男子ショートプログラム開催日のさいたまスーパーアリーナには、オリジナルの応援バナーを持参して観戦する女性ファンの姿も

 5年ぶりの日本開催となった、世界フィギュアスケート選手権。3月23日にフリーの演技が行われ、絶対王者の羽生結弦は2位、宇野昌磨は4位でシーズンを終えた。

「フリーでは羽生選手とネイサン・チェン選手がほぼノーミスで滑走。ともに200点を超える高得点を叩き出し、ハイレベルな戦いになりました」(スポーツ紙記者)

 ショートプログラムで3位と出遅れてしまった羽生だったが、フィギュアスケート解説者の佐野稔氏は、最初のジャンプで失敗したことが大きかったと分析する。

「4回転が2回転に減ってしまったのは非常に大きい失敗だったと思います。ほかのところでカバーして、羽生選手なりにしっかりとまとめたとは思うんですが、けっこうな痛手でしたね」

 宇野がショート6位に終わった原因も、ジャンプの失敗にあった。

4回転の失敗を受けて、宇野選手は、次の4回転―3回転のジャンプを、4回転―2回転に変更しました。僕が考えるに、この変更は非常に賢い選択だったと思います。傷を深くすることなく、なんとか持ちこたえてフリーにつなげようという意思が見えましたね」(佐野氏)

 今大会は、羽生にとってはケガからの復帰戦となった。

「'18年11月に行われた、グランプリシリーズのロシア大会の公式練習で右足首を負傷。グランプリファイナルや全日本選手権を欠場し、リハビリに徹しました。約4か月ぶりの実戦となった世界選手権の記者会見では、ケガは完治していないもののコンディションは“100%”と語りました。

 “油も火もあるけれど、ちっちゃい部屋の中でずっと燃えている感じだった。やっと大きい箱の中で光って暴れ回る炎になれていると思う”という独特な言い回しで意欲と自信を表現したのが印象的です」(前出・スポーツ紙記者)

 宇野は世界選手権で2年連続の2位となっていて、今年にかける思いは強かった。

「今回の大会では、日本代表の選出順としては宇野選手が1番だったにもかかわらず、試合前の会見では羽生選手に質問が集中したんです。

 宇野選手への質問は、実に6番目でした。複雑な思いもあったでしょうが、 “気を遣って質問していただいてありがとうございます”と記者を笑わせたあとに、“調整も順調で、この試合に初めて結果を求めて臨みたいと思っています”と、今までにない強気のコメントをしたんです。自分が1位になるんだという意気込みが感じられましたね」(同・スポーツ紙記者)

 ふたりは、平昌五輪以来の再戦となる。

「宇野選手は、国内でもずっと羽生選手に次ぐ二番手という存在でした。オリンピックを含めた主要国際大会で6試合連続2位となり、“シルバーコレクター”と呼ばれるように。でも、今年2月の四大陸選手権ではルール改正後の世界最高得点となる197・36点をフリーで叩き出し優勝。自信を深めています」(同・スポーツ紙記者)

 宇野は本来、他人の評価や結果ではなく、自分が気持ちよく滑ることができているかを追求するタイプだった。

 平昌五輪で銀メダルを獲得したあとのインタビューでも、そのマイペースさを見せていた。

「五輪で緊張しなかったのは、目指していないってことなのかな。まだ何を目指していいのかわからないけれど、毎日、全力でよりよい滑りの結果を求めていく」

 楽しむスケートを追求する宇野にとって、羽生はずっと先を進む、孤高で憧れの“兄”だった。

宇野くんが幼いころは、羽生くんが面倒を見ることもありました。10歳だった宇野くんが出場した'08年の『スケート・コペンハーゲン』では、トイレに行きたくても言い出せなかった彼を連れていってあげたことも。宇野くんは “ユヅくん”と言って慕っていました」(スケート連盟関係者) 

 羽生は3歳年下の宇野を“しょうま”と呼んで、弟のように可愛がっていたという。

3月20日、ホテルを出てアリーナへ向かう宇野昌磨

そういう関係は最近まで続いていて、平昌五輪のときも宇野くんは羽生くんについて“今は絶対に無理だけど、追いかけられる目標がいるということがすごくうれしい”と話していました。ライバルと言うには畏れ多いと考えていたんです」(同・スケート連盟関係者)

 宇野は'17年に雑誌『Number』のインタビューで、羽生への思いを語っている。

《羽生結弦選手には『勝ちたい』と思うし、ほかの選手には『負けたくない』と思います。羽生選手は特別で、やはり憧れてますし、尊敬してます。(略)僕が全然持っていない色々なモノを持っている、すごく上の存在だから》

 長らく“楽しむ”という意識だった宇野の姿勢に変化が現れたのは、2月の四大陸選手権を迎えたころ。優勝後のインタビューで宇野は、羽生への挑戦を連想させるような、これまでにない意欲を語っていた。

「楽しむと緊張もしないし、いい方向に向きやすい。でも“楽しむ”って挑戦する側だからこそできる。いつまでも追いかけているだけじゃなく、追われるっていうのを考えつつ、“やるぞ”というところで“やる”選手になりたい」

 勝負への強い執念を見せるようになったことを、羽生は誰よりも喜んでいた。

羽生選手はずっと孤独でした。実力がずば抜けていて国内では“神”のような存在。でも彼は、追い込まれてこそ燃えるタイプ。ライバルがいたほうが成長できるのです。だから、宇野選手の実力が追いついてきたことが、本当にうれしいんだと思いますよ」(スポーツライター)

 また、宇野の意識が変わった背景には、トレーナーの出水慎一氏の言葉もあったらしい。

「四大陸選手権が終わったあと、“昌磨には世界選手権で1位を取ってもらいたい。その方針で今年1年やりたいと思っていた”と言われたそうです。それで、1位を取るのは自分のためだけではなく周りの人のためにもなるんだということに気づいたんです」(同・スポーツライター)

 もちろん、羽生も簡単にトップの座を譲るつもりはない。王者のプライドをかけて、会見ではストレートに勝利への意欲を表現していた。

「相手だけではなく、自分の中で煮えたぎっている“勝ちたい”という欲求に対して勝てたらと思います」

 今回はネイサン・チェンやジェイソン・ブラウンなど、ほかにもライバルと呼べる選手がいた中で、やはり宇野のことは気にかけていたのだろう。ショートプログラム後、羽生のインタビュー中に宇野の得点が発表されると、思わず動揺して不満を漏らすひと幕も。

「思いのほか点数が低かったので、“フリップの転倒でもそんな点数低くないでしょ……”とこぼしていました。画面に映る点数を見つめていた羽生選手に、スタッフが“行きましょう”と声をかけると“ちょっと待ってくださいね……”と答えて、そのまま画面の前に数秒間立ち尽くしていたんです。

 こんなにほかの選手の点数を気にする彼の姿は、かなり珍しかったです。自分のことより宇野選手の点数を気にかける姿を見て、やっぱり強い信頼関係で結ばれているんだなと感じさせられました」(前出・スポーツ紙記者)

 宇野の成長が羽生を発奮させ精進する姿を見て宇野がいっそう努力する。“兄”と“弟”から“同志”となったふたり。この先も、彼らの動向から目が離せそうにない。