純名里沙

「朝ドラに出て、人生が大きく変わりました」

 と、振り返る純名里沙。朝ドラ第51作『ぴあの』('94年)の出演者オーディションに応募した852人の中からヒロインに抜擢されたとき、宝塚歌劇団の生徒だった。

「主題歌を歌ってみたい」とお願いした

「宝塚に入って3年目、劇団の方から朝ドラのオーディションを受けてみませんか? と声をかけていただき、これは面白そう! と思って。

 カメラテストでは、何か特技をやってみてと言われ、ミュージカル『ウエストサイド物語』より『トゥナイト』をアカペラで熱唱しました(笑)。ポップスを歌う方が多いでしょうから、私は珍しかったのかも(笑)

 宝塚の現役生徒が朝ドラヒロインを演じたのは朝ドラ史上、純名ひとりだけ。ヒロインが主題歌を歌うことも朝ドラでは画期的だった。すでに宝塚で歌唱力に定評があった純名だからこそだ。

「劇中歌のレッスンのときだったか……記憶は定かではありませんが、劇伴を手がけていらした久石譲さんに主題歌を歌ってみたいとお願いしてみたんですよ。大それたことを言ってしまった気もしますが、思いきって手を挙げてよかったと今では思っています。

 それがきっかけで久石譲さんのプロデュースでアルバムを出させていただき、『プロポーズ』という曲がシングルカットされました。いまだに結婚式でよく歌っていただいていると聞いてうれしいです」

 純名が演じたヒロイン・ぴあのは童話作家を目指す設定で、終盤、子どもミュージカルを上演することになる。

「お話をつくるだけでなく自分まで出ちゃっていましたよね(笑)。役を当て書きしていただいた部分もあったと思います。どの場面でも素直に自分の感情を出せる役でした」

あらゆることが初体験だった『ぴあの』の収録現場。いまでも出演者やスタッフたちとは連絡をとり合う“家族”のような関係だという

 みんなに育まれながら夢に向かって自分を“ぴーかぴか”に輝かせていくぴあのと、俳優として成長していく純名とが重なっていくような半年だったという。

「撮影の間、私は“ぴあの”以外の何者でもなかったです。監督からは常にぴあのと呼ばれていましたし、私は、父役の宇津井健さんを“お父ちゃん”、姉役の竹下景子さん、萬田久子さん、国生さゆりさんのことは“お姉ちゃん”と呼んでいました。みなさん、とても可愛がってくださって、いろいろなことを教えてくださいました」

周囲からの絶対的な愛が励みに

 舞台の経験しかなかった彼女は、映像用の演技やメイクの仕方、また美容健康情報まで多くを教わり、毎日が発見の日々だった。

「撮影が進むなかで“きれいになったね”と励ましてくださるとやる気になったものです。萬田さんから“スタッフ、キャスト、全員が全員を愛してくれる現場はここ(朝ドラ)しかないのよ”と、ありがたい教えをくださったのですが、本当にそうでした(笑)

“働き方改革”など存在しない時代。朝から深夜(26時過ぎ!)まで撮影が続き当時の朝ドラガイド本には「睡眠時間は4〜5時間ほど」と純名は発言している。

でも、ずっと元気でした。どんなときでも愛してもらっているという絶対的な安心感の中で演じられましたから。NHK大阪のそばでひとり暮らしをしながら撮影に臨んでいて、ミナミの街を歩くと、みんな気さくに“ぴあのちゃん”と声をかけてくださり、それも励みになりました。

 ドラマが終わり宝塚に復帰したとき、これまで宝塚を見たことのない方々が見に来てくださったこともうれしかったです。宝塚の客席に男性が増えたんですよ(笑)」

 朝ドラが終わり宝塚に復帰、その1年半後には退団し、芝居や歌など活動の幅を広げていった。

「人生で何か新しいことを始めるたび、『ぴあの』を思い出します」

 前を向いて生きるときのきらめく気持ちは月日を経ても変わらない。

「いつかお母さん役か何かで、朝ドラにもう1度出てみたいです。オファー、お待ちしています(笑)」


《PROFILE》
純名里沙 ◎じゅんな りさ。元宝塚歌劇団花組トップ娘役。現役生徒で『ぴあの』のヒロインを演じ、退団後は舞台やドラマ、映画で活躍。最近は音楽活動を中心に活動

《INFORMATION》
2019年5月26日に東京・渋谷の『JZ Brat SOUND OF TOKYO』でスペシャルライブを開催。詳細は電話:03-5728-0168へ