現在、全国に100万人いると推測されるひきこもり。その素顔が知りたくて、当事者やその親御さんとゆっくり話をしてきた。第1シリーズ最終回を迎えた第6回は、親との衝突に悩んだ当事者と、ひきこもりに詳しい精神科医の話をもとに自覚が難しいとされる『社会的ひきこもり』について考えたい。
(ノンフィクションライター 亀山早苗)
写真はイメージ

<第6回>
木村ナオヒロさん(34)のケース

「世の中、偏見に満ちているんですよ。ひきこもりを引きずり出して働かせるのが支援だと思ってる。それじゃ、ひきこもりは減りません」

 木村ナオヒロさん(34)は、当事者や親たちに情報を発信する『ひきこもり新聞』の主宰者だ。大柄で一見、威圧感がありそうだが、表情は穏やかで話し方もソフトである。冒頭の言葉も、彼の経験から出た真摯(しんし)なひと言だ。

 祖母、大手企業に勤める父親、教員の母、妹との5人家族で育った木村さんは、幼いころからワンパクだった。中学では陸上をやっていたが喘息(ぜんそく)で中断。高校ではバレー部に所属したものの先生とケンカをしてやめたという。大学受験に失敗すると、家で浪人生活を送るようになった。

「最初は快適だったんですが、だんだん勉強の仕方がわからなくなっていって、うつ状態に。宅浪(家で浪人生活を送ること)は、やはりちょっと病的になりますね」

 それでもその後、大学に合格。実家のある茨城県から神戸へと住所が変わり、大学生活は「まっとうに過ごしていた」という。法学部で司法試験を目指していた。

「そのころヤミ金が猛威をふるっていたんです。人の弱みにつけこんで暴利をむさぼるなんて許せない。弁護士になって被害者を救いたいと本気で思った。そもそも2時間かけて会社に行く父親を見て、会社員になんてなりたくないとも思っていたし」

 卒業後は実家に戻って勉強を続けていた。ところが家で勉強を始めると、宅浪時代のようにうつ状態に見舞われた。

自分を否定して、どんどん身体が動かなくなっていくんです。まずいと思って、自己否定の思考に陥らないようにしていたつもりだったけど陥っていく。同時に、親との関係が悪くなっていきました

 父親は大手企業に勤めていたから、それなりにプライドもあったようだ。せっかくいい大学を出たのだから、きちんと就職するべきだと感じていたのだろう。ところが息子は就職を否定する。父としてはそれを自分への否定と感じたのかもしれない。

司法試験の講座を受けたくてもお金が必要。ところが父親は司法試験なんか受けるなと言う。僕のやりたいことを否定されるのがたまらなかった。父はもともと何かあるとすぐ怒鳴るタイプでしたが、僕も負けていなかった。怒鳴り合い、つかみあい、壁に穴もあけて、ドアは3枚くらい破りましたね。それからすぐ両親が家を出て、僕はひとりで暮らすようになったんです」

衝撃的な出来事でパニック状態に……

 そこから本格的な“ひきこもり”が始まった。ただ、彼自身はひきこもりだとは思っていなかった。調子がいいときは朝5時に起きて犬の散歩をし、図書館を転々として勉強する。だが、不調な時期はだんだん多くなっていく。

「調子が悪いと、なぜか背広の人が怖い。だから朝出るときも、周りの人に見られないようにマスクで顔を隠す。図書館に行くと、法律書を読まなければいけないと思いつつ心理学の本に手がのびる。そのうち家でやたらと眠るようになりました。ひきこもりは生産性が低いんですよ」

 1か月半くらい起き上がれないことすらあった。調子のいいときにサバ缶などの缶詰を大量に買い込んで、お腹を満たす生活も送った。

 親も心配だったのだろう。ある日突然、両親と警察官2名、保健所から2名、計6名が自宅にやってきた。事前に何の連絡もなかったため、木村さんはパニックに陥った。玄関先で怒鳴り合いになり、誰も家に入れずに追い返した。それは彼にとって衝撃的な出来事だった。

「裏で親を操っている人間がいると思ったんです」

 それがひきこもりについて詳しい精神科医の斎藤環さんだった。母親が斎藤さんの本を読み、相談に行ったのだ。だが、本人を連れてこないと診ることができないと言われ、途方に暮れて保健所や警察に頼って息子を引きずりだそうとしたのが、ことのてん末。

「その話を聞いて、僕は斎藤先生に文句を言ってやろうと思って乗り込んでいきました。“僕たち家族は終わっているので関わらないでください”と言ったら、先生がひと言、“あなた、ひきこもりです”と。頭に来ましたね。ひきこもりだなんて、イメージが悪い、バカにされていると思った。外に出ることもあるし、勉強もしているのに何がひきこもりだ、と。そうしたら先生は“物理的、空間的じゃなくて社会的ひきこもりです”と。納得はしませんでした」

 それが2015年の7月のこと。その後、彼は斎藤さんの本を読みあさった。そしてしつこく連絡をしてくる「迷惑な親」をなんとかしてもらえないかと斎藤さんに相談に行った。それがきっかけで、「しばらく続けてみませんか」と誘われ、2週間に1度、通うこととなった。そうやって斎藤さんと話をしているうちに、ようやく自分がひきこもっていたことを自覚する。

誰でもなりうるひきこもり

 同じころ、「支援団体」と名乗るグループが暴力的に家から連れだして寮に入れてしまうのをテレビで見ても、自分の経験と照らし合わせ、ひきこもりをめぐる状況を客観的に見られるようになっていた。斎藤さんが参加している「ランニングの会」にも誘われて行くようになり、今もときどき一緒に走る。そうやって、木村さんは徐々に人や社会との接点を見いだしていく。

「ついにひきこもりから脱出したのは2016年4月。写真の学校に通い始めたんです」

 宅浪時代と大学卒業後合わせて計10年にわたるひきこもり生活。脱するきっかけは、その少し前に人間関係をつくりたいとネットライブ配信にはまったことだった。配信を通じてひとりの女性と親しくなり、ダンサーである彼女に踊っているところを撮影してほしいと頼まれた。もともと写真を撮るのは好きだったが「カメラがあると人とつながれるんだ」と実感したという

 彼はプロのカメラマンになるためのコースに1年間、しっかりと通った。

「いろいろな世代や立場の人が通ってきていました。長い間人と関わっていなかったから、最初は戸惑いもあったけど、みんなで一緒に学んでいこうという雰囲気があって違和感を覚えずにすみました。同時期に自分で見つけた“居場所”にも頻繁に行き始めました。『ひきこもりフューチャーセッション庵』という、当事者の会です。同じ経験をした人同士で話すことがいかに大事か、よくわかりました。“人薬”というのかな、医者の薬より話すことがいちばんの薬になると実感したんです

 同年秋、『ひきこもり新聞』を立ち上げた。ひきこもり当事者が声を上げなければ、世間の偏見が大きくなるばかりだと感じたからだ。「働かないダメなヤツ」としか思われていない。それは違うと声を上げたいと強く思ったという。

 ひきこもりになる人、ならない人の違いはどこにあるのか。彼が心を寄せた斎藤環さんに話を聞くと、

「ひきこもりは個人の資質だとしたほうがわかりやすいけれど、必ずしもそうではない」と断言する。人間関係と環境や状況によって、誰でもストレスを感じ、うつ状態になることがある。その防衛本能でひきこもるのだという。つまり、誰でもひきこもる可能性があるということだ。

「それが孤立化し、長期間に及ぶと身体と心を病んでいく。病的な状態につながるおそれがあるんです。そうなったら治療が必要です」(斎藤さん)

 ひきこもりを招くベースには、家族関係を含む人間関係の問題、学校や職場でのいじめやハラスメントなどの環境の悪さがある。そこで何かきっかけがあれば人はひきこもってしまうものなのだという。

「親は、ひきこもらない子を育てられなかった自分を責めますが、それは意味がありません。その後、どう適切に対処するか、これからどう前を向いていくかが大事なんです」

 ひきこもりの人は発達障害が多いとも言われているが、斎藤さんはそれも否定する。「ひきこもっている状態のときは発達障害、パーソナリティー障害だと思われることもありますが、そういう安易な診断はレッテル貼りにつながりかねないと危惧(きぐ)しています」

 当事者である木村さんすら、自分が当事者だと気づけなかった。そしてひきこもりだと斎藤さんに言われて「バカにされている」と感じていたのだ。彼自身にも偏見があった。だからこそ、世間の認識もわかるし当事者の気持ちもわかる。そんな自分が声を上げなければと思ったのだろう。

当事者や親の会などとつながりをもってみて思ったんですが、当事者だけではないし、親たちも孤立しているんです。親の会に出席するのも勇気が必要なんだと思う。親の会に関われば、元当事者ともつながりができて、自分の子の気持ちにも少しは気づけるはずなんです。僕自身、本当は親子できちんと対話をしなければダメだと思っています。だから『ひきこもり新聞』は、当事者と親と支援者、それぞれの立場から記事を作っているんです」

親子の理想にはズレがある

 木村さんがひきこもりから脱出したことで、自宅には母親が戻ってきて生活をともにしているが、父とは今も別居状態。母はすでに息子といえども人を支配することはできないと気づいたようだ。だが父はいまだに「今だったら日本郵便に就職できるんじゃないか」と言ったりするという。

「世間体を考えて、大きなところに就職してほしいんでしょう。父も僕も先祖から引き継いだ土地を所有していて、経済的な不安はないんですが、父は僕が“普通の人”と違う生き方をしているのが恥ずかしいと思っているようです

 父は自身の価値観から脱却できずにいるのだろうが、子どもに押しつけるものではないはず。親子の価値観は違って当然なのだから、それを認め合うしかないのだが。

 前出の斎藤さんが興味深い事例を教えてくれた。

「家族関係がいい家庭の30代の息子が5年以上ひきこもっていたんです。家では彼が毎日、夕飯を作っていた。仕事をしない以外は問題なかった。そんな彼がある日、母親の紹介で急に働き始めたんです。私も驚きました。家族関係が良好なら、お膳立てさえすれば働き始める人はいる。彼はずっと仕事を続けています

 一方で長く引きこもる娘の面倒を見切れず、娘を捨てる覚悟をした親もいる。世帯分離して娘はひとり生活保護を受けて暮らしているという。

「ずっと一緒に生活し続けることには限界があります。子どもが中高年にさしかかったら、あと何年と線引きしてもいいと思います。日本人は“家族幻想”が強いし、国が弱者へのコスト配分を進めないから、家族が面倒をみなければいけない状態にありますが、限界を感じたら別の方法を探してもいいと思いますね」(斎藤さん)

 ひきこもった子を親が殺害する事件も起こっている。そんな悲惨なことになるよりは世帯分離したほうがずっとましではないだろうか。

 彼はもう1度、司法試験の勉強を再開するつもりだ。

「自宅に籠(こ)もって勉強すると病んでしまうので、仕事をしながら勉強するか、法科大学院に進学するか迷っています。母も法科大学院への進学を応援してくれています。どんな結末になっても、夢を諦(あきら)めて父親の言うとおりの生き方をするつもりはありません」

 カメラマンとして、新聞発行人として写真を撮ったり記事を書いたりする仕事もある。

「自分を殺して社会にはまっていくことができない人間がいるんです。そういう人がひきこもってしまう。ただ、大多数は普通に生きたいと思っているし、誰かの役に立ちたいとも思っている。僕も含めてそういう人間が能動的に行動できるような社会になっていけばいいと思っています」

 親との壮絶な闘いを経て、少し落ち着いた生活ができるようになった木村さん。まだ父との関係はむずかしい状態だが、少なくとも母には自身の生き方をわかってもらえるようになっている。

「僕もまだ道半ばではありますが、ひきこもりを脱した先には、家族の再生があるような気がします」

【文/亀山早苗(ノンフィクションライター)】

※第1シリーズは今回で最終回になります。続きは来年お届け予定です。


かめやまさなえ◎1960年、東京生まれ。明治大学文学部卒業後、フリーライターとして活動。女の生き方をテーマに、恋愛、結婚、性の問題、また、女性や子どもの貧困、熊本地震など、幅広くノンフィクションを執筆