“ヤナギー”こと柳澤秀夫に密着! 撮影/山田智絵

「『あさイチ』を辞めてから、1年がたちました。イノッチと有働さんとはときどきメールで近況を報告し合っていて、たまに“見ました~!”って連絡をくれるんです。

 有働さんのメールはいつもテンション高め(笑)。“近々3人で飲もうよ”なんて話も出ているところです」

 V6井ノ原快彦、有働由美子アナウンサーとともにNHK『あさイチ』の初代キャスターを務め、“ヤナギー”の愛称で親しまれていた柳澤秀夫(65)。昨年3月、3人そろって番組を卒業。さらに9月にはNHKを退局したが、

「NHKを辞めたばかりのときは“何で辞めたんですか!”と、よく聞かれました。何か悪いことをしたんじゃないか、みたいな(笑)。

 60歳で定年を迎えて、65歳までは1年更新の契約、それ以上は雇用契約がないんですよ。辞めた後のことは当初、何も考えてなくて。田舎に帰ってのんびり過ごそうかなぁ、なんて考えていた時期もありました

 と笑顔で語る。だが、彼は現役を引退しなかった。現在、昼のワイドショーのコメンテーターにレギュラー出演するなど、新たな1歩を踏み出したヤナギー。その仕事現場&マル秘プライベートに密着!

定年後は“キョウヨウ”と“キョウイク”が大事

「おはようございます!」

 朝7時半過ぎ、テレビ局に到着した柳澤。眠そうな気配は一切なく、

「前(『あさイチ』時代)は、もっと早かったですからね(笑)」

 と笑顔で答え、着いてひと息つく間もなくスタッフとの打ち合わせに取りかかる。

テレビ朝日『大下容子ワイド!スクランブル』(毎週〜金曜日 午前10時25分から ※一部地域を除く)に柳澤は水曜日、金曜日のコメンテーターとしてレギュラー出演中 撮影/山田智絵

 昨年の10月に民放デビュー。現在、『大下容子ワイド!スクランブル』にコメンテーターとして出演しているが、そのきっかけは、何だったのだろうか。

NHKを辞めたら何しようかなと考えていたときに、たまたま“10月から番組が新しくなるから出てみませんか”と、声をかけていただいたんです。実は当時、マスメディアの世界から退くことも考えていて。星が好きなので天文台の守衛さんもいいなとか(笑)。

 でも、定年を迎えた先輩にずっと言われていたんですよ。“キョウヨウ”と“キョウイク”、この2つを大事にしなさいって

 “教養”と“教育”?

「それが“今日の用”“今日行く”っていうダジャレで(笑)。何もしないのはよくない、週に何回かでも仕事をしたほうがいいと。それに家でゴロゴロしてると、カミさんにシッシッてやられちゃうので(笑)」

50代前半でがんを患って実感したこと

 そうして心新たに再出発し、早くも半年がたつ。

「毎日こういう森羅万象、いろんなことをテーマにした番組にかかわらせてもらうことは、すごく刺激になります。“ワイド”というだけあって扱うテーマがすごく幅広い。

 これまで“こんなこと”と思っていたことも、僕が興味を持っていなかっただけで、世の中の多くの人が興味を持っているんだなと。いかに自分で視野を狭めていたかを思い知らされました」

 これまで『ニュースウオッチ9』の初代キャスターや解説委員、かつては戦場記者としてカンボジア内戦や湾岸戦争など紛争地で命がけの取材もしてきた。そんな第一線で活躍してきた柳澤が見てきた世界こそが広いのではないかと問うと、

「いやいや、第一線なんてもんじゃないです。僕は50代前半でがんになって、しばらく治療に専念していたんですが、それが自分を客観視するきっかけになりました。

 確かにいろんなものを見てきたけど、それは世界のほんの一部にすぎないことに気づいたんです。そのことを勘違いしたらジャーナリストではないんだと骨身にしみて実感しました」

【36歳】カンボジア内戦の取材時の様子。「戦場ですから、毎回ひょっとしたら死ぬんじゃないかと思いながら現場に入りました」。奥様も「当時は“連絡がないことが無事な証拠と思え”とよく言われていましたね」

イノッチと有働さんとは初めて会ったときから気が合った

 そうした“知らない世界”を大いに知るようになったのが、闘病から職場復帰した後に携わった『あさイチ』だった。報道の世界から、まさかの情報番組へ──。“知らないことを知っていくのも面白んじゃないか”と引き受けたという。

「“これまでにない番組を作りたい”と声をかけてもらったんですけど、僕に声をかけてくるくらいだから、そりゃそうだなと(笑)。それで顔を合わせたのがアイドルと元気な女子アナ! 世代もバックグラウンドも全然違う3人ですよ。当時は“イノッチって誰?”状態で、家で『V6 イノッチ』って検索してたら娘に“お父さん、何調べてるの?”って(笑)。

 でも初めて会ったときから、なんか気が合ったんですよ。2人とも普通の人。どこかの家庭のひとコマみたいに、テレビを見てああでもない、こうでもないと言っているような。僕らは予定調和が苦手だったから、台本にはあまりこだわらず、決められたとおりにというよりは、出たとこ勝負。だから、ときに本気で怒ったり、笑ったり。3人ともそうだったから、きっと居心地がよかったのかなって

 そんな3人だったからこそ、辞めるときも一緒に、としか考えられなかったという。

「有働さんがNHKを辞めるのはけっこう前から知っていたんです。イノッチも僕も、3人で始まったんだから、有働さんが辞めるなら僕らも辞めるよねって。十分楽しくやらせてもらって、悔いもなかったから。最後は笑って、3人らしいラストになったと思います」

自宅にて。愛犬のパピヨン、マリンとこころにデレデレ。「僕が家族の中でいちばん下に思われてるみたいで、こころによく鼻をかじられます(笑)。でも、かけがえのない家族ですね」 撮影/山田智絵

 番組がきっかけで、こんな新たなつながりも。

「六角精児さんとは、舞台にお邪魔してから仲よくなって。なんかウマが合うんです。たまに六角さんの家にうかがって家飲みするんですよ」

 現在65歳。今はテレビ出演のほか、自身の著書も執筆中。さらに出身地ゆかりの『会津会』の会長を務め、空いた時間は趣味のアマチュア無線に没頭するなど、“24時間じゃ足りない”と公私ともに大忙しだ。

「ボヤボヤしてたら、“ボーっと生きてんじゃねーよ!”ってチコちゃんに叱られちゃいますから(笑)。病気はつらかったけど、あれがなかったら報道の世界にずっといたと思うし、今の自分はなかったのかな。刺激があること、今もそういう現場にいられることに感謝しています」