小渕恵三官房長官(当時)が「新しい元号は『平成』であります」と発表してから30年。その平成が幕を閉じようとしている。平成を彩った言葉たちをナビゲーターにして、30年を振り返ってみよう。次は平11年から平成20年まで。

「小泉劇場」小泉純一郎総理

平成11年~20年(1999~2008)

 時は平成の不況まっただ中。倒産が続出、失業者も増加。主婦に家計簿ブームが起こった日本列島総不況。

 DCブランドのスーツから2500円スーツを着るようになり、富裕層との差がどんどん広がる格差社会になっていき、

「若貴からの流れもあり、ますますスポーツ選手が注目されていきます。スポーツ選手の元気な言葉を求め、そういうスターを求めていたことが流行語からも読み取れます」

 と、自由国民社の清水均さんはいう。では、スポーツ選手から生まれた言葉を並べてみよう。

 平成11年の流行語は雑草魂とリベンジ。

 当時、読売ジャイアンツの投手・上原浩治と平成の怪物として注目を浴びた松坂大輔の言葉だ。

 松坂世代と呼ばれる野球選手たちが引退していく中で、今でも現役で上原も松坂も頑張っているのは、世のお父さんたちに勇気を与えているのではないだろうか。

 野球からはヤクルトが優勝したときの若松監督の「ファンのみなさま本当に日本一、おめでとうございます」。今風に言えばファンファーストの言葉だ。Godzilla、星野監督(当時)の勝ちたいんや! も本音から出た言葉として支持された。

 オリンピック選手では、シドニーオリンピック金メダリストで柔道の田村亮子の最高で金、最低でも金、マラソン高橋尚子の愛称であるQちゃんがトップテンに。

シドニー五輪(高橋尚子)

 銀メダルだった田島寧子のめっちゃ悔し~いも共感を呼ぶ言葉だった。4年後のアテネオリンピックでの水泳・北島康介のチョー気持ちいい、レスリングの気合だー! も世の人々の心を明るくしてくれた。

「何かいいことを言ってやろう、流行語にしてやろうとしても、多くの人の心はつかめない。頑張っている人たちからポロリと出た本音に言葉のエネルギーがこもっているんだと思います」

 と言うのは自由国民社の大塚陽子さん。

諦めの中で登場したあの言葉

 冬季オリンピックからはイナバウアー、日韓共催のワールドカップからはW杯、ベッカム様も。

 このころの日本のリーダーは内閣総理大臣・小泉純一郎だ。平成13年の流行語年間大賞は、米百俵、聖域なき改革、恐れず怯まず捉われず、骨太の方針、ワイドショー内閣、改革の「痛み」とこれだけある。すべて小泉総理発の言葉で、その一挙手一投足は小泉劇場と呼ばれた。

 不景気でいいことなどあまりないような閉塞感の流れの中で、このままじゃあいけない、何とかしなければとみんなが感じた。

 氷川きよしの歌の文句「やだねったらやだね」とつぶやいたり、缶コーヒーのCMでヒットしたRe:Japanの明日があるさを口ずさみ希望を持とうとしたり、小島よしおをまねて「そんなの関係ねぇ」とあきらめたりしていたときに、登場したのが「(宮崎を)どげんかせんといかん」という東国原英夫知事(当時)の言葉。

 どうにかしたい、みんなの気持ちが凝縮されたワンフレーズだった。

「どげんかせんといかん」東国原英夫

 平成の中ごろ「社会を変える新しい言葉が出てきています。iモード、IT革命、ブロードバンド、ブログ、ミクシィ、ネットカフェ難民という、今のSNS社会につながる言葉です」(清水さん)

 SNSは言葉に対する私たちの意識も変えた。

「近年はネットで検索すればいくらでも情報が手に入ります。でもどこまで確かなのかわからない情報もあふれています。ネットの中で限られた人たちだけで使う言葉は、時には意味や用法が変わっていることもあるでしょう。

 言葉は生きていて時代により地域により少しずつ意味がずれるのは当然。しかし狭い社会の自分たちだけで使う言葉を過信してはいけない。言葉の根本をきちんととらえることが大切だと思います」(岩波書店・平木靖成さん)


平木靖成さん 岩波書店 辞典編集部副部長 辞書編集者歴が20年を超え、広辞苑第五版から今年1月に刊行された第七版まで携わり、すでに(10年後に刊行されるであろう)第八版の準備に取りかかっている。

清水 均さん 自由国民社「現代用語の基礎知識」シニアディレクター 『新語流行語大賞』は今年で35回目を迎え、「年々注目されています。時代が閉塞しているからこそ、流行語が求められているのでしょうか」

大塚陽子さん 自由国民社「現代用語の基礎知識」編集長 「よい言葉だから、あるいは問題のある言葉だからという視点ではなく、その言葉が流行って多くの人に使われていれば、どういう言葉でも流行語大賞にノミネートします」