誕生を阻む要素が多すぎるため、仕掛けられない」という現状があるのです。

 先月、ある音楽番組の男性スタッフと話したとき、「幅広い年齢層の人が『この人が出るなら絶対見たい』というアーティストはいませんね。みんな自分のファンに向けた商売になっているからライブ中心の活動になるし、国民的アーティストが生まれるのは奇跡に近い」と言っていました。

 また、見逃せないのは、“新星”が現れにくくなっていること。

 かつて宇多田ヒカルさんが彗星のように現れ、ファーストアルバムが初動売り上げだけで200万枚を超えるなど、センセーショナルなデビューを飾ったことを覚えている人は多いのではないでしょうか。

 それだけ1人のアーティストへの注目が集まったのですが、21世紀に入って以降、そのような現象は見られません。

 現在は動画配信やSNS投稿など、デビューやプロモーションの入り口が増えて目や耳に触れやすくなった反面、アーティストの分母が増え、人々の嗜好も細分化して、「誰もが知り、誰もが好きな歌姫」が生まれにくくなりました。

「ドラマや映画も社会現象になるほどのヒット作はなく、タイアップでの大ヒットは望めない」こと、「安室さんのようなファッションを絡めたビジュアル面の流行が生まれにくい」ことなども、音楽ビジネスを難しくしています。

ゼネラリストでは歌姫になれない

 世間的な注目度が高いのは、単独ライブより多くのアーティストが集まるフェスであり、1時間のレギュラー番組より季節ごとの長時間特番。共存共栄と言えば聞こえはいいですが、実際は1組1組の収益やステータスは分散され、下がる一方という厳しさがあります。

 ビジネス的に見れば、「参入はしやすくなったが、競合は増えた」「市場規模は小さくなっているが、軌道に乗れば安定しやすい」「顧客満足に徹して稼いでいるが、できれば拡張性を見いだしたい」という状況。

 トップとニューカマーの差が少なくなっているうえに、その分布はニューカマーの近くに集中しているのです。

「ライブ以外でどう稼ぐか」「どうやってファン層を開拓するか」が課題の彼らは、映画やドラマなどの俳優、ナレーターやナビゲーターなどの声の仕事、文筆や芸術などの創作と、さまざまなジャンルに顔を出すようになっています。

 しかし、そのようなゼネラリストを目指すスタンスでは、安室さんのような国民的な歌姫になるのは難しいでしょう。

 安室さんは、「ライブでのトークをカットして歌とダンスのみで勝負」「テレビ番組には出演しない」というスタンスを貫くことでスペシャリストとしての存在価値を高めていきました。

 ネットの発達で情報があふれる世の中になり、自らSNSで発信して親近感を武器にするアーティストが多い中、「歌と踊りだけに集中する」「ファンと一定の距離感を保つ」という独自の戦略をかたくなに貫いたのです。

 実際、「コアなファンを大事にしたい」とネットでのやり取りを重ねるアーティストほど、ファン以外の人々からは「絡みにくい」「迎合している」などと思われがちですが、安室さんは真逆。

「コアなファンを大事にするけど、自分の意思は絶対に貫く」という毅然とした姿が、ファンはもちろんファン以外の人々からも、国民的な歌姫と認められたのです。

 そして、「毅然としている」という印象を決定づけたのは、ここまで惜しまれながらも「40歳で引退」を決意し、実行したこと。ゼネラリストではなくスペシャリスト、コアなファンに近づくのではなく自分の意思を貫く。

 この2点が、安室さんに続く歌姫になるための前提条件なのかもしれません。

「競争より共存」の意識がエンタメに影響

 安室さんは、音楽やアーティストというジャンルのいわゆる“アイコン”(象徴的な存在)でした。さらに、その後継者が誕生しないことが、「シーンの盛り上がりに欠け、ビジネスが矮小化している」という印象につながっています。

 しかし、新たなアイコンが生まれないのは、音楽やアーティストだけではありません。俳優、タレント、アイドル、芸人、モデルなども、間口が広がり、人が増えるばかりでトップまで登り詰める人はほとんどいないのです。

「トップに登り詰めるのが難しいから、他ジャンルに参入する」という点は、アーティストと同じ。芸人が俳優をしたり、俳優が司会者をしたり、アイドルがコントをしたり、モデルがグラビアをしたりと、芸能活動はボーダーレス化する一方です。

「各ジャンルの刺激になる」と競争の激化を歓迎する声もありますが、「他の市場に入り込んで売り上げを分散し、各ジャンルのアイコンが生まれにくくなっている」というのが現実。

 エンタメに限らず、その業界を牽引するアイコンがいてこそ、シーン全体が盛り上がるだけに、ボーダーレス化が社会現象やブームを阻む1つの要因になっているのです。

 また、見逃せないのは、一般の人々が、あるジャンルのアイコンに近い人が現れると、その人を応援するよりも、「ほかのメンバーあってのこと」「自分はあちら派」などと平坦化したがること。

 SMAPの「世界に一つだけの花」が大ヒットし、「ナンバーワンよりオンリーワン」という風潮が根付いたことで、人々は「競争よりも共存」という意識が強くなりました。それによってエンタメ界は「アイコンが生まれにくい」という影響を受けているのです。 

エンタメに求められる競争とグローバル化

 イケメンからグループアイドル、二世、LGBTまで、多くの芸能人がメディアに大量起用され、共存をベースにした活動をするようになって、活動寿命は確実に延びました。

 しかし、これは裏を返せば、「現状を超える結果を得られにくい」という状態であり、発展性はありません。エンタメもビジネスである以上、人気や利益を上げるためには、熾烈な競争が必要でしょう。

 たとえば、安室さんは多くのアーティストがミリオンセラーを連発した1990年代の熾烈な競争を勝ち抜いたからこそアムラー現象を巻き起こし、2000年代前半の低迷を乗り越えたのも、宇多田ヒカルさん、浜崎あゆみさん、倖田來未さんらとは一線を画すスタンスで戦ってきたから、と言われています。

 “新・歌姫”の誕生には、やはりアーティストも、世間の人々も、テンションの上がるような競争が求められているのではないでしょうか。

 しかし、今、発展途上のアーティストが安室さんのようなスタンスを貫いたら、「わがまま」「生意気」というレッテルを貼られかねないのが難しいところです。

 ただ、エンタメの中で唯一事情が異なるのはスポーツ界。メジャーリーグに二刀流で挑戦し、結果を残している大谷翔平選手と、初の全米オープン女王になった大坂なおみ選手は、それぞれ日本における野球とテニスのアイコンになりました。

 熾烈な競争を勝ち抜いてスターダムにのし上がる姿は、良質なドキュメンタリーのようでもあり、世間の人々に感動を与えています。

 もしかしたら、2人のように世界で活躍することがジャンルのアイコンとなる最善策なのかもしれません。

「世界が驚いたニッポン!スゴ~イですね!!視察団」(テレビ朝日系)、「ぶっこみジャパニーズ」(TBS系)、「世界!ニッポン行きたい人応援団」(テレビ東京系)など、外国人の目を通した日本礼賛番組が量産され、オリンピックや各種ワールドカップの中継が盛り上がるように、もともと日本人は世界で認められることが好きだからです。

 アーティストもアスリート同様に、日本代表として世界で認められることで、“新・歌姫”となれるのではないでしょうか。その意味で音楽業界に携わる人々は、グローバルスタンダードのマネジメントが求められているのです。

“新・歌姫”の育成という奇跡はあるか

 最後に話を安室さんに戻すと、オフィシャルサイト、ファンクラブ、オンラインストア、Facebookページのすべてを9月30日で終了するそうです。そのとき、さらなる「アムロス」が叫ばれるのではないでしょうか。

「5年前から引退を考えていた」「二度とステージには立つことはない」と公言しているため復帰はないでしょうし、「これから趣味を探します」と笑顔で語っていただけに、まずは25年間の疲れを癒やすのでしょう。

 ただ、安室さんは昨年11月に放送された「告白」(NHK)で、「引退は1つの通過点で、終わりがあれば、始まりがある」「この先の人生のほうがもっと楽しいことが待っているし、新しい発見とか新しい興味とか『やってみたいな』というものがあったら、そこに情熱を注いでみるのもいいなって」とコメントしていました。

 また、9月18日に放送された「これで見納め!安室奈美恵引退スペシャル!」(日本テレビ系)では、「(引退は)ネガティブな感じではなく、次に進むためのステップ」「40代は意外と10代くらいの勢いでいけちゃうんじゃないかな。また楽しいんじゃないかな」と語っていました。

 安室さんの所属事務所は、2015年に自ら設立し、代表を務める「stella88」ですが、事業内容の欄には、「タレントやアーティストの養成、マネジメント」などの項目もあるだけに、“新・歌姫”の育成もないとは言えません。

 平成のほぼすべての期間をトップアーティストとして駆け抜けた「“平成の歌姫”安室さんが、元号が変わった来年に新たな時代の歌姫を育てる」としたら何ともロマンがあるだけに、期待したくなってしまいます。

 安室さんなら、音楽でなかったとしても、ファッション、美容、アートなど、さまざまなジャンルでの活動も可能。アーティストからビジネスパーソンに転身した安室さんが見られたら、それはそれで多くの日本人を再び喜ばせてくれることでしょう。


木村 隆志(きむら たかし)◎コラムニスト、人間関係コンサルタント、テレビ解説者 テレビ、ドラマ、タレントを専門テーマに、メディア出演やコラム執筆を重ねるほか、取材歴2000人超のタレント専門インタビュアーとしても活動。さらに、独自のコミュニケーション理論をベースにした人間関係コンサルタントとして、1万人超の対人相談に乗っている。著書に『トップ・インタビュアーの「聴き技」84』(TAC出版)など。