被害者は声を上げてほしいと、原告で初めて実名を公表した小島さん

「親や警察、保健所にだまされ、精神科病院に連れて行かれた。調べると、国が強制しているんだとわかった。なんで国が、私たち障がい者に、子どもをできなくさせようとするんだと思って、泣きました」

「闇に葬り去られては困る」

 12月4日、「被害者の声を伝える院内集会」の壇上で、国を実名で提訴した北海道札幌市の小島喜久夫さん(77)は訴えた。優生保護法のもと、十分な説明や同意がないまま不妊手術を強制された障がい者がいま、全国で声を上げ始めている。

 この日に登壇したのは、北海道や宮城県、東京都、兵庫県で訴訟を起こした原告とその家族ら。強制不妊手術の被害者は約2万5000人にもおよぶとされる。

 前出の小島さんは養父母に育てられたが、関係が悪化。説明もないまま精神科病院へ連れて行かれ、不妊手術をされた。

 手術後も、子どものいる人生を思い浮かべると、つらい思いばかりが込み上げてくる。今年1月、提訴のニュースを新聞で知り、妻に打ち明けた。

「私だけではない。手術をされた人は大変な思いをしています。国には謝罪してもらいたい」

 宮城県仙台市の飯塚淳子さん(仮名=70代)は、一連の全国訴訟で最も早く提訴した女性だ。中学3年のとき、地域の民生委員が関与し、知的障害ではないのに知的障がい児の施設に入所させられたという。

飯塚さんは「国は、すべての被害者に謝罪を」と訴え実態解明を求めている

 その後、知的障がい児の指導訓練をする「職親」に預けられた。

「職親にバカだと言われ、虐待を受けた。食事のおかわりもできず、服も買ってもらえませんでした」

 16歳のとき、説明もないまま、宮城県中央優生保護相談所附属診療所に連れて行かれ、手術された。父親が同意させられたという。

「手術してからは毎日寝込んで、疲れるようになった。このまま闇に葬り去られては困ると思い、声を上げてきました。同じような被害者に名乗り出てほしい」

「人生を返して欲しい」

 佐藤路子さん(仮名=60代)は、知的障害のある佐藤由美さん(仮名=60代)の義姉だ。由美さんは6歳で「精神薄弱」(現在の知的障害)の診断を受け、15歳のとき、医師に「遺伝性精神薄弱」とされ、手術を強制された。

「義妹の場合、手術を受けた台帳が残っていたので提訴しました」(路子さん)

 現在、与党のワーキングチームや超党派の議員連盟によって、救済法案の骨子案が出されているが、「知的障がい者の場合は申請が難しい。本人だけでなく、家族の申請もできるようにしてほしい。また、残された家族が被害について知らない場合、被害が埋もれてしまう。国は通知する義務があります」と、申請手続きの問題点を指摘する。

 東京都の北三郎さん(仮名=75)は宮城県仙台市出身。母親が亡くなり、家庭の事情で教護院(現在の児童自立支援施設)に入れられた。14歳のとき、施設の職員に連れられ病院へ行き、優生手術を受けさせられた。

「具体的な説明はなし。あとから“子どもをできなくする手術”と聞かされました。ほかに3人が手術を受けていました」

 妻には病気で亡くなる数日前、初めて打ち明けた。北さんを責めることもなく“私がいなくなっても食事はとってね”と言い、息を引き取ったそうだ。

「人生を返してほしい。それが無理なら、せめて事実を明らかにしてほしい」

 この日、集会に先立ち『優生手術被害者・家族の会』が発足した。メンバーは10人前後。国に謝罪を求め、啓発や相談窓口としても活動する予定だ。国は「当時は適法」の姿勢を崩していない。なぜ手術が進められてきたのか、調査し、実態を解明する責任がある。