人気を博したモーニング娘。

 アイドルは昭和の後半に生まれ、平成に受け継がれた、日本が誇る文化のひとつです。ただ、そのありようは昭和と平成で大きく違います。特に女性アイドルについては、似て非なるもの、と言ってもいいでしょう。

昭和アイドルは“ファンが恋人”

 まずはなにより“人数”です。昭和はソロ中心、多くても3、4人での活動でした。一方、平成はグループが主体で、数十名単位で歌い踊ることも珍しくありません。『紅白』ではAKB系列だけで200人以上が出場した年もありました。山口百恵や松田聖子の時代には、出場できる女性アイドルは多くても10人程度までだったので、まさに隔世の感です。

 また“気持ち”という問題もあります。以前、アイドルの元祖である天地真理にインタビューした際、彼女は絶頂期に冠番組を持つほどの人気を得られた理由をこう分析しました。

「騙してないんですよ、ファンを。私には友達さえ1人もいなかった。だから、こう思ってました。ファンのために生きよう! って」

 いわば、ファンが恋人、という意識です。こうした意識は、時代が新しくなるほど薄れてきているようです。平成の終わりには、恋愛禁止のグループに所属していながら、ファンへの感謝を述べる場で結婚宣言をしてしまう須藤凜々花のような人まで出現しました。

 こうした変化により、アイドルのありがたみは相対的に低下しました。いわば“デフレ”です。経済のデフレがバブル崩壊によってもたらされたように、実はアイドルのデフレにも2度のバブルが関係しています。そのひとつ目が“ハロプロ(つんく♂)バブル”でした。

平成8年、王道のアイドルとしてデビューした『SPEED』。当時、メンバーの平均年齢が13・5歳ということでも注目された

 平成11年、モーニング娘。の『LOVEマシーン』が大ヒット。ここから多くのグループやユニットが生まれます。そのなかには、ミニモニ。(低身長)、カントリー娘。(農業)、ココナッツ娘。(ハワイ)、キッスの世界(プロレス)といった変わりダネもいました。よくも悪くも“なんでもあり”なアイドル見本市が展開されたわけです。

 その一方で、王道的なものを感じさせていたのが、安室奈美恵や『SPEED』といった沖縄アクターズスクール勢です。また、エイベックスの浜崎あゆみには、中森明菜の要素が継承されているように見受けられました。

 そして、ハロプロからも昭和アイドルを引き継げそうな存在が出てきます。松浦亜弥です。同時期にデビューしたSAYAKAをさしおいて、聖子の再来とまで呼ばれた彼女は、平成でもソロのアイドルが成立するのではという期待を抱かせました。

あややの失速が感じさせたこと

昭和アイドルの雰囲気をまとって平成12年にデビューした、あややこと松浦亜弥。ソロとしてのアイドルで頑張っていたのだが……

 しかし、平成に入って以降、アーティスト性よりもアイドル性を打ち出した人は、宮沢りえにせよ、広末涼子にせよ、歌手としては大成していません。あややも2年ほどで失速しました。

 そして、聖子については興味深いエピソードが。平成26年に『嵐にしやがれ』に出演した際、大野智がこんな感想を口にしました。

「すっごい可愛かったね。今まで出会った芸能人のなかで、ダントツかな」

 50歳を過ぎてなお、そこまで言わせてしまえるのは、人生を“可愛さ”にかけてきた彼女の才能と努力の賜物でしょう。

 聖子を筆頭に、昭和のアイドルはもっぱら、自分の歌をうたうことで、可愛さをアピールしてきました。あややの失速は、そんな“個人”で可愛さを表現するアイドルの終わりも感じさせたのです。

 そんななか、チームで体現する可愛さにいち早く目をつけたのが、秋元康でした。昭和終盤にはおニャン子クラブを仕掛けましたが、テレビ局主導だったため、番組終了とともにブームが去ったことを口惜しく思ったといいます。

 それゆえ、地に足のついたおニャン子を目指し、AKB48をスタートさせました。自分たちのホームグラウンドで定期公演を行い“会いに行けるアイドル”を標榜、CDに握手券をつけ、総選挙を開催してセンターを決めるといったアイデアは、ファンの萌えツボを巧みに刺激するものでした。

 というのも、大勢の女の子たちのなかから“推し”を選び、応援すればするほど、そのメンバーが売れていくというのは、ファンにとっても男女問わず、楽しいことだからです。しかも、AKB商法と呼ばれる優れた換金システムが存在することで、運営も安定し、スポンサーもつきやすくなります。

 それゆえ、このプロジェクトは拡張を続け、また、多くの模倣を生みました。地下アイドルやご当地アイドルも含めれば、いったいどれだけのアイドルグループが活動しているのか、もはや想像もつきません。

 この乱立ぶりから思い出すことがあります。平成初期のセクシーアイドルグループのブームです。C.C.ガールズやシェイプUPガールズで火がつき「私たちがちょうど100番目です」と言ってデビューしたグループもいました。このブームは結果として“セクシー”と“アイドル”両方のありがたみにデフレをもたらしたといえます。

“会いに行けるアイドル”のコンセプトのもと、ファンとの距離を縮めたAKB48。アイドルのグループ化に拍車をかけた

 現在の“AKBバブル”もまた然りで、まだはじけてはいないものの、アイドルのありがたみをすでに低下させていることは間違いありません。供給過多はどうしてもデフレにつながるのです。

 成功のカギとなった“会いに行けるアイドル”というコンセプトも、実は両刃の剣でした。身近になればなるほど、その貴重性が薄れるからです。昭和のアイドルが高級なブランド感をウリにしていたとすれば、平成のそれはユニクロ、あるいはダイソーでも買えるような手軽さが魅力です。

虚像の世界が崩れ……

 これについては最近、昭和の男性アイドルの代表である田原俊彦がこんなことを言っていました。『あさイチ』(NHK)で、今のアイドルとの違いを聞かれたときのことです。

「やっぱり、距離感というか。トイレも行かない、みたいなね、虚像の世界だったと思うんですけど」

 たしかに今は、現役トップアイドルの指原莉乃がインターネットTVでトイレ事情を語る時代です。昔なら考えられないことでした。また、指原といえば、男性スキャンダルを逆手にとってブレイクした人。これも、昭和ならありえないことです。

 トイレにせよ(セックスを想像させる)恋愛にせよ、アイドルにはご法度だったのですから。万が一、妊娠でもしようものなら、盲腸などと偽って中絶したりしたものです。

 とはいえ、アイドルが身近になっていったのは世の必然でもありました。昭和の終わりから世間的にも“自分らしさ”や“本当の自分”といったものがもて囃されるようになり、私生活からインタビューでの発言まで、徹底管理されたなかで虚像を演じるという手法は時代遅れと化したからです。

 しかし、虚像を守り、楽しむという意識が薄れ、距離感まで縮まると、アイドルもファンもゆるみがちになります。

 NGT48のトラブルは、そんなアイドルが身近になりすぎた時代を象徴するものでした。

平成11年のデビュー当時、露出をおさえ、神秘性を増した倉木麻衣。昭和的な“会えないアイドル”にアーティスト性が付加された

 なお、平成で最もアイドルらしいアイドルをつくったのはビーイング系だったと考えています。メディア露出を極力おさえ“見えないアイドル”とでもいう戦略をとることで、坂井泉水は伝説となり、倉木麻衣は長持ちしています。

 こういうやり方で、例えば橋本環奈のような素材をプロデュースするとか、それくらいしないと、今のアイドルはほかのものにとって代わられてしまう心配があります。

 ほかのものとは『ラブライブ!』のようなアニメだったり、AIロボットです。彼女たちはそれこそ、トイレにも行かないわけですから。もっとも、指原のトイレ発言がニュースになること自体、アイドルが特別視されている証です。

 アイドルがトイレの話をしても誰も驚かなくなったとき、人間のアイドルは終わるのかもしれません。


《著者PROFILE》
宝泉 薫さん ◎ミニコミ誌『よい子の歌謡曲』発行人を経て、『週刊明星』などで執筆。アイドル、二次元、流行歌など、さまざまなジャンルをテーマに取材。近著に『平成「一発屋」見聞録』(言視舎)