員が集まった'73年10月、交際半年で結婚した裕也さんと、当時は“悠木千帆”と名乗っていた希林さん

「“なぜこのような関係を続けるのか”と母を問い詰めると、平然と“だってお父さんにはひとかけら、純なものがあるから”と私を黙らせるのです」─。

 昨年9月30日に営まれた女優の樹木希林さんの葬儀・告別式で語られた、長女でエッセイストの内田也哉子の言葉。

「なんで離婚しないの?」

 この日から約半年後の3月17日の早朝、希林さんのあとを追うように夫でロックミュージシャンの内田裕也さんが旅立った。周囲はもちろん、いちばん近くにいたひとり娘にとっても、彼らは“奇妙な夫婦”だった─。

「希林さんは最後まで裕也さんと“夫婦であること”にこだわり続けました。裕也さんの家庭内暴力や女性問題など、度重なるトラブルに巻き込まれても、彼女が離婚を考えたことは1度もなかったんです」(芸能プロ関係者)

 裕也さんは、'59年に日本劇場で開催された音楽フェスティバル『ウエスタン・カーニバル』に出演して、ミュージシャンとしてデビュー。'73年に希林さんと結婚するも、彼の暴力が原因で、わずか1年半後には別居することに。その後、夫は浮気を繰り返し、離婚危機が幾度となく報じられていたが、

「その最中の、'76年2月に希林さんはひとり娘の也哉子さんを出産しました。月に1回しか会わない関係だったため、裕也さんは“本当にオレの子なのか?”と言ったそうです」(同・芸能プロ関係者)

 出産から5年後、裕也さんは希林さんに無断で離婚届を提出したが、彼女が裁判所に離婚の差し止め訴訟を起こして無効にしている。40年以上、彼女が通い続けていた西麻布にあるヘアサロン『カット&カットヒラタ』のスタッフは、こう話す。

「也哉子さんがまだ小さいとき、ウチの店員が希林さんに“何で離婚しないの?”と聞いたそうです。すると、“だって也哉子がかわいそうでしょ”って」

 スタッフは小学生になった也哉子に“お父さん、好き?”と尋ねてみると、

「“大好きだよ!”と言っていたそうです。子どものためにも、父親はいてほしいという思いがあったのでしょう。希林さんも普通のお母さんなんだなと思いました」

 母親として、家族を守るために“離婚”という選択肢はなかったのだろう。また、也哉子の長男でモデルのUTAがまだ幼いころ、この店に連れて来られたときにはこんなことがあったという。

「希林さんに“お孫さんは、父親の本木雅弘さんに似ていますね”と伝えたら、“違う、違う! UTAは裕也さんの若いころにそっくりなの!”と、いくら言っても意見を曲げないんです。どう見ても、モックンそのものなのに(笑)。希林さんの女性としてのかわいらしさを感じました」

 夫の仕事に対しても共感する部分が大きかったようだ。

 裕也さんは、年越しオールナイトイベント『NEW YEARS WORLD ROCK FESTIVAL』(以下、ロックフェス)を46回にもわたりプロデュースしていた。希林さんと30年以上の親交があった西麻布でブティック『PRESS601』を経営する遠藤勝義さんによると、

「数年前、希林さんが裕也さんを店に連れてきたことがありました。いま考えると失礼な話なのですが、彼に“ロックフェスを見たけど、私には怒鳴っているだけで理解できない”と伝えたんです。すると、彼は“あれは世に出られない人を育ててあげているの、そう思って見てあげて”と穏やかに答えてくれました

 希林さんは、浅田美代子に毎回“芝居が下手クソ”と叱咤しつつ、浅田主演で6月公開の映画『エリカ38』をプロデュース。浅田以外の後輩女優たちにも演技のアドバイスをすることが多かったという。

「あぁ、希林さんも同じようなことを言っていたなと。ロックと役者という舞台は違えども、この人たちは同志なんだなと思いました」(遠藤さん)

「戸籍は大事よ」

 このロックフェスに参加しているバンド『カブキロックス』の氏神一番も、こう話す。

'15年大晦日から年明けにかけて開かれた『ニューイヤーロックフェスティバル』に参加した氏神と裕也さん

「'16年のロックフェスに希林さんが初めて来たんです。でも、彼女が姿を見せたのはこの1度だけでした。僕が結婚することを報告すると、“戸籍は大事よ”と言われました。そのときはピンとこなかったけど、今になって希林さんが言いたかったことがわかりましたね」

 裕也さんはロックンローラーのプライドがすごく高かった、と氏神。

「収入はなくても、飲み屋では高い酒を頼む。会見はいつも帝国ホテルを借りて行う。そういったお金も含めて、生活費のほとんどは希林さんが出していたようです」

 愛する彼を支えるためには、戸籍上のつながりを持つことが必要だと思ったのかもしれない。希林さんがロックフェスに1度しか行っていない理由については、前出の遠藤さんが話してくれた。

「“あれは也哉子が行くからいいの。也哉子は裕也さんの世界一のファンだから”と言っていましたよ(笑)」

朝日新聞'18年10月29日付に掲載された宝島社の企業広告には裕也さんを囲んで家族全員が集まった

 内田夫妻は'04年ごろから定期的にハワイ旅行をするようになっていたが、数年前にはシルバー割引の新幹線チケットを買って、京都旅行を楽しんでいたという。

「止まる駅数が多いチケットしか割引にならないため、希林さんは“あれは遅いのよ~、ジレったかったわ”と愚痴っていましたね(笑)。ふたりが国内旅行もしていたのは意外でした」(前出・『カット&カットヒラタ』スタッフ、以下同)

 昨年の夏に放送された『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)が裕也さんの密着取材をした際、番組のナレーションは希林さんが担当した。その放送直後に会うと、

「番組の裕也さんが歌うシーンについての話題になったんです。すると、急に押し黙って、じっくりと噛みしめるように“カッコいいんだぁ~”と目をキラキラさせて言うんです。まるでドラマのワンシーンみたいでしたよ。この人は裕也さんのことを本当に好きなんだなぁと。その瞬間の希林さんは、少女のようにピュアでした」

 母として同志として、伴侶として、破天荒な夫への愛を貫き通した妻。常人には理解しがたい内田夫妻の絆は、希林さんの一途で“まじりけのない純なもの”がつなぎとめていたようだ─。