阿川佐和子さん

 小説、エッセイ、トーク番組と縦横無尽にご活躍の阿川佐和子さん。4年前に小説家の父・阿川弘之さんを看取り、いまは認知症の母親の介護を続けています。そんな阿川さんが実体験から会得した、介護の秘訣を伝授します!

認知症の母親の介護体験を小説に

――阿川さんが昨年上梓(じょうし)された、小説『ことことこーこ』(角川書店)では、認知症になった母「琴子」と娘「香子」の心情が描かれています。阿川さんも現在、認知症のお母様を介護されているとのことですが、実際に起こったことを書かれているのですか。    

 小説のために作った話も多いですが、実話もあります。父親が家族に「母さんはボケた、ボケた、ボケた!」と連呼したのは、本当にあったことです。

 それから、母親が、備忘録のメモを山のように積み上げていて、そのメモに、「なんでこんなに忘れるのでしょう」「バカ、バカ、バカ」と書いてあるのを見つけたという話も、私が経験したことです。

 私はそのメモを見て、「ああ、ある日突然、認知症になるわけじゃないんだ」「その過程で、こんな焦りを感じていたんだ」と気づいたんです。たぶん、本人はそのころがいちばん不安で、やり場のないイライラがあったのではないかと。実際、母が怒りっぽくなった時期もありましたから。

 弟夫婦が少々悪役的な役まわりなのは作り話です。弟には事前に、「これこれこんなふうに書くけど、お宅のことじゃないからね」と念を押しておきました(笑)。

認知症の母の気持ちを書いてみたかった

――小説『ことことこーこ』では、主に娘の視点で物語が進んでいきますが、徘徊(はいかい)のシーンなどは、認知症である母親の目線で書かれていました。

 あるテレビ番組で認知症に詳しい先生にお聞きしたのですが、認知症の徘徊も、本人には、買い物とか仕事とか立派な目的があると。でも、その途中でわからなくなってしまうんですね。

 そんな話や、母の「バカ、バカ、バカ」というメモや、それを書いた母の気持ちを考えたときに、認知症になった側の心の動きを書けないかと思ったことが、この小説を書く大きなきっかけでした。

 例えば、よくある会話ですが、人に「最近、なんでも忘れちゃうのよ」と言われると、「そんなの私も同じよ!」と流したりしがちですよね。でも、本当に深刻な場合もある。そうやって、もの忘れが進んできて、自分が壊れていくと感じるって、どんな気持ちなのか、それを表現できないかと。

 また、何か「明るい介護小説」を書けないか、と考えたことも動機のひとつです。認知症や介護をテーマにした小説や映画、ドラマなど、その多くは悲壮感に満ちていて、見ていてつらくなってしまって。

 まあ、私の母のどこか明るい認知症は、すべての人に共通することではないし、介護の環境も恵まれているとは思います。でも、悲しい、つらいばかりではなく、思わず「クスッ」と笑えるような一面も、介護にはあると感じていたんです。

母の的外れな言動も、どこかユーモラス

――いざ介護が必要になったときに、慌てないためには、どのような心構え・準備をしておいたらよいのでしょうか。

 久々に実家に帰ったときなど、親を見て、「あ、老けたな」と感じることがありますよね。そんなときは、まだ親が元気でも、「将来、親のトイレを介助するなんてできるかしら?」と想像しては、「ムリムリ!」って不安に思っていました。

 でも、先に先に考えすぎると、ムダに不安が大きくなってしまう気がします。それに、覚悟していたつもりでも、いざとなると家族はパニックになるんですよ。そして結局、やるしかない。「誰がやるの?」「え? 私?」「そうよね、私よね」って(笑) 目の前のことから、なんとかクリアしていくしかないんです。

『ことことこーこ』を書くにあたっては、「ユマニチュード」というフランスの介護法を勉強してみました。『ガッテン!』(NHK)でも紹介していましたね。相手と目線の高さを合わせて、近い距離で話すとよいとか。

 実際に母の目をのぞきこんで、「おはよ」と言ってみたら、母も「おはよ」と、まねをして私の顔をのぞきこむから、にらめっこになっちゃって(笑)。ちょっと、子どもみたいになるの。

 いつぞやも母がオクラの名前を思い出せなくて、「なんでも忘れちゃうねぇ」と言ったら、「覚えてることもあるもん!」と。「何を覚えてるの?」と意地悪したら、「うーん、何を覚えてるか忘れた!」って(笑)。

 それから、入院中の父を、母と見舞ったときに、父が母に「おまえの作ったちらし寿司が食いたい」と言いだしたことがあるんです。そうしたら母ったら「ああ、ちらし寿司。駅前のスーパーに売っていますよ」って。(笑) あの阿川家の絶対的権力者だった父に対する、見事な仕返しぶりに大笑いしました。

 こんな母の的外れな言動も、見方を変えると、ユーモアがあるんですよね。「ちょっと聞いてよ」と友人に話すとみな笑うし。「そうか、笑い話なんだ」と思うと気が楽になります。

たまに“ズル”をしたほうが優しくなれる

――介護と仕事のやりくりや、認知症の症状への対応に悩んでいる方も多いかと思います。心が折れずに介護を続ける秘訣はありますか。

 介護は子育てと違って、未来は衰えが進むばかり。認知症の治療も進行予防でしかありません。日々、理不尽なことも起こります。うちではないけれど、いちばん尽くしに尽くした嫁が嫌われて、たまにしか帰ってこない娘にあれこれ言われるとかね。仕事との時間のやりくりもたいへんです。

 でも以前、私が友人からの食事の誘いを介護を理由に断ったら、「介護は長丁場。吐いたほうが楽になるわよ!」と言われました。ふつうの主婦は実の親、舅(しゅうと)、姑(しゅうとめ)と次々とくるから、心身がもたないって。私も切羽詰まると「キーッ」って怒りっぽくなりますからね。(笑) 

 なので、母の頼みを「仕事だから」と断って、ゴルフに出かけたりもします。そんなふうに、たまに“ズル”しても息抜きの時間を作ることは大事ですね。そして、少々うしろめたい気持ちになるくらいのほうが、母に優しくなれるんです。

 私も仕事をやめて介護に専念しようかと、ちらっと思ったこともありました。先日聞いた話では、お舅さんを介護中の女性が、週1回のお花のお稽古が唯一の楽しみなのだけど、「介護中にそんな余裕があるのか」と言われそうで、やめようかと悩んでいるとのことでした。でも、そこで、自分の時間を作ることをやめてしまったら、介護を続けるエネルギーも失いかねないと思うのです。

“起きる理由”のあることが、年をとったら大切になる

――阿川さんご自身が介護される立場になったら? と考えることはありますか。

 どうなりますかね。高齢者医療が専門の大塚宣夫先生と共著で『看る力』(文春新書)という本を出したのですが、大塚先生は、自分が75歳になって初めて高齢者の気持ちがわかったとおっしゃっていました。健康のことを考えると、規則正しく食べて寝起きして、入浴して清潔にしてというけど、年をとると、それがすごくめんどくさいことが、わかったんですって。

 うちの母もね、私が朝、起こそうとすると、「なぜ起きなきゃいけないの?」って言うんです。そう、起きる理由が見つからないんですよ。年をとっても、なるべくぎりぎりまで起きる理由があることは大切だと思う。なので、うちの場合は、母が好きな庭いじりができる環境を、可能な限り残そうと考えました。

 以前、中尾ミエさんにお話を聞いてなるほどと思ったのは、今の80代って時代の先端を走った世代だと。ロックを取り入れ、ジーパンをはき始め、広告をカルチャーにした人たち。なのに、施設で童謡とか民謡を歌わせられるのはおかしいって。

 要は「いかに楽しく過ごすか」でしょうか。大塚先生によると、「いつ死んでもいい」という高齢者に、「では明日でもいいんですか?」と聞くと、「いや、やっぱり、あと3年は生きたい」と答える人が多いんですって(笑)。「孫が幼稚園に入るまでは」とかね。そんなふうに、ささやかでも日々楽しみに思えることが見つけられれば、幸せなことだと思うんです。


《profile》あがわ・さわこ/作家・エッセイスト。1953年、作家・阿川弘之氏の長女として誕生。週刊誌やテレビ番組のインタビュアーとしても活躍し、『聞く力』がベストセラーに。近著に、高齢者医療の専門家である大塚宣夫医師との共著『看る力 アガワ流介護入門』、認知症の母と娘を描いた小説『ことことこーこ』など。

出典/『充実時間』(http://www.jyujitsu.jp/)★「老後不安」を減らして、楽しく暮らすヒントがいっぱい。※阿川さんのインタビューはこちらでも読めます。