パン工場でパンをこねる仕事をしているという千尋さん。半年に一度、上京して趣味の裁判傍聴をするという(筆者撮影)

一般的に30歳は節目の年と言われている。今の30歳は1988年、1989年生まれ。景気のいい時代を知らない現在の30歳は、お金に関してどんな価値観を抱いているのか。大成功をした著名な人ばかり注目されがちだが、等身大の人にこそ共感が集まる時代でもある。30歳とお金の向き合い方について洗い出す連載、第13回目。

欲しいものを我慢しているうちに欲が薄れた

 パン工場でパンをこねる仕事をしているという千尋さん(30歳、仮名)。彼女の爪は短く切りそろえられており、パンをこねている様子が容易に想像できた。また、おっとりとした関西弁で話す彼女はどこか影を感じた。

 てっきり都内在住かと思いきや、関西で実家暮らし。この日は新幹線に乗って上京してきたという。

 父は飲食店で働いていたがバブル崩壊後に職を失い、まったく違う職種に就いた。母は専業主婦。幼い頃から物欲があまりなく、お小遣いは何か必要なものがあるたびにもらっていた。

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 この世代は小学生の頃、「NINTENDO64」や「プレイステーション」「ゲームボーイ」などのゲーム機がはやった時期。千尋さんもゲームや漫画、CDなどを欲しいと思ったことがあったが、親は「与えすぎないように」という教育方針だった。千尋さん自身も「欲しい」と言いすぎないようにして我慢しているうちに欲が薄れていったと振り返る。

 祖父は画家でカレンダーの絵などを描く仕事をしていた。彼女も時折祖父の手伝いをしており「跡を継いでほしい」と言われていた。中学校に入学すると美術部に入部したが、テニスに出合い、すぐに美術部を辞めてテニス部に入部。練習に打ち込んだ。

「高校は美術学科のある学校を選びましたが、部活はテニス部に入りました。大学は美大に行ったんです。私、内面的な性格でいつも絵ばかり描いていましたし……。でも、美大には自分より絵がうまい人がたくさんいて、わずか3カ月で中退してしまいました」

 人付き合いが苦手だという千尋さん。クラスメートと遊びに行っても楽しいというより「しんどい」という思いのほうが強かった。アルバイト禁止の学校だったが、春休みの短期間だけタオルの洗濯工場で働いた。時給は800円だった。障害を持っている人も働いていて、誰でもできる単純作業だったという。

当記事は「東洋経済オンライン」(運営:東洋経済新報社)の提供記事です

「その後はフリーターをしていたのですが、どれも続かなくて。使い道がないので、フリーター時代は40万円ほど貯まりました。でも、親に『何かの学校を卒業したほうがいいのではないか』と言われ、IT系の専門学校に通い始めました。

 学生時代はホテルの皿洗いのバイトをしていたのですが、夜の時間帯に4~5時間しか入っていなかったので月5万円ほどしか稼げませんでした。でも、とくに使い道もなかったし、職場の人と飲みに行っても、やっぱり仕事感があってしんどかったです」

みんなの前で「この子、もう今日で辞めるから」

 IT系の学校を卒業したものの、本が好きだったので専門学校を卒業後は印刷会社に就職した。給料は手取りで月21万円。残業もあった。しかし、「仕事ができない」と自称する千尋さんは、仕事のできない自分が残業代を申請する行為に罪悪感を抱いていた。

 この会社に1年ほど勤めたところで、お局さんから「あなたは仕事ができないから辞めたほうがいい。1週間猶予を与えるからそれで頑張ってみて」と言われ、自分なりに頑張ったが、1週間後、女子社員全員を集められ、みんなの前で「この子、もう今日で辞めるから」と言い放たれた。自己都合の形で実質クビとなった。

 それからハローワークへ行き転職活動を始めた。人と接することが苦手なので、できるだけ接客業は避けたいと職員に告げると「まだ若いのだから、何か特技ややりたいことはないの?」と聞かれ「絵を描くことです」と答えた。

 そして、職員の前で絵を描いてみせた。すると、お菓子のディスプレイを作る会社を勧められ、そこを受けると無事内定をもらえた。しかし、正社員ではなく準社員で、最初のうちは時給850円。その後、900円に上がった。

 手取りは月15万円ほどでボーナスもなし。家には毎月2万~3万円入れた。会社は人間関係のトラブルが起こらないよう、ウマの合わない人がいたら異動させてくれる措置もとってくれるほど柔軟な対応をしてくれたが、千尋さんは準社員のままだった。この会社は6年勤めて辞めた。

 その後、千尋さんはパン工場の仕事を渡り歩く。正社員で入ったものの、働いてみるとしんどくてアルバイトに変えてもらった工場もあった。今働いているパン工場は働いてちょうど1年になる。手取りは月17万円。家に2万~3万円入れ、携帯代に1万円。

 そして、半年に一度、こうやって上京して趣味の裁判傍聴をするという。今回は往復2万6000円の新幹線で来たが、片道5000円ほどの安い夜行バスを使うこともある。

 当初は絵描きである祖父の仕事を継ぐ予定だったが、今はもうその気はないのだろうか。

「うーん……どうすれば画家になれるのか、道筋がわからないだけなんです。能力と道筋さえわかればやると思います」

 ほとんど欲のない千尋さん。そんな彼女の貯金額を聞いて愕然とした。なんと1000万円もあるというのだ。実家暮らしだということを踏まえても、こんな大金の貯金額の人はこの連載で初だ。

 何度も「コミュニケーションを取るのが苦手」と伏目がちに語る千尋さんだが、実は、荒療治のため週に数回、ホステスのバイトをしているという。こう言うと失礼だが、決して派手なタイプではないので、夜の蝶の姿を想像できない。きちんと男性客と話せるのだろうか。

「ホステスの仕事のときはドレスを着てきれいな格好をします。でも、話は全然できませんね……。派遣なので、面接の際、見た目が地味というだけで帰されてしまうこともありました。おしゃべり教室のつもりで行ってます。人とのコミュニケーション能力は全然上がらないけど、いろんなお客さんと話すので、世界観は変わった気がします。時給は2000円ほどです。

 また、以前は「美人や若い女性がいない」ことをうたい文句にしている店で働いていました。実際には美人のホステスさんもいるのですが、お客さんはきれいな女性がいることを期待しないで来るので、そこは働きやすかったですね。ホステスは本当に苦手な仕事です。だから、こうやって稼いだお金は使う気になれなくてすべて貯金してます」

 これだけ貯金があれば安心だろうと、不安定な職であるフリーライターの筆者は思ってしまったが、彼女にとってはそうではないらしい。

「いくら貯金があっても不安です。自分が欲しいものはお金じゃないんですよね。一生懸命働いて、働いて、貯めても、『なんかこれじゃない感』が強い。このお金は我慢料というか。自分が何を求めているのか、自分でもわかりません」

もうちょっと楽に生きられるような愛嬌が欲しい

 最後に、彼女に何が欲しいのか聞いてみた。

「コミュニケーション能力と仕事ができる能力です。でも、能力って勉強したから手に入るものではないし……。もうちょっと楽に生きられるようになりたいです。別に、仕事ができなくてもニコニコと愛嬌さえよければ楽しく過ごせると思うんです。そこなんですよ、もしかしたら私が欲しいものは」

 この日、彼女が関西から来ているのを知らず、事前にインタビュー場所の希望を聞くと歌舞伎町がいいと言われたため、歌舞伎町のカフェで取材をしていた。「関西から来ると事前に知っていれば、品川駅など新幹線の交通の便がいいところを提案したのにごめんなさい」と謝ると、「いいんです。歌舞伎町が好きなので」とのことだった。

「次に東京に来たとき、働いて帰れるよう、これから歌舞伎町のキャバクラ派遣の登録だけしに行きます」

 そう言って千尋さんは歌舞伎町の歓楽街へ消えていった。何のために働くのか、何のために貯金をするのか。彼女に会って自分自身を振り返る機会ともなった。


姫野 桂(ひめの けい)◎フリーライター 1987年生まれ。宮崎市出身。日本女子大学文学部日本文学科卒。大学時代は出版社でアルバイトをしつつヴィジュアル系バンドの追っかけに明け暮れる。現在は週刊誌やWebなどで執筆中。専門は性、社会問題、生きづらさ。猫が好きすぎて愛玩動物飼養管理士2級を取得。趣味はサウナ。