山田ルイ53世 (c)中島慶子

“一発”という負けを飲み込むのは非常に苦しいですが、僕の場合、一発屋であることを認める手前から一発屋を名乗りたい時期もありました。エピソードトークの武器として、自虐っぽいネタのほうが多かったので。

 でも打ち合わせの段階で、スタッフは“まだ視聴者はそこまで思っていない”と言う。お茶の間にそんな認識が伝わるのっていちばん最後なんですよ。そんな言ってみれば生殺しの時期はしんどかったですね」

一発屋芸人というのはむしろ誇り

 こう語るのは、お笑いコンビ『髭男爵』の山田ルイ53世。

 平成時代のお笑いは、『タモリのボキャブラ天国』に始まる。さらに、'99年にスタートした『爆笑オンエアバトル』、『エンタの神様』、『爆笑レッドカーペット』などの、ネタ見せ番組が急増。

 そこからバナナマン、おぎやはぎ、中川家、チュートリアル、ブラックマヨネーズなどの人気者が登場。その一方で、“一発屋芸人”“キャラ芸人”と呼ばれる芸人たちも生み出された。

 2015年8月、『第一回一発屋オールスターズ選抜総選挙』が、東京・ルミネtheよしもとで開催され、初代王者に輝いたのは、髭男爵だった。

「あのころから『一発会』という集まりも開かれるようになったんです。第1回の集まりは、全員のスケジュールが一発で合うという奇跡が起きて(笑)。これはタレントとしてどうなんや、と大笑いになりました」

 レギュラー、クールポコ、ゆってぃ、天津・木村、コウメ太夫、レイザーラモンHG、スギちゃん、テツandトモ、ダンディ坂野、小島よしお、髭男爵という錚々たる顔ぶれ。

 招集をかけたのはレイザーラモンHG。彼はこんなポリシーを持っている。

「一発屋芸人というのはむしろ誇りに思わないといけない。われわれは、日本中のみんなから知られるようになったから、そう呼ばれるだけであって。ネタはみんなおもしろい。だから胸を張って堂々とやっていこう。伝統芸にしていこう」

 山田もこう言う。

「いっとき、バーンと売れることによって知名度を最大化して、その後、仕事が減ったときも知名度の貯金を切り崩しながら仕事をしていく、というのが一発屋のビジネスモデルのひとつだと思うんですね(笑)。そういう意味では認知度というのはでかいんです」

 山田は、現在ラジオ番組のレギュラーやナレーションの仕事の一方で、執筆活動も行い『一発屋芸人列伝』などの著書も発表している。

安心して一発当てて(笑)

「一発屋と呼ばれる状態になると、世間から“消えた、死んだ”みたいなことを言われるようになります。露出が減ったのは事実なんだけど、“面白くない、つまんない”と言われるのは芸人としてムッとするわけです。面白いから売れたわけだし、みんな全然飯食えてるし、家族も養っている。

 芸人がゼロからイチになるときって本人の力、マンパワーでしかないんです。特に芸人は事務所のプッシュなんてまったく関係ない。一発当てるというのはその人の実力以外のなにものでもない。だから“一発芸”は“発明”なんです。誰かと同じことをやっていてもダメですからね

 一発屋芸人を貶めている人たちを山田は皮肉を込めて“ごく一部の人たち”と呼んでいる。

「“消えた、死んだ”から“才能がない、下の人間、ダメな人間”へと勝手にシフトさせる方々です。僕が最近出した『一発屋芸人の不本意な日常』の本でもっとも言いたかったのは、その一発屋芸人に向ける厳しい目を自分自身の人生に向ける勇気があるのか? 君らは、ということ。

 自分が山頂に到達するよりも、先に登った人間が転げ落ちるのを見て、お手軽に優越感に浸るしょうもない空気感を感じてしまうんですよ

 これから“一発屋芸人”になるかもしれない後輩に、どんなアドバイスを送るのか。

われわれが若いころは『一発会』なんてなかった。でも、今はHGさんが起こした『一発会』があるので、安心して一発当ててほしい(笑)。どのような状況になっても、その後の身の振り方、ノウハウ、心のケア、それはわれわれがすべて担いますから。HGさんがオッケーだったら、数年後には正式にNPO法人にしたい(笑)」


山田ルイ53世 '99年、ひぐち君と結成したコンビ『髭男爵』のツッコミ担当。最近は、自身の経験をまとめた『ヒキコモリ漂流記』(マガジンハウス)など文筆業も。近著に『一発屋芸人の不本意な日常』(朝日新聞出版)