貴ノ岩の相撲人生は終わった(写真はイメージです)

 大相撲の東前頭6枚目、貴ノ岩が引退を発表した。付け人に暴行をした責任をとって、ということだ。1年前は被害者として注目を浴び、今度は加害者となって、発覚からわずか2日でのスピード引退になってしまった。

メディアがチャンスを潰す

 これを受けて相撲ファンたちはどう思っているのか? 私自身、最初に以下のようにツイートした。

《貴ノ岩が引退するかどうか、まだ届け出を出したのかどうも分からない時点でテレビがこれだけ大々的に伝えると、もう引退するしかなくなってしまうじゃないか? 協会は留保するかもしれない。謹慎になるかもしれないのに》

 これには43人が「いいね」を押してくれ、その後に、

「テレビに潰されてしまった感じがしてます。まだ若いからいくらでもやり直せたと思っていたのになんか残念です」

「ワイドショーこそが日馬富士にせよ、貴ノ岩にせよ引退に追い込んだ諸悪の根源だと思っています。何も知らないくせにあれこれ言って。自分たちの言うことは正しいとでも思ってるのでしょうか。やりきれなさすぎます」

「確かに悪いことをしたけど、本人がその世界でやり直すチャンスをメディアがことごとく潰す」

 といった声が寄せられた。

 今回、相撲ファンの多くがこれを言っている。貴ノ岩は確かに愚かなことをしたと思う。殴られる痛みを自らが知るなら、自分はそれを心してしてはいけない。関取という多くの人の注目が集まる立場にあるのだから、自覚をきちんと持つべきだった。

 とはいえ、彼もまだ28歳の青年だ。また今年の春場所には心的外傷後ストレス障害を負ったとして休場もしている。精神的にまだ不安定で、善悪の判断がうまくできない状態だったかもしれない。

 一年前の騒動のとき、ワイドショーはさんざん負ったケガやストレス障害について伝えていたのに、今回それに触れている番組を私は見ていない。

 私が見ている範囲では、相撲界から暴力が消えないのは相撲協会の責任で、相撲界の構造そのものに問題があり、今すぐそれを改革せねばならず、また貴ノ岩は引退するという方向で話が進められていた。

 貴ノ岩が相撲協会に向かった、まだ話し合いが続いている、と分単位で伝えている番組もあった。何をそんなに期待していたんだろうか?

本来の相撲の世界

 私たち相撲ファンは一年前も同じ光景を見た。福岡から東京に戻ってきた日馬富士が羽田空港でたくさんのカメラにもみくちゃにされ、それを生中継で伝えるTV番組。夜のニュース番組がわざわざ「羽田はどうなってますか?」などと放映しているのを見て、それは今伝えることか?と思った。

 もっと伝えるべき大切なことはたくさんあるだろう、と。それは今回も全く同じだ。国会はどうなってる? 私はそちらの方がずっと知りたい。

 相撲協会は貴ノ岩を「本当に引退という形でいいんですか?」と説得したようだが、同じ元・貴乃花部屋で付け人に暴力をふるった別の関取のときは一場所の謹慎だった。今回も謹慎という方向で協会は考えていたんではないだろうか? 

 大相撲という「神事であり、興行であり、スポーツでもある」という多様性のある伝統文化においては、横綱という頂点を目指して精進するのは当然ながら、決してそれだけではない部分もある。

 相撲界は「全く相撲を取ったことのない」素人にも門戸を開き、自分のやれるレベルで自分の相撲を取る、日々稽古に励む、ということが許される。

 また、江戸時代からの興行相撲の歴史の中では、荒くれ者が人を殺めてしまい、地元におられず上京、相撲部屋に入って精進し、力士として人生をやり直したという話も古い本には出てくる。

 高校時代は暴走族に入るなどヤンチャしていたけど、相撲界に入って努力して関取になったというような話はよく聞くではないか。

 相撲界は、社会で生きていく術を学ぶ場でもあるのだ。絶対的番付社会の中で、ピラミッドのどの位置にいながらも、自分なりに頑張り、自分の役割を見つけ、集団生活の中で、人とどう折り合って生きるかを学んで行く。

 お金を負担し力士たちを専門学校などに通わせ、引退後のセカンド・キャリアへの道を開いてあげる相撲部屋も少なくない。相撲界は野球界などの他のスポーツとはあり方が違う。

 ある意味では社会のセーフティ・ネット的な役割を果たしている部分もある。弱いから、負けたから、失敗したからと、すぐに切り捨てない。ここだからやり直せる、生きていける、という大切な場なのだ。

 だからこそ、貴ノ岩にはやり直してほしかった。彼にじっくり考える時間を与えてほしかった。

関取と付け人の関係

 でも、事件発覚直後からテレビカメラに追われ、どうするどうする? と迫られ、彼の心は耐えられなかった。とても残念でならない。今の日本社会はやり直しがとても難しい。だからこそ、貴ノ岩にはそのロール・モデルになってほしかった。

 もちろん相撲界も、付け人への対応について、さらにしっかりとした教育をすべきだ。付け人は元々「関取や親方の世話をしながら相撲社会のしきたりや礼儀、相撲そのものを学ぶ。同時に関取には付け人にそれらを教え、力士として強く育てる義務と責任がある」(相撲大事典/現代書館)という、相撲界のしきたりだ。

 西岩親方の著書『たたき上げ 若の里自伝』(大空出版)には、自分の付け人を務めた、輝(かがやき)との思い出がこう記されている。

「ただ付け人を務めてもらうだけではなく、この世界のこともきちんと教えなければいけないと思っていました。巡業に行ったときも行く先々でいろいろなことを勉強してもらいたいと思い、各地の名所に連れて行ったり、そこの名産品や美味しいものを食べたり、全国にいる私の知り合いの方々にも紹介したりしました。

(中略)力士としてではなく、一人の大人として色々なことを知ってもらいたい、経験してもらいたい、そんな思いもあって時間が許す限り、彼を方々に連れまわしました」

 付け人と関取とは労使関係にあるのではない。

 とはいえ、今はマニュアル社会でもある。一定のマニュアルを作って、お互いにこうしなさいと言葉で説明する部分も必要だろう。

 でも、それは相撲のしきたりに詳しくないワイドショーのコメンテーターがああしろこうしろと言う問題だろうか? 一般論として、こうしたらどうでしょうか? ならいいが、そこから逸脱し、そんな制度はなくしてしまえといった暴言が目立ったのは、番組の中でどんどん言葉がエスカレートしていく怖さを逆に感じた。

 貴ノ岩の相撲人生が終わった。伝える側はその重さを今一度、きちんと感じてほしい。


和田靜香(わだ・しずか)◎音楽/スー女コラムニスト。作詞家の湯川れい子のアシスタントを経てフリーの音楽ライターに。趣味の大相撲観戦やアルバイト迷走人生などに関するエッセイも多い。主な著書に『ワガママな病人vsつかえない医者』(文春文庫)、『おでんの汁にウツを沈めて〜44歳恐る恐るコンビニ店員デビュー』(幻冬舎文庫)、『東京ロック・バー物語』『スー女のみかた』(シンコーミュージック・エンタテインメント)がある。ちなみに四股名は「和田翔龍(わだしょうりゅう)」。尊敬する“相撲の親方”である、元関脇・若翔洋さんから一文字もらった。