加藤剛さん

 加藤剛さんは胆のうがんで6月に亡くなったが、その事実が知られたのは翌7月。

「死の発表を前に家族葬を行ったのは、目立つことを嫌う加藤さんの意向でした。ただ、お別れの場を設けてほしいという要望が多く、9月30日にお別れの会が開かれると、1000人を超える役者やファンが集まり、故人を偲びました」(演劇関係者)

2人の息子が語る父

 誠実で高潔な大岡越前の役柄は、加藤さんの人間性そのものに見える。長男の夏原諒は、尊敬する父が亡くなった後で身体に異変が。

「視野が狭くなったんです。1か月ほどの間、左右がよく見えていませんでした。ショックでこういう症状が出ることもあるんだそうです。今も、ふとしたときに父が自分の中に住んでいるような気がします。芝居をしているときも客席ではなく僕の頭のすぐ横にいて何か話しかけてきます」

 次男の加藤頼は、今も毎日写真と会話している。

「まだ“遺影”とは言いたくないんですよ。今日どこに行くとか、生きていたころと同じような会話です。口数の少ない人でしたから、何と答えてくれるかわかるんです」

 加藤さんの最後の演技は、今年2月に公開された綾瀬はるか主演の映画『今夜、ロマンス劇場で』だった。

「私が付き人として同行したんです。そのときの撮影は、病院で亡くなるシーンでした。擬似体験だったんですね。

 帰りの車中で“病院に長く入るのは嫌だな。苦労をかけたくない。ずっと家族といたいな”と話していました。父は監督に“僕の最後の作品になります”と言っていたそうです。これは芝居ではない、ひとりの人間の死に方だと感じました」(頼)

 加藤さんの墓は、4年前に造られている。

「父と一緒に墓石を選びに行きました。景色がよく、自然に囲まれた墓地です。なるべく小さく、目立たないものにしたいというのが父の希望でした。

 “家族だけが来てくれればいい。有名人のお墓マップには絶対に載せてくれるな”と。“ファンの方に来ていただくのは申し訳ない”とも話していました」(諒)

 スターらしい絢爛な暮らしぶりとは無縁で、静かな日常を何よりも大切にした。

'81年、自宅での父と子たち。剛さんは仕事が終わると、まっすぐ家族のもとへ

「思い出すのは、一緒にお茶したとか、猫と遊んだとか、そういう記憶。何気ない一瞬一瞬が不意に思い出されて、すごくかけがえのないものだったと実感します」(諒)

 加藤さんが何でもない生活こそが貴重だと考えていたことには理由がある。

「父の根底にあったのは、若い人たちを戦地で死ぬ運命にはさせたくないということ。7歳で終戦を迎え、戦争の悲惨さや空襲の怖さの記憶がある最後の世代。それを伝えるために役者をやっていたんです。

 日常を理不尽に破壊していくのが戦争だと。そういう世の中になっていくことを危惧していました」(諒)

 まっすぐな生き方を貫いた名優は、切実な思いを次世代に託して旅立っていった。