鈴木奈々

「“読モ出身”は私の誇り! ギャル時代サイコーでした」

なりたい職業は“ギャル雑誌のモデル”だった

 愛されるおバカキャラとして多数のバラエティー番組に引っ張りだこの鈴木奈々(30)。いまはバラエティータレントとして活躍しているが、8年前まではギャル雑誌の読者モデルとして活動していた。そんな鈴木にギャル文化への思いを聞いてみた。

「ギャルに憧れ始めたのは小学生のとき。雑誌『egg』のモデル“ゴングロ3兄弟”が大好きで、卒業文集の将来なりたい職業に“ギャル雑誌のモデル”って書いていました」

 と振り返る鈴木。ギャル願望は成長しても変わらなかった。

「中学生になってからは『Ranzuki』、高校生になったら『Popteen』と、ギャル誌ばっかり読んでました! 読モになったのは高3のとき、Popteenモデルだった益若つばさちゃんの握手会に行って、つばさちゃんから直接スカウトしてもらったのがきっかけなんです

 益若つばさといえば“平成が生んだ100億円ギャル”と称されたほどの経済効果を生んだ大人気モデル。鈴木もまた誌面で人気を博したかというと、

23歳までPopteenに出させていただいたんですけど、人気はずっと真ん中ぐらい。1位にもビリにもならない(笑)。私が出始めのころはつばさちゃんが1番人気だったんですけど、彼女が卒業してからは、くみっきー(舟山久美子)が出てきて、すぐ1人で表紙を飾った。

 あとから入ってきたコにソッコー抜かれたのは、すっごい悔しかったですね。私は結局、ピン(1人)表紙はできなかった」

「Popteenの撮影です。スカウトされてすぐのころ!」左・渋谷センター街を闊歩。右・ファッション撮影のひとコマ

 当時の読モの人気ぶりと、競争の激しさがうかがえる。それでもギャル雑誌に出たいと思えたのは……。

やっぱりギャルが大好きだったから! 茨城から片道2時間かけて撮影に行っても、ギャラが時給1000円。撮影用の私服代のほうがお金がかかってた。でも、大好きな雑誌に出られることのほうがうれしかったから、むしろお金なんていらなくて。

 人気が出るようになってからは、プリクラ機のイメージモデルやカラコンのプロデュースなど、いろんなお仕事もいただけるようになりました。

 発売日になると、おじいちゃんがいつもコンビニへPopteenを買いに行って、私が出ているページを額に入れて飾ってくれていて。おじいちゃんの家は私の写真だらけ(笑)。毎月、楽しみにしてくれていたのがうれしかった!」

藤田ニコルからのうれしかった言葉

 いつかブームは終わるもの。ギャル雑誌は相次いで休刊、女子たちは渋谷から去っていった。

「ギャルが減っているのはショック! 昔は雑誌に出ている憧れのギャルモデルの写真を鏡の横に貼って、その子に近づけるように一生懸命メイクやファッションの勉強をした。今はSNSやYouTubeでいろんな人のスタイルを見ることができるから、みんなキレイだしメイクも上手。

 でも、あのころは今みたいなネット社会ではなかったからこそ、ギャルを楽しめたし、今の自分があるなって思います。

 最近よく一緒に仕事をする藤田ニコルちゃんから“読モからバラエティータレントの道を開いてくれてありがとうございます。私が尊敬する人は、益若つばさちゃん、鈴木奈々ちゃんです”って言われて。本当にうれしかった! でも私の座っていた席は、しっかり奪い取られているんですけどね(笑)」


《PROFILE》
鈴木奈々
 ◎1988年7月9日生まれ。タレント。読モ時代に出演したテレビ番組『踊る!さんま御殿!!』から人気に。今後の豊富は「身体を張って、見ている人に元気を与える人になりたい」