スナップ隊が訪れる都市には多くのギャルが殺到。池袋では400人が集まり、撮影もひと苦労したという

 黒く日焼けした肌に当時、大人気ブランドだった『ミージェーン』や『ROXY』『アルバローザ』をまとった“コギャル”。彼女たちをいち早くキャッチし、渋谷文化に一大旋風を巻き起こした雑誌『egg』の名は、週刊女性世代の耳にも残っているのではないだろうか。

 egg創刊時から渋谷の女の子たちを撮り続けてきた、名物カメラマンの鈴木竜太(当時の通称・クンニ鈴木)さんに、ギャルカルチャーを振り返ってもらった。

『egg』はもともと男性誌だった

「eggの創刊は'95年。あのころは『Fine』『Hot-Dog PRESS』などの雑誌が主流でしたね。創刊当時のeggは、渋谷ではなく原宿のラフォーレ交差点前で、キャッチした素人の女の子のスナップを掲載するような男性誌だったんです。編集部はみんな成人誌やディスコ雑誌を作っていた人たちばかり(笑)」

 ところが、いつの間にか若い女性からのアンケート返信ハガキが増えてきた。そこで'97年、路線をティーン層の女性向けにリニューアル。以後、ギャルカルチャーを牽引していく。

これが『egg』の創刊号!

当時は渋谷にすごく人が集まっていた。だから編集部員は毎日のように渋谷に通い“いま何が流行っているか”をすごく観察していましたね。例えば、“このブランドを着ている子が先月は1人だったけど、今月は5人になった。つまり5倍になったのだから流行っている”ということがわかるんです。

 “eggがブームをつくる”と言われていたけど、実は渋谷の最新情報をいち早く紹介していただけ

 流行といえば、当時のギャルが写真を撮るときにとっていた「エッグポーズ」。『すしざんまい』社長のように手を広げた、あのポーズはどうやって生まれたのか?

「あれはボクが考えました(笑)。創刊当初はクラブでのスナップ撮影も多く、みんなが“フレミングの法則”のようなチェケラポーズをしていた。で、カメラマン的には飽きちゃって(笑)。“それ、もうやめない?”って、手を広げたポーズを提案したのが始まり」

鈴木竜太さん。ご自身が撮ったお気に入りの表紙とともにパシャリ

 肌を真っ黒に焼いた人気モデル、“ゴングロ3兄弟”の特集や、全国各地でのスナップ撮影、読者がHな体験を語る“アニマルトーク”など、数多くの名物企画が誕生。全盛期には45万部の発行部数を叩き出す。

“流行ってることをやる”それがギャル

 しかし、ギャルブームが終わりを迎え、'14年に休刊となる。

「ギャルブームが終わってしまったのは、“ギャル=マンバ(黒肌に白のアイラインで目元を囲んだギャルの一種)”というおかしな定義を大人たちが勝手につくってしまい、女の子たちがギャルと呼ばれるのを嫌がるようになったから。

 当時、ボクらが考えていた“ギャル”本来の意味は、街にいるおしゃれな若い子のこと。理由なんてない、流行ってることをやる。それがギャルなんですけどね

 SNSも、インフルエンサーという言葉もなかった時代、“ギャル”たちはストリートから発信し、雑誌を舞台に光り輝いていたのだ。