湯きりをする大坂善万さん。休みの日には娘夫婦も手伝う

 宮城県石巻市でラーメン店「浜よしのうまかべぇ~」を営む大坂善万さん(68)が亡き妻・かよ子さん(当時58)と作り上げてきた、地元で30年以上愛される中華そば。

 細いちぢれ麺とよくからむ透き通ったスープは、

「かつお節をベースに煮干しでコクを出します。ただし配合やほかの食材は企業秘密」

 と大坂さんは笑う。あっさりしたスープはお腹に優しく、どこか懐かしさを覚える味。

必死でさすった妻の身体

 大坂さんが店を再開したのは昨年10月1日。震災前は石巻港近くで「浜よし」という定食屋を、かよ子さんと二人三脚で切り盛りしていた。

 津波に襲われたのは地震後、片づけをしていたときだった。

「お父さん! 津波!」

 かよ子さんの声。濁流はあっという間に2階に達した。

「窓から外に出ました。お母さんは泳げなかったので、ベルトをつかんで必死に泳ぎました」

 隣接する水産加工場までなんとかたどりついた。

「片手でお母さんをつかみ、もう片方で柱にしがみつきました。水が少し引いたとき、建物の中に入り、必死でお母さんの身体をさすりました」

 衣服はびしょ濡れ、雪も降ってきた。凍てつく寒さ。

 かよ子さんは「お父さん、もうだめだ」と言うと意識が遠のいたという。大坂さんは、

「こんなところで死ぬな! と怒鳴りました。何度も何度も声をかけ続けましたが……。布団か毛布があれば温められたのに……」

 翌日夕、このままでは自分も死んでしまうと思い、かよ子さんの遺体が流されないようヒモで柱に固定し、「行くからな」と告げた。がれきの中をはだしで歩き、救助された。かよ子さんを失った喪失感は大きかった。

「仮設住宅に入りましたが、誰にも会いたくなかったし、ごはんも食べずにひとりで酒ばかり飲んでいた。でも1年近くそんな生活を続けていたら立ち上がれなくなった。そのとき、このままではだめだ、と気づいたんです」

 昼間は散歩し、集会場や酒場にも顔を出した。津波の話をし、同じ境遇の人たちとのつながりが大坂さんを支えた。

 震災から約4年後、知人の紹介で中華料理店の厨房でアルバイトをすることになった。

「体力がなくなっていましたね。中華鍋も振れなかった」

 と苦笑する。なじみ客から「また店をやらないのか?」

 と聞かれると、

「しねえって断っていたんだけれども、身体の調子もよくなってきたらもう1度やってみようかって気になりました」

 背中を押したのは復活を待ち望んだなじみ客の声援だ。

 オープン前に中華そばを作った。震災から実に7年ぶりに作る自分の味だった。

「友人に食べさせると、“大坂さん、うまいよ”って。涙が出てきたよ。“変わんねぇ、同じ味だ”って……」

ラーメンのスープはかつお節がベース

 友人のひと言が自信になった。中華そばは毎日かよ子さんが味見をしていたというが、

「今は誰にも味見はしてもらっていません。味に自信を持っています」

 長女の安部志保さん(35)は休日などに夫の慎介さん(45)とともに大坂さんを手伝う。

「久しぶりに食べたとき、この味だなってうれしかった。似ているラーメンはあるけど、違うんです。お父さんのラーメンは毎日でも食べられます」(志保さん)

 再開は口コミで広まり、神戸など遠方から足を運ぶ人も。

「目標は行列のできるラーメン店です」と大坂さん。

 かよ子さんはきっと、喜んでくれている。


《INFORMATION》
宮城県石巻市須江大平71-1    0225(73)4811
営業時間:午前11時~午後4時 
※週末は午後2時ごろにスープ切れで完売する場合も
水曜定休