「死にたい」「消えたい」……。
 自傷行為を繰り返し、自殺サイトへ訪問。その心の闇の原因はなんなのか。若い女性が思い悩む闇と病み。自殺願望を抱きながら生き続ける彼女たちに、その根源にあるものと本音を聞いてみたーー
写真はイメージです

今でも死にたい、ゆみこの場合

「自分を傷つける行為をしているのは、中学2年生のときからです」

 佐野ゆみこ(35、仮名)は幼いころから、常に不安がある子どもだった。保育園では、保育士のエプロンをつかみ、後ろにくっついて離れなかったという経験を覚えている。今でも新しい環境にはなかなか慣れない。

 こうした不安症を抱えたまま小学校に入ると、いじめを受けてしまう。記憶しているのは小学校5年生のときのことだ。転校生が近所に引っ越してきたため、一緒に通学をするようになり、次第に誕生日のプレゼントを渡すほどの仲になった。しかし、あるとき突然、まったく興味のない少女漫画を買い取らされた。1冊300円。それを繰り返すなか、親に見つかってしまった。

「なぜかその子は私に対し平然と『気に入らないから、アナタを無視する』と言ってきたんです。これをきかっけに無視が始まり、疎遠になってしまいました。その出来事以降、初対面の人でも『本当はこう思っているんじゃないか』と、疑うようになったんです

 疑心暗鬼はそのときに始まったわけではない。実は、兄からの性的虐待も大きな理由のひとつだった。

「兄とは10歳近く離れていますが、私が4〜6歳のころ、身体を触ってきました。また、兄の陰部を手や口で触れと命令されてもいました。無修正のアダルトビデオを見つけ、誰もいないときに見てみたら、そこには私がされていたことと同じことが映っていました。

 また、父親が同じビデオを見ていたところを目撃してしまったことがあります。今考えればしょうがないのでしょうが、当時、その姿を見た私は、父のことが汚らわしいと思った。そして同時に、自分に対してもそう思っていました。男友達も私のことをそういう目で見ているのではないかと、今でも常に疑ってしまうのです

18歳で援助交際

 兄が母に手をあげる姿を見て、泣きながら止めた経験もある。兄と父が大きな声を出しながらケンカをすると、関係のないゆみこ自身がビクビクしていた。

 近所迷惑だと注意をしようと2人に近づいたとき、足が震えたのを覚えている。父はアルコール依存症で暴力的な振る舞いも多かったからだ。自傷行為が始まったのは、そんな状況の中だった。

「中学2年以前は、特に自傷はしていませんでしたが、常に漠然とした不安がありました。それが思春期になると、いろいろな面が見えてきたんです。人間関係の嫌な部分、学校でも家でも周りについていけない自分。そこから“消えたい”と思うようになってしまったんです」

 援助交際を始めたのは18歳のときだ。

 チャットで知り合った人と会い、車の助手席に乗ると、相手の男性がゆみこの足を触ってきた。性的な嫌悪感があったため、全身が震える。それを見た男性は手を止め、地元まで引き返してくれたという。

「その男性がいい人だったのか、それ以上、触ってくることはなく『帰ろう』と言ってくれました。別れ際に『いくら欲しい?』と聞かれて、『5万』と答えたら、『受け取って』と、1万円札を5枚、手渡されたんです」

 その後、うつ病を発症し、自殺を考える日々に突入する。自殺系の掲示板にアクセスしたこともあった。

(出会い系などで)いろんな人に出会っている自分も嫌になったんです。うつが悪化し、生きているのも嫌になった。掲示板を見ていると、集団自殺の誘いが多かったんですが、誰かと出会うのが嫌になっていたのでアクセスしたのはそのときだけ。そのあとは、自傷行為をしている人たちが集まる掲示板に出入りし、なぜか他人を励ますこともあり、自殺や自傷を止める側に回っていたこともあります。でも、自分は今でも死にたい……

自分から逃げたい、かなえの場合

 Twitterで「死にたい」や「自殺」を検索する秋元かなえ(21、仮名)は、友達に「私が死んだからうれしい?」と、よく聞くという。「うれしい」とは言われたことはないが、仮に言われたとしても悲しいとは感じないという。それだけ喜怒哀楽の感情が、彼女にはない。

 周囲に適応できないと感じはじめたのは、中学1年のときだ。

 ある日、突然、教室に入れなくなった。保健室に向かおうとしたところ、目の前で担任の先生と養護教諭が口論していた。担任は私に向かって「教室に入らないなら、学校に来なくていい」と怒鳴り、これを聞いたときに「消えたい」と思うようになった。

「ただ『消えたい』という思いは誰にも言っていません。このころから、自分の時間が止まってしまった感じで、感情が次第に消えていったんです。その後、ずっと『消えたい』と思っています」

 中学時代は教室には行かず、カウンセリングルームに通い続けた。そうすると、“出席扱い”になるためだ。図書室に行っていたこともあるが、とにかく人間と関わるのを頑(かたく)なに嫌がった。

「学校の教室に行けない私を見て、母親は『病院へ連れて行かないと』と思っていました。でも、本音は学校にも行ってもらいたい。学校までは道のりが遠く、自転車と電車を使って2時間近くかかるため、母親はさらに迷惑だと思っていたと思います。そういうことを考えるだけで、やはりここでも『消えたい』と私は思ってしまうのです

 こうした思いが募り、中学1年のときから壁に頭をぶつけるようになっていた。

「私の場合、手首を切るよりも、頭をぶつけていました。“記憶したくない”と思ったときに、そのような行動をしていました。気分が落ち込んだときも、“何かをしないといけない”、そういう衝動にかられたときも同じことをしていました。別に、『死にたい』を連呼してもよかったし、手首をカッターで切ってもよかった。けど私は、なぜか壁に頭をぶつけていました」

「消えたい」と「死にたい」を使い分け

 中学2年からはリストカットを繰り返すようになったが、多少、意味あいが違うようだ。

「リスカは『消えたい』という思いではなく、ただ単に、切りたいときに切っている感じ。途中からは、心に刻みたいことがあったときに切っていたと思います」

 リストカットをする場合、手首の傷は「横」にする人が多く見られるが、かなえは「縦」だった。それは、最初に切ったときが「縦」だったからだ。ひとつの線を3日かけて切ったときもあった。

「フツーに過ごすことができれば、『昔、ヤッちゃったんです』と言えるけれど、今は、周りに本気で疑われるほど切っています」

 手首の傷は、誰かに向けてのSOSのメッセージではないかという見方もあるが、かなえの場合は違う。

「他人へのメッセージではありません。ただ、誰かに(私の存在を)覚えていてほしいだけ」

 こうした行動を心配して、母親はかなえを精神科に連れて行った。初診で発達障害と診断されたというが、特に説明はされなかったという。

「母は、(診断基準を見ながら)誰でもひとつは当てはまるから、そんな要素は誰もがある、とか、障害者だと思わなくていい、こういう人はどこにでもいる」と言っていました。きっと母としては『ダメな部分を障害のせいにするな』『言い訳をするな』と言いたかったんでしょう」

 15歳のときから自殺サイトにアクセスをし、いまだに「消えたい」「死にたい」と、両方の思いを抱いているという。それぞれの思いには、別の意味が込められており、その呪縛にかなえは今もなお、苦しんでいる。

「自分にとって『消えたい』は自分が存在したことがない状態になること、『死にたい』は、自分が存在していたことを他人に覚えてほしいときの感情です。具体的に考えたことはないけど、毎日、死にたいと思っています。処方薬を1か月分、全部を飲んでも死ねないことはわかっています。でも、現実から逃げたい。自分から逃げたい……」

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 彼女たちだけでなく、取材をしていると「死にたい」や「消えたい」との言葉をよく聞く。同じ言葉でも、その感覚は人によって違い、みなが同じように苦しんでいる。たとえ、精神科医やカウンセラーといった専門家が相手でも、“聞いてもらえた実感”を得られたという話は多くはない。

 ただ一方で、実感が得られれば、話をしたい相手は探しやすくなる。聞く耳を持っている人は必ずいます。「死」が頭をよぎったときは、電話相談やSNS相談でもいいので誰かに声をかけてみてください。それでも……というときには、取材という形でもよければ連絡をください(twitterID:@shibutetu)。


渋井哲也(しぶい・てつや)◎ジャーナリスト。長野日報を経てフリー。東日本大震災以後、被災地で継続して取材を重ねている。『命を救えなかった―釜石・鵜住居防災センターの悲劇』(第三書館)ほか著書多数。