尾畠春夫さん

「私の今年1年を振り返って、漢字一文字ですか? うーん、……私もやっぱり『災』ですよ。西日本豪雨のボランティアで広島県呉市に何度も行っちょりましたけんね。

 来年への期待を漢字一文字で表すと? そりゃあ、『無』ですね。災害もゼロ、事件や事故もゼロがいちばんいいですから」

 と尾畠春夫さん(79)。約30年前に地元・由布岳の登山道でボランティアを始めて以降、新潟県中越地震、東日本大震災、熊本地震などで被災地の支援活動を続け、今年8月、山口県周防大島町で3日間行方不明だった2歳男児を約30分で救出して一躍、スーパーボランティアとして知られるようになった。

親の愛は十分には受けちょらん

 大分県日出町の自宅を訪ねると、笑顔で出迎え、熱いコーヒーをふるまってくれた。

「スーパーボランティア? 中学校も4か月しか行っちょらんし、学がないけん、そげな言葉は聞いたことがなかとですよ。当たり前のことをやっちょっただけで、特別なことじゃなかけん、新語・流行語大賞は辞退したとです。私の100倍もやっとる人もおりますけんねぇ。

 私のことを書いた単行本の出版も断りました。OKと言ったかどうかはよう覚えちょらんですが、サインもしとらんし、印鑑も押しとらん。そんなの出してほしくなかとです」

 同県国東市で7人きょうだいの4番目に生まれ、小学4年生のときに母親を亡くした。5年生で下駄職人の父親から農家に奉公に出され、鮮魚店での修業などを経て28歳で結婚。別府市に自分の鮮魚店をオープンし、1男1女に恵まれた。65歳で仕事を引退すると、現在の日出町に一戸建て住宅を購入して妻と移り住んだ。孫が5人いる。

自宅には、サバ、サンマ、イワシ、イカの缶詰やクジラの大和煮などの缶詰が

親には感謝しとります。こんな学のない男でも、一丁前に仕事をして、結婚して、子どももできて、育てて学校を出すことができましたからね。私を家から追い出した父親にも感謝しちょるとです。ちゅうても、私が死んだときは、あの世で父親に抱きしめられたいとは思わん(笑)。ギュッと抱きしめられたいのは、やっぱり母親ですよ」

 いまでこそ、そう言えるが昔は父親を恨んだという。

「父親は“飲む、打つ、買う”のろくでもない親やった。母親が亡くなった翌年、“大飯喰らい”と言われて家を出されたとです。だから私は、父からも母からも親の愛は十分には受けちょらんとですよ」

 しかし、父親が62歳で亡くなる直前、ふたたび一緒に生活することになった。すっかり、おとなしくなっていて、不思議と恨む気持ちは消えていた。

輪ゴム、ガムテープ、ホチキスなど尾畠さんはぶら下げておくのが好き

 父親の亡くなった歳を17歳越えたいま、長男が週に1回、長女が週2、3回、実家を訪ねてくる。若いころ、どんな育児をしたのだろうか。

私が子育ての信条としたのは“手を出すな、口を出すな、目を離すな”です。大阪府寝屋川市で中学1年の男子生徒と女子生徒が夜中に出歩いて殺された事件があったでしょ。あれも親が目を離したから、起こったとですよ。

 娘には手を出さんやったですよ。嫁さんにも、もちろん手を出したことはなか。女には手は上げんのが私の性分です。けど、息子には手を出しましたね。やっちゃならんことをしたり、約束を破ったときに。2%は厳しく育てて、あとの98%は優しく育てました。おかげさまで、うちの子は2人ともちゃんと育ってくれました。反抗期もなかった」

カミさんは、そりゃもう別格

 夫婦は離ればなれに暮らしている。妻が5年前に家を出てからひとり暮らしだ。

「旅に出ちょっとですよ。“家を出たい”ちゅうて、理由はなんも言わんでね。私に飽きたとじゃなかでしょうか。いまは両親が住んどった実家でひとりで住んどると思います。この5年、1回も会うとらんし、電話もしとらんです。息子や娘が会うとるか、連絡とっとるかも知らん。

 ただ、家の鍵は持っちょるから、帰ってきたいときはいつでも帰ってくるとじゃなかですか。もし、帰ってきたら“お帰り”って言いますよ

 2人のなれそめや口説き方を尋ねると、

「それについては、ノーコメント。いまはね。戻ってきたら話してもよかですが、いまは話したくないとです」

 しかし、恋愛・夫婦論については一途な性格をのぞかせた。

作業着の膝の部分にはかなり大きなあて布がされている

子どもも大事、仕事のお客さんも大事、自分も大事。でもカミさんは、そりゃもう別格。総合的に別格も別格。ダントツの1番ですよ(笑)。結婚してから1回も不倫はしとらんし、たとえ酒の席でも、ほかの女性の手は1回も握ったことさえなかとですよ。

 結婚前、神戸の鮮魚店で働いていた若いころは、近くの福原で女を買うちょりましたよ。結婚してからは、そういうこともいっさいなかとですよ。ついこの前も、この家に女性が泊まっていって、私が寝袋で寝ているときも、そんなことはなんもなかったぐらいやけん」

 ドキッとするエピソードを披瀝すると、被災地ボランティアでのひと幕も……。

コーヒーは2番目に好きな飲み物でね。1番目はなんちゅうても母乳ですよ(笑)。あげなうまかもんはなか。被災地で75歳の女性に、“飲ませてほしかぁ”ってゆうたら、“もう出ない”って。

 “そりゃあ、ダンナが悪か。ちゃんと揉んでやらんけんたい”と言うと、“おじいちゃん、そういうこと言ってくれてうれしい”って言ってたですよ。セクハラになるかもしれんですが、そーゆーことは関係性によるけんですね」

尾畠さんの1日に密着!

 年金は手取りで月5万5000円。テレビはほとんど見ず、冷暖房も使わない。入浴は露天風呂ですませ、切り詰めて月約3万5000円をボランティア活動費などにあてる。ライフスタイルは早寝早起きだ。

まず、朝は3~5時に起きる。3時に起きるときっちゅーのは、NHKラジオ『ラジオ深夜便』の『にっぽんの歌 こころの歌』コーナーで、三波春夫さんとか、二葉百合子さんとか、好きな歌手が出るときに起きて聴いとるわけです。いわゆる昭和歌謡が好きなんですよ。

 それで5時になると、顔も洗わんで、8000メートル走りに行くとです。だいたい65分から70分かかっとですよ。

 それが終わると、車かバイクで30分ぐらいのところにある秘湯に行く。もちろん、無料です。行って、帰ってくるまで2~3時間ぐらいですね」

温泉につかっている尾畠さんは夢見気分の表情(※画像は一部加工、本人の許可を得て撮影しています)

 秘湯に同行させてもらうと、温泉に浸かっているときの表情は実に気持ちよさそう。すっかり有名人になったが、手ぬぐいで股間を隠すこともなく、九州男児らしい堂々とした入浴だった。

 午前9~10時にいったん帰宅し、オリジナリティーあふれる朝食をとる。

パックご飯のストックがたくさん。被災地支援のときスピーディ―に駆けつけられる。とんこつラーメンのカップ麺も

パックご飯と魚の缶詰が基本。それにカップラーメンも。まあ、非常食ですね。これらは被災地に行くときも持って行っちょる。みそ汁はあんまり飲まんですね。野草を食べるときもあります。特に野生の桑は、3、4種類あって、蚕さんが食うとるように、身体によさそうだから、塩で湯がいて焼き肉のたれをつけて食べます。

 焼き肉のたれは、娘が“万能だから”と教えてくれたとです。私はうまいもんは食わん主義ちゅうか、しゃれたカタカナのもんは食べんとですよ。ハンバーグとか、ソーセージとか、ハムとかですね

 食事のあとは、由布岳の登山道整備に使う網や木製部品を手作りする。木材は車で5分ほど行った海岸で、流木を拾ってきて加工する。作業は午後1~2時まで続いて、そのあとはランチタイム。

「昼飯は抜くときもありますが、食べるときはだいたい食パンですね。地元のスーパーで買った1斤67円のものを2枚ほど、350グラム148円のマーガリンを塗って、トースターで焼いたものを食うちょる。それにインスタントコーヒーです」

 あれっ!? 尾畠さん、カタカナの食べ物じゃないですか? そう突っ込むと「あっ、言われてみればそうだね」と愉快そうに笑う。午後は、近くの国道10号線でゴミ拾いのボランティアだ。

ペットボトル、弁当のカラ箱、紙切れなどを拾って、最高でゴミ袋が13袋になった日も。袋にはマジックで“R10 ○月×日△時□分”って書く。R10は国道10号線って意味です。そう書いてガードレールに結びつけちょくと、国交省が片付けてくれるとですよ。

 午後5~6時には晩飯です。食べ終わったら、もう寝るとです。ほら、午前3時に起きるときもありますからね。でも、いまは、マスコミやら役所関係やら、そういう人たちが来るし、電話もあるから、そういうわけにもいきませんけどね」

医者からは「悪いところが3つある」

 ベッドも布団も使わず、常に寝袋で睡眠をとる。

使い込まれた寝袋。自宅なのに、まるで避難生活みたいだ

 身体が資本だ。「医は食にあり、食は農にあり、農は自然に学ぶべし」の言葉を実践しているといい、健康そのもの。生きている5人のきょうだいの中で、ただひとり、糖尿病を煩うことなく、11年間も健康保険証を使っていないという。

「ただ、医者からは悪いところが3つあると言われちょってね。1つ目は顔、2つ目は顔が黒いこと、3つ目は足が短いって(笑い)」

 若いころと比べると、世の中、ずいぶん裕福になった。便利にもなった。ただ、それを簡単には享受しない。

「携帯電話は便利でしょうが、私はいらん。子どもがスマホ、テレビゲームなんかを持っていますが、どうでしょうかねぇ。学のある大人がそういうのを作って、子どもを狙って売っていくというやり方は、あんまり褒められたことじゃないと思うとですけどね。

 親が連絡や防犯のためスマホを持たせているという話をよく聞きますが、よけいに問題になっとる気がするとですよ」

 ぼろは着てても心は錦、でいいという。

これが尾畠さんの戦闘スタイル

人が見ていなければ、悪いことをして金を稼いでもいいという人たちが増えているでしょう。そこがいかんのです。金に執着したら、1円でも多く欲しゅうなるとですよ。日産の元会長のカルロス・ゴーンがそげんでしょう。50億円ですよ、50億円。年収1億円を超えたら、2億円も3億円も一緒じゃなかですか。そいでも、少しでも多く欲しくなるとですよ」

 年末の大掃除はしない。NHK紅白歌合戦も見ない。おせち料理や、お雑煮を食べることもない。初詣に行くこともない、と明かす。

「ただ、正月の箱根駅伝だけは見ますよ。アマチュアが一生懸命にやっとる姿がよくてねぇ。プロがお金のためにやっている姿は、あんまり見たくないとですよ」

「何か活動をしたほうが残る」

 必要だと思えば、お金にならないことでも喜んで力を貸す。地元の日出町立川崎小学校で12月10日、尾畠さんは“特別授業”を行った。学校側の求めに応じて、5年生の「特別活動」枠で“先生”を務めた。この日は豪雨被災時などに役立つ土のう作りを教えた。

「最初は何か話をしてもらおうと交渉したのですが、尾畠さんが“話は心に残らん。何か活動をしたほうが残る”とおっしゃるので、こういうかたちにしました。当初は45分授業の予定でしたが、大幅に盛り上がって45分も延長してしまいました。

 屋外で寒い中、不安もありましたが、子どもたちは集中して真剣に尾畠さんの話を聞いていましたし、実際に2人1組で土のうを作り、それを持って校庭を1周運んで、積んで、楽しみながらやっていました。また、ぜひやりたいです」(川崎小学校)

赤いハチマキを巻いて土のうの作り方を教える=12月10日、日出町立川崎小で

 子どもたちの目はキラキラ輝いていたという。

 最後に2019年の抱負を聞いた。

まず、沖縄県にガマというのがあって、洞窟に兵隊さんの遺骨が残っとるとですが、それを調べて収集したいですね。今年やる予定だったのが、できんかったから、来年こそはぜひやりたいですね。

 それから、いつかは定時制高校に通って勉強したいと思っとりましたので実現したい。高校は義務教育じゃないですが、勉強したいとですよ。年齢も性別も関係なかとですよ。漢字の勉強やなんから、全部やってみたいとですよ


《INTERVIEWER PROFILE》
山嵜信明 ◎やまさき・のぶあき 1959年、佐賀県生まれ。大学卒業後、業界新聞社、編集プロダクションなどを経て、'94年からフリーライター。事件・事故取材を中心にスポーツ、芸能、動物虐待などさまざまな分野で執筆している