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 平成のスポーツ史を代表する出来事のひとつ、Jリーグの開幕は平成5年。もとは10チームでリーグがスタートしたけれど現在はJ3まで含めると、なんとその数は50を超えるまでに! Jリーグが、いかに平成とともに成長したかを物語る数字だ。

 かたやプロ野球では、平成6年にすい星のごとくイチロー選手が登場。日本プロ野球史上初となるシーズン200本安打の偉業を達成し、一躍スター選手の仲間入りを果たした。

2大スポーツの英雄たちを振り返る

 翌年には、先に米大リーグに挑戦していた野茂英雄選手が最優秀新人(新人王)を獲得するなど、トルネードが日米を席巻。“NOMOマニア”なんて言葉も生まれた。

 平成8年には、アトランタ五輪においてブラジル代表を破る“マイアミの奇跡”が話題に。チームを率いた西野朗監督は、22年後のロシアW杯で代表監督を務めた。

 同じ年、長嶋監督率いるジャイアンツが、首位に最大11・5ゲーム差をつけられる苦しい展開ながらも、逆転優勝を飾る“メークドラマ”を達成。新語・流行語大賞の年間大賞も受賞するなど、注目を浴びた。

 続く平成9年には、サッカー日本代表が悲願のW杯出場を決め、日本中が“ジョホールバルの歓喜”に沸いた。翌年、決戦地フランスで、

「はずれるのはカズ、三浦カズ」

 の非情な通告とともに、三浦知良選手が代表落選。大きな物議を醸した。

 同年、超高校級として甲子園に登場した松坂大輔(当時、横浜高校)が大熱投を演じ、決勝戦でノーヒットノーランを達成。“平成の怪物”の物語は、ここから始まった。

 平成11年には、Jリーグの横浜フリューゲルスが消滅。経営悪化による撤退というスポーツビジネスの厳しさも、平成の間に浮き彫りになった。

 日韓W杯が開催された平成14年、カメルーンのキャンプ地に大分県中津江村が選ばれ注目を集めるなど、ピッチ外でもサッカーは爆発的人気を迎える。

なでしこ、マー君らが大健闘

 4年後の平成18年は、野球・サッカーともに大熱狂した1年。ワールド・ベースボール・クラシックを王監督が、ドイツW杯をジーコ監督が率いて激闘。寝不足&仕事が手につかなかった人も多いはず! ちなみに、この年はハンカチ王子こと斎藤佑樹選手と、マー君こと田中将大選手が、甲子園で死闘を演じた年でもある。

 このころになると、海外で日本人選手が活躍することも一般的に。中でも、平成21年、ワールドシリーズでMVPに輝いた松井秀喜選手(ヤンキース)の姿は印象的だった。

 そして、平成23年にはWBCに続くように、なでしこジャパンが世界一に輝く。キャプテンだった澤穂希さんも今ではママに。しかし、その“魂”は、高倉麻子監督率いる、新しいなでしこに引き継がれている。

 田中将大選手が無傷の24連勝を成し遂げ、東北楽天が初優勝を飾ったのが平成25年。球団創設から9年目の快挙だった。

 平成を彩った名プレーヤーが引退していく中、平成29年にはカズが50歳でゴールを決めギネス記録に。平成31年間を現役、そしてスターでありつづけたカズこそ、平成スポーツ史のレジェンドといっても過言ではない!