ドリアン助川さん 撮影/森田晃博

 映画化もされた小説『あん』がフランスの「読者が選ぶ文庫本大賞2017」に選ばれるなど、国内はもちろん海外でも注目を集める作家のドリアン助川さんが、最新小説『新宿の猫』を刊行した。

 テレビ番組の構成作家の卵である20代の山ちゃんは、ある晩、ふらりと入った新宿の居酒屋で野良猫を可愛がる女性店員・夢ちゃんと出会う。ふたりの距離は少しずつ縮まり、とある約束を交わすものの、思わぬ運命に翻弄されていき……。

 新宿を舞台にした本作は、生きづらさを抱えた人たちの心に寄り添う物語に仕上がっている。

新宿の猫の家系図からはじまった小説

「僕は二十歳前後のころから新宿のゴールデン街に出入りするようになりました。この物語の舞台の店は、ゴールデン街から少しはずれたところにある焼き鳥屋さんがモデルです。

 僕は2000年の3月から2002年9月までニューヨークに住んでいたのですが、帰国後に初めて立ち寄ったその店の冷蔵庫に、猫同士の関係をイラストで描いた家系図が貼ってあったんです。その絵を見たときにガツンと衝撃を受けまして、いつか、猫の家系図からはじまる新宿の人間図鑑のような作品を書きたいと思いました。ただ、なにを物語の柱にもってくるべきなのかが、ずっとわからなかったんです」

 主人公の山ちゃんは色覚異常で、大学時代、希望する会社の入社試験を受けることすらできなかった。実は、ドリアンさんにも同じような経験があるという。

「色覚異常の僕は、当時、就職先として考えていたテレビ局や映画会社、出版社などは、就職試験を受けることができなかったんです。これまで色覚異常のことは全然、語ってこなかったということに気づいたとき、それを物語の柱にしようと思いました。

 実際、男性の20人に1人は色覚異常といわれているので、日本全国の約300万人の男性は、不公平な扱いをされているということです。色覚異常に限らず、ちょっとしたことをハンデだと感じている人に向けて、なにかひとつでも扉が開くような物語を書きたいと思いました

 本作には、下駄をはいたミュージシャンや女装をするお父さん、SMクラブの女王など、個性的な面々が多数、登場する。ほとんどの登場人物にはモデルがいるのだそうだ。

「焼き鳥屋の夢ちゃんは新宿で出会った何人かの女性を集約した人物ですし、女装をするお父さんも同様です。実際に僕が出会い、気持ちを動かされたり、励まされたり、ときにはケンカもした人たちが、登場人物に反映されているんです」

自分なりの価値観を
つかむことが大切

 物語の中盤には、テレビを見ている“大勢の人”へ向けた仕事をうまくこなすことができない山ちゃんが、悶々と悩む場面がある。そんな山ちゃんに対して、夢ちゃんは次のようなセリフを放った。

大勢の人って、本当にいるんですか。いるかどうかわからない大勢の人に向けて語ろうとして、結局、なにも語れていないんじゃないですか。だから、いつもあんなに疲れているんじゃないですか

ドリアン助川さん 撮影/森田晃博

 その後、山ちゃんは夢ちゃんに触発されて詩を書きはじめる。

「構成作家は、テレビというマスの世界で何千万人が見る可能性のあるものを書きます。その対極にあるのは、何百冊しか売れない詩集の世界だと思うんです。

 例えば、谷川俊太郎のような有名人は別として、詩だけで食べている詩人はほとんどいないはずなんです。彼らにとって詩は食べるための手段じゃなくて、生きるための表現なんですよね」

 ドリアンさんいわく、山ちゃんは自身の分身のような存在なのだという。

「人生の中で大切なのは、自分なりの価値観を見いだすことだと思うんです。例えば、ガードレールを作った人のことは、きっと誰も知らないですよね。でも、自動車が街を走るようになり、事故が起きたことでガードレールというものを発明した人が確かにいるんです。

 ガードレールを発明しても有名にはなれないけれど、その人は自分の人生の中でガードレールというオリジナルものを見いだした。山ちゃんは、大勢の人にではなく、自分の言葉が伝わる人に向けて詩を書く人生をつかんだんです

 ドリアンさんが書く小説からは“普通”からはずれてしまった人たちへの温かな眼差しが伝わってくる。その理由は何なのだろうか。

「自分に秀でた何かがあってバリバリ生きてきたならば、織田信長が主人公のような小説を書いていたかもしれない。でも、僕はスポーツでも音楽でも、なんとか頑張って人並みに近づける程度の子どもでしたし、今も何もできない人間なんです。

 だから、できない人の気持ちがよくわかるというか、むしろできちゃうやつの気持ちがわからないんです」

 最後に読者に向けて、次のような言葉をもらった。

親の介護とか子どものこととか、いろいろなものとぶつかっている年代の方もいらっしゃると思いますが、だからこそ、人生にとって何が大切なのか、勇気を持って見いださないといけないと思うんです。自分なりの価値観をつかめるかつかめないかで、老後が大きく変わっていくような気がしますから。この作品がそのヒントになれたら幸いです

ライターは見た!著者の素顔

 取材を行ったドリアンさんの事務所には、体長が大人の胸の高さほどもあるクマのぬいぐるみが鎮座。

「酔っぱらって明け方に新宿から歩いて帰っているとき、生ゴミと一緒に捨てられていたクマのぬいぐるみを見つけ、本当はいけないのかもしれませんが、連れて帰ることにしたんです。

 そうしたら、この子が来てから仕事が好調になりまして。途中で乗った電車でうっかり眠って終点まで行ってしまい、朝のラッシュが始まるなか、恥ずかしい思いをして連れてきたかいがありました(笑)」

『新宿の猫』ドリアン助川=著 
ポプラ社 1500円(税抜)
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PROFILE
●どりあん・すけがわ●1962年、東京都生まれ。詩人・作家・道化師。早稲田大学第一文学部東洋哲学科卒。放送作家などを経て、1990年「叫ぶ詩人の会」を結成。1995年から2000年までラジオ深夜放送のパーソナリティーを務め伝説的な人気を博す。『あん』、『ピンザの島』、『カラスのジョンソン』、『線量計と奥の細道』など著書多数

<取材・文/熊谷あづさ>