封筒に入った9万円をめぐり、Aさんは帰らぬ人に

「主文、被告人を懲役5年4か月に処する」

 夫に暴行を加えて死亡させたとして傷害致死罪に問われた東京都板橋区の専業主婦・有賀友加被告(45=保釈中)の控訴審で、東京高裁(合田悦三裁判長)は1月31日、1審のさいたま地裁判決(懲役6年)を破棄し、減刑する有罪判決を言い渡した。

 黒のパンツスーツ姿で出廷した友加被告は直立不動だった。

長男と夫の後を追った妻

 事件が起こったのは昨年1月5日のこと。友加被告の夫Aさん(当時53)が宅配便仕分けの夜間アルバイトを終えて退勤する午前8時ごろ、友加被告と長男・大生受刑者(24)は、職場近くに自家用車を止めて“待ち伏せ”した。Aさんは前年末から1週間以上、自宅に帰らず家族との初詣もすっぽかしていた。

 友加被告は怒っていた。

「夫は約束を破っただけでなく、新しい働き口を失いそうでした。日勤で待遇のよいアルバイト採用が決まっていたのに提出書類を出していなかったので、長男に運転手役を頼んで職場に向かったんです」

 週刊女性の取材に応じた友加被告はやつれた表情で、そんなふうに事件を語り始めた。

 裁判などで明らかになったところによると、友加被告と大生受刑者はAさんのあとを追った。コンビニエンスストアに寄り、おにぎりの棚の前で背中を向けていた。

「私にはピンときたんです。おにぎりを万引きしたなって。すると、案の定、トイレに入った。万引きは現行犯逮捕が基本ですから、証拠隠滅のためトイレの中でおにぎりを食べるんだろうって」(友加被告)

 店に駆け込み、「夫が万引きした。警察を呼んでください」と店員に頼んだ。Aさんは過去に何度も万引き歴があったという。ところが警察が調べると、Aさんは何も盗んでいなかったと判明。友加被告と言い争いになった。

 大生受刑者が運転する車の後部座席で、夫婦は怒鳴り合いのケンカを続けた。Aさんが家族の知らない「9万円」を持っていたことが火に油を注ぎ、「よこせ」「渡さない」などとエスカレートした。

 給料を管理しているのは友加被告で、Aさんは小遣いをもらっていなかった。友加被告は「消費者金融でキャッシングしたお金ならば即日返済しないと」と思って取り上げることに必死になり、大生受刑者に手伝うように頼んだという。

 1審判決は、

《友加被告は車内で夫の上半身の上に座り押さえつけ、その背部を傘の先端などで突くなどの暴行を加えた。また、長男はうつ伏せ状態の父親の背部を膝で蹴り、頭部を足で踏みつけるなどの暴行を加え、背部の上に座って父親を押さえつけた。被害者の死因は胸郭などの圧迫による窒息死》

 と事実認定している。

Aさんを突いたとする傘は折れ曲がって…

 大生受刑者は昨年7月13日、1審で懲役3年の判決を受けて控訴せず現在、服役中だ。友加被告は同年9月4日の懲役6年の判決を不服として控訴審に進んでいた。

 控訴審の主な争点は、友加被告が犯行を主導したのかどうか。判決は、事件後に友加被告がAさんの実家側に200万円の示談金を払っていることから「1審判決は重すぎる」と認めた。ただ、友加被告の主犯扱いは変わらなかった。

 友加被告は、

「長男の証言が信用されて私が何十回もボカスカ殴ったことにされてしまいました。長男を事件に巻き込んでしまったことは後悔していますが、キレて夫の顔を蹴ったりジャンプしてプロレス技のようなひざ蹴りをしたのは長男です。主に暴力をふるったほうよりも、そうでない私のほうが重い罪というのはおかしい」

 と納得できずにいる。

 友加被告は大生受刑者に対し、夫からお金を取るのを手伝ってほしいと頼んだだけで、「羽交い締めにしてくれとも、暴行を加えてくれとも指示していない」と言うのだ。

  なぜ、家族は転落したのか。

妻は何度も警察署に呼ばれた

 一家は友加被告とAさん、4男1女の7人家族。板橋区の一軒家で暮らしていた。Aさんは運送会社のトラックドライバーで最高年収は約1000万円。比較的余裕のある生活を送っていた。

 しかし、リーマン・ショックの影響もあって会社の業績は悪化し、2012年にはボーナスをカットされるなど年収が約300万円減った。家族旅行に行く余裕はなくなり、平穏な日々が狂い始めた。

「夫は会社に内緒で夜間に副業を始め、それがバレて正社員から嘱託社員に格下げ。たびたび交通事故を起こして'16年に解雇され、昼と夜のアルバイトを掛け持ちするようになりました」と友加被告。

 生活は一層苦しくなった。

 夫はバイト先から数千円をくすねるようになり、それが見つかってまた解雇された。友加被告は夫の行動に目を光らせるようになった。

「夫は駅で無人改札を突っ切ったり、前を歩く人のうしろにピタッとついてくぐり抜けるなど無賃乗車をするようになりました。コンビニの万引きも日常茶飯事になり、私は何度も警察署や駅に呼ばれました」

友加被告は時折涙ぐみながら詳細を語った

 悪事に手を染めるようになっても、Aさんは働き続けた。削れるのは交通費ぐらい。板橋区の自宅からレインボーブリッジを歩いて渡り、江東区の職場に通ったこともあったという。

 '17年夏ごろ、帰宅するのがめんどくさくなったのか、睡眠時間を確保するためか、ほとんど自宅に帰らなくなった。日中は区立図書館などで仮眠をとるようになった。

「留守中や就寝中に夫が帰宅してもいいようにお弁当を作っておき、着替えを準備し、置き手紙を添えて門扉にかけておくようになりました。異様な夫婦関係に見えるかもしれませんが、私としては必死だったんです」

 子どもの学費や住民税、健康保険料も払えず、病院にも行けない状態に。こうして、一家は事件当日を迎えた。

 大生受刑者は裁判で、

《母から父が持っていたお金を取り上げてくれと頼まれて、何でこんなことを僕がやらなきゃいけないんだとは思っていたんですけど、やっぱり母のためというか、最終的には家のため、弟たちのためにつながると思い、仕方なく父に手を上げました》

 と述べている。

 Aさんが渡そうとしなかった封筒には9万円が入っていた。年末年始に長野県上伊那郡の実家に帰省し、母親からもらった11万円の残額だった。電車賃が足りず、厳冬の山梨県境を歩いて越えた。

初めて明かされた“真実”

 都内に住む友加被告の母親(80)に話を聞いた。

友加の夫は、根はまじめな人でした。子どもが多いから経済的に大変だったけれど、父親の自覚があって、寝る間を惜しんで働こうとしていました。裁判は、親子だから、長男よりも母親である友加に責任が行ってしまったのかなと思いました。

 私はいま孫を4人預かっていますが、年齢が年齢なのでもう限界です。孫の将来が心配です」

 事件では、子どもたちが知らない秘密が明るみに出た。

 大生受刑者だけは友加被告の連れ子で、Aさんと血のつながりがなかったことだ。ほかのきょうだいと分け隔てなく接してくれた“父親”に初めて手を上げ、命を奪ってしまった大生受刑者は、友加被告の裁判に証人として出廷したときに母親を睨みつけた。

「20年間も養子であることを隠していたことを恨んでいるという話を弁護士から聞きました」(友加被告)

 一方、母親である友加被告もまた家族のために必死だった。複雑な心境にある大生受刑者は、控訴審判決前、裁判長あてに手紙を出している。

《母を恨んでいたり、重い刑を受けるべきだとは全く思っておらず、それどころか、自分も含め、残された5人の子ども達や、今でも面倒を見てくれる祖母の為にも、少しでも早く皆の所に戻ってこれるよう、軽い刑になってくれることを望んでいます》

 友加被告の独白は約10時間におよんだ。言いたいことを話し終えると、急に口元を手で覆うようにして「夫に……」と言葉を振り絞った。

「ごめんなさいって言いたいです。夫もつらかったろうな、大変だったろうなって今になって思います。あのときはみんな頭に血がのぼっていたので。今の私にできるのは、毎日、骨壺の埃をはらい、お水を取り替えてお祈りするくらいですから……」

 一家は何を間違えたのだろう。妻と息子から暴行を加えられ、薄れゆく意識の中で、Aさんの脳裏に浮かんだのはどんな光景だったのか。