遠藤彩見さん 撮影/伊藤和幸

 遠藤彩見さんの最新作『千のグラスを満たすには』は、日本一の歓楽街にある老舗のキャバクラ「ジュビリー」を舞台に描く異色のお仕事小説。売れない新人キャバ嬢のアヤカ、仕事終わりのキャバ嬢を自宅に送り届けるドライバーの益子、ヘアセット専門サロンで働く元キャバ嬢のミサキ、客にキャバ嬢をつけて店を回す指名係の甲野、そして店長・戸田の5人それぞれの視点から、とある年の11月に起きた出来事を描いていく。

輝かしい表舞台の裏側を描いている

「私はもともとドラマの脚本家で、キャバクラを舞台にした『嬢王』シリーズの脚本を書いていました。その際にキャバクラに行く機会があり、お店の裏側を見せていただいたことがあるんです。そのときの経験をもとに、単行本『キッチン・ブルー』に収録されている『キャバクラの台所』という小説を書きました。『千のグラスを満たすには』は、その続編にあたる作品です」

『キャバクラの台所』は、ひとりのキャバ嬢が挫折を経て成長する物語だが、本作ではキャバ嬢をはじめ、キャバクラと、その周辺で働く人々の仕事ぶりが丁寧に描かれている。

「キャバクラ関係の方に取材をさせていただいたり資料を読む中で、キャバ嬢さんには年齢的なリミットがあり、まるでドッグイヤーのように普通の人の7年を1年で駆け抜ける仕事人生なのだと感じました。どんな仕事にも苦労があり、そのぶん、喜びもあるものですから。キラキラと輝く表舞台の裏側で頑張る人たちを描きたいと思いました」

 キャバ嬢という仕事には華やかでラクに稼げるイメージを持つ人もいるだろう。だが、現実はシビアだ。

「例えば、お客さんにLINEを送るタイミングやおねだりの仕方など、いつも次の手を考えているので、キャバ嬢さんの頭の中は休みなくフル回転しているらしいんです。それだけでも疲れてしまいそうなのに、自分の価値が売り上げと順位で明確にされるなど、常に大きなプレッシャーにさらされています。強いメンタルがなければできない仕事なのだと思いました」

 一方で、キャバ嬢という仕事に就く女性からは、圧倒的なパワーを感じるとも。

今の若い方は、欲とか野心を持っている人が少ないといわれていますよね。そんな中で、“ナンバーワンになりたい”“もっと稼ぎたい”とギラギラしているキャバ嬢さんたちは、タフでカッコいいと思うんです」

自分らしい人生を歩む第一歩を描く

 本作の冒頭には「自分の感情をコントロールし、相手の感情に働きかける職業。キャバ嬢はまさに感情労働者なのだ」という記述がある。

「この作品の登場人物は、ほぼ全員が感情労働に従事しています。直接、仕事では関わらなくても、例えば、家族とか友達とか恋人といった身近な人を前にして、感情をコントロールすることの必要性を実感している人は多いと思うんです。そうした方にも興味を持ってもらえるのではないかと思いました」

 実は遠藤さんは、本作の執筆に取りかかる以前から有名キャバ嬢のブログや本などを読んでいたという。

「私自身がかなりの豆腐みたいなメンタルですから、第一線で働いているキャバ嬢さんがどうやって強いメンタルを保っているのかを知りたいと思ったんです。自分なりの哲学を持っていたり、気分転換の方法がいくつもあったりなど、第一線で働くキャバ嬢さんはセルフプロデュースに長けていることがわかりました」

 本作の軸ともいえる人物のひとりが、キャバクラ・ジュビリーの不動のナンバーワンであるリコだ。

遠藤彩見さん 撮影/伊藤和幸

「リコは強いメンタルの持ち主で“こんなふうに強くなれたらいいなぁ”という私の憧れが込められているんです。ただ、強いメンタルを維持するためには鎧を強化しなくてはならなくて、いつの間にか自分で自分の本音がわからなくなっている。そんな一面もあるような気もしました。そうした人間が本当の自分に戻る第一歩を踏み出すような物語にしたいとも思いました」

 遠藤さんは、“自分の人生は自分でなんとかする”というテーマで小説を書き続けている。その背景にあるのは自身の経験だった。

「私は脚本家として“これからどうしよう……”ともがき、小説を書くまでに悩んでいた時期があるんです。ですから、夢破れてヘアサロンで働くなかで新たな道を見つける元キャバ嬢のミサキには、かつての自分が重なりました」

 遠藤さんは、本作で次のような挑戦をしたという。

「この小説は、5つの物語が同じ時間軸で進んでいきます。例えば、1章目でアヤカが店長と話をしているとき、実はリコはこういうことをしている、という具合に、それぞれの人物の動きを組み合わせることで物語ができあがっています。読み進めるうちに登場人物の見え方が違っていく、という書き方は難しかったけれど、挑戦のしがいがありました」

 最後に、読者におすすめの読み方をうかがった。

「今のキャバクラには女性のお客さんもたくさんいらっしゃいますし、日常に疲れたときにはぜひ“読むキャバクラ”みたいな感覚でこの本を手にとっていただき、元気になってもらえたらうれしいです

ライターは見た! 著者の素顔

 以前から食に興味があるという遠藤さん。食によって心身を快適にすることがいちばんの趣味なのだそう。「例えば、梅干しには集中力を上げる作用があるというので、仕事中に梅干しを食べたりします。また、くるみは脳の働きにいいそうなので、くるみバターにして毎朝、とっています。それから、座り仕事が続いてむくんだときにはきゅうりですね。ちなみに、今日の撮影にそなえてむくみをとるために、昨日はきゅうりを2本食べました(笑)」

『千のグラスを満たすには』 遠藤彩見=著 新潮社 1620円(税込) ※記事の中の写真をクリックするとアマゾンの紹介ページにジャンプします 

PROFILE●えんどう・さえみ●東京都生まれ。1996年、脚本家デビュー。テレビドラマ『入道雲は白 夏の空は青』で第16回ATP賞ドラマ部門最優秀賞を受賞。2013年、初の小説『給食のおにいさん』を発表。ほか、著書に『キッチン・ブルー』『イメコン』『バー極楽』などがある

(取材・文/熊谷あづさ)