ご成婚直前、田園調布雙葉学園の同窓会で同級生と記念写真をお撮りに(’93年2月)

 5月1日に両陛下が即位され、4日の『令和』初となる一般参賀では14万人超が祝福した。天皇陛下と幼稚園から中等科まで同級生だった立花眞さん(59)は、当時の陛下との思い出をこう語る。

「小学校低学年のころ、たまに東宮御所に遊びに行っていた時期がありました。

 御所には水たまりのような浅い池があり、その池を飛び越えて遊んでいたこともありました。しかし、私が飛び越えられずに池の中に落ちて、洋服がびしょ濡れになってしまったことがあります。

 私が困っていると、陛下はご自分のお召し物を私の着替えとして用意してくださったのです。しかし、当時の私は普通の子どもよりも身体が大きかったので、結局は侍従の洋服をお借りしたことを覚えています」

 ほかにも、陛下の優しいお人柄が伝わってくるこんなエピソードも。

「小学校高学年のころ、捻挫して歩くことすらつらい時期がありました。

小学6年の修学旅行で福島県を訪問された陛下(’71年5月)

 校内の移動も難しいほどでしたが、陛下をはじめとした友人たちが、台車の上にイスを固定し、そこに私を座らせて、台車ごと移動させてくれたことがありました。

 陛下ご本人も一緒に押してくださいましたね。気遣いとはちがう“自然な優しさ”をお持ちなのだと思います」(立花さん)

 一方の雅子さまは、中学生時代にはソフトボールに情熱を捧げられていた。

中学校のソフトボール部では、雅子さまのポジションはサード、かつ重要な打順を任されていて、実力でチームを引っ張っておられました。ずば抜けて運動神経がよいお方だったことを覚えています。

 強肩でいらっしゃったので、サードからの送球がファーストミットにおさまる音がきれいに響くんです。率先して意見を言うタイプではなかったのですが、チームからとても信頼されていましたね。バッターボックスに立たれると“絶対に打ってくれる!”とか、打球がいくと必ずアウトにしてくれるといった安心感がありました」

 そう話すのは『田園調布雙葉学園』で、小学校から高校まで同級生だったAさん。中学では、雅子さまとともにソフトボール部を立ち上げた創立メンバーのひとりでもある。

「もともとは、高校のソフトボール同好会の練習に交ぜてもらっていましたが、中学でも部を作りたいということになり、学校側にかけ合って発足しました。当時、深夜帯で毎日放送されていた『プロ野球ニュース』という番組をご覧になってから就寝されていたほど、野球がお好きだったようです。本当にまじめな方で、自主練習も毎日されていました」(Aさん)

雅子さまが中学3年生のときにソフトボールの区大会で優勝(’78年)

 勉強もスポーツも優秀だった雅子さまは、学校でも一目置かれていた。高校1年生のときに、お父さまの転勤によってアメリカに転校されることになった雅子さまのために、クラスメートからはこんな心温まる“プレゼント”が。

「アメリカへ旅立たれる直前、学校内で合唱コンクールが開かれました。

 課題曲のほかに自由曲の枠があったため、雅子さまのために『TO FLY』というオリジナル曲をクラスメートで作詞作曲したのです。

 語学堪能で、とても優秀だったことから“世界に飛び立って活躍してほしい”という思いを込めた曲でしたが、みんなから慕われていたのも曲を作った理由だったと思いますね」(Aさん)

’79年ごろ、高校の合唱コンクールでの集合写真(雅子さまは左から2人目)

 両陛下がご結婚した後にも、雅子さまとの忘れられない思い出があるというAさん。

「中学3年生のときにソフトボール部が世田谷区大会で優勝したのですが、優勝カップにオレンジジュースを入れてチームメートで回し飲みをしたことが強く記憶に残っています。

 その後、雅子さまが大会に参加していらっしゃったことを知った世田谷区が、そのときの優勝カップを学校に寄贈してくださったのです。

 そして、愛子さまがお生まれになる少し前、ソフト部のOG会を学校で開いて雅子さまも参加されたのですが、当時の優勝カップと一緒に校庭で記念写真を撮影したことはいい思い出です」

陛下は予定の動線を外れ、お心遣いの一言を

 前出の同級生・立花さんはホテルの従業員時代、仕事柄、陛下にお会いする機会が何度かあったそうだが、あるときには“予想外の出来事”が起こったという。

「私は以前に『ホテルオークラ東京』に勤めていて、'95年のこと、ある国の国賓がいらっしゃって答礼の晩餐会が開かれました。その折、当時の両陛下や皇太子さまなど、皇室の方々も出席されました。

 お帰りの際、私たちホテルの従業員もお見送りしたのですが、現在の陛下が私と目が合うと予定されていた動線からはずれて、私のほうに近づいてこられたのです。警備の方々も状況が把握できずに少し動揺されたご様子でした。

 私の前まで来られた陛下は“お母さまが他界されたことをお聞きしました。遅くなりましたが、ご冥福をお祈りいたします”と、おっしゃったのです。その年の春、私の母親が他界していたことを、どこかで耳にされたのだと思います。

 数分単位でスケジュールが組まれているお方なのに、貴重な時間を割いておことばをかけてくださいました。一瞬の出来事ではありましたが、私の人生において、絶対に忘れることはないと思います」

陛下が学習院大学時代にゼミ旅行で行われた宴会でのひとコマ(’80年ごろ)

 一方、同学年だけで集う同窓会では、いつも朗らかなご様子だという雅子さま。

「昔の友人と再会することで、リラックスされるような場を作りたいという気持ちで2年に1回ほど開いています。

 そういったプライベートの場では、自分のお話をするというよりも、ほかの方のお話を聞かれています。いつも朗らかな雰囲気で、笑顔でいらっしゃることが多いです。

 両陛下はインターナショナルな方なので、今後はぜひ、世界に日本の素晴らしさをアピールしていただければと思います」(Aさん)