市井紗耶香

 今でこそAKB48をはじめ数多くの女性アイドルグループが活躍しているが、平成初期はバラドルやグラドルがアイドルの中心だった時代。キャンディーズ、松田聖子のような国民を虜にするアイドルは不在だったため、'90年代は“アイドル冬の時代”といわれていた。

ドリカムに憧れてオーディションを受けた

「とにかく目まぐるしかったですね。当時は、ブームを作っていたなんて自覚はなかったです」

 こう微笑むのは、モーニング娘。の元メンバー、市井紗耶香。売上枚数160万枚を超える『LOVEマシーン』の大ヒットにより、一躍、国民的グループとしてブレイク。新メンバー加入、シャッフル、卒業というシステムで今に続く平成アイドルの礎を築き、冬の時代に終止符を打ったアイドルグループとして活動していた。

「私は、ドリカムの吉田美和さんに憧れてオーディションを受けました。いつか同じステージに立てたらなって。アイドルになるというより、歌手になるんだって思っていたので、当時はアイドルがどういう存在なのか理解してませんでした(笑)。活動を続けていく中で“これがアイドルなんだ!”って学んでいく感覚でしたね」

 市井は保田圭、矢口真里とともに第2期メンバーとして、平成10年5月にモーニング娘。に加入。ところが、『抱いてHOLD ON ME!』以降、3作連続で売上枚数が下がっていったことに加え、同時期の女性ユニットSPEEDが大ブレイク。不安はなかったのか?

「まったくなかったですね、ハハハ。私はまだ高校生だったので、難しく考えていなかったところもありました。メンバー全員が、自分ができることをやろうって前を向いていたし、リーダーである裕ちゃん(中澤裕子)が引っ張ってくれたことも大きかったです。

 みなさんが想像しているようなメンバー間の不仲もなかったんですよ。ただ、SPEEDさんのようなクールでダンサブルな曲も歌ってみたいな~という気持ちはありました

 平成11年9月に『LOVEマシーン』がリリースされる。「今までと比べると明らかに振り付けはダサいし、歌詞もおちゃらけていたから大丈夫!? と思っていた」と笑うが、老若男女が振り付けをまねする姿を見て、「たくさんの人を盛り上げることができるアイドルってすごいな」と感じるようになったという。

「声をかけられることが増えたり、自分たちの歌っている曲が街中で流れていたり。めちゃくちゃ忙しかったですけど、幸せな時間でした。ライブや握手会をする中で、応援してくれている人がいるから、自分たちがいるんだなって」

 曲に合わせてサイリウムを持ったファンが身体を動かす“ヲタ芸”などは、モーニング娘。のファンによって生み出された。平成アイドル史は、彼女たちなくして語れないのだ。

アイドルは人生のスパイスのような存在

平成のアイドルの形を作ったともいえる「モーニング娘。」。平成12年には、メンバー主演の映画『ピンチランナー』も封切られた

「卒業してようやく俯瞰できるようになりましたけど、それまでは無我夢中。今、改めて振り返ると、宝物のような体験をさせていただいたと思います。メンバーは、10代の私にとって家族よりも長く、濃い時間を過ごした仲間。戦友のような存在。

 ありがたいことに昨年は、OGとしてライブにゲスト出演もさせていただきました。月日がたっても関係性は変わらないんだなって、とてもうれしかった。20年前の自分に、“あなた、自分の置かれている状況に感謝しなさいよ”って声をかけたいくらい(笑)

 現在は、4人の子どもを育てる母親でもある市井。いずれは子どもたちもアイドルにハマるかもしれない!?

「便利な世の中になって、アイドルはどんどん進化している。子どもたちにとっては、ユーチューバーがアイドルであるように、スマホの中にいる人がアイドルになる時代。私たちのときとは全然違う! 

 でも、応援する、応援されるという人間的な関係性は変わらないし、そうあり続けてほしい。お互いがいい刺激を受ける人生のスパイスのような存在が、アイドルだと思うんですよね


いちい・さやか ◎'98年、つんく♂(シャ乱Q)がプロデュースするモーニング娘。に2期メンバーとして加入。'00年モーニング娘。を卒業、'02年からはソロとして活動。現在は4児のママとして育児をする傍ら、多方面で活躍中。