「ハーフ」としてひとくくりにされがちな彼女たちだが、そのルーツは多種多様

 日本で暮らす外国人が増えるにつれ、定住し、家族を持つ人たちの姿も身近になった。日本と海外にルーツを持つ「ハーフ」の子どもたちも珍しくない。

 あなたは「ハーフ」という言葉を聞いて、誰を思い浮かべるだろうか。

 テニスの大坂なおみ、陸上のサニブラウンやケンブリッジ飛鳥、野球のダルビッシュ有など海外にもルーツを持つ多くの「ハーフ」選手が活躍している。芸能界でも「ハーフ」のタレントに注目が集まる。ローラ、池田エライザ、ホラン千秋、滝川クリステルなど、彼女たちをテレビで見ない日はないと言っていいほどだ。

 一方で、2015年のミス・ユニバース日本代表である宮本エリアナをめぐっては、「本物の日本人ではない」などというバッシングが相次いだことも記憶に新しい。

 一体「ハーフ」とはどんな存在なのか。そして、「本物の日本人」とは何なのか。

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「大坂なおみさんが“抹茶アイスが好き”と言ったら、すごく日本人っぽいと言われるようになった。また“朝はおにぎりを食べてきた”と言えば日本的な嗜好が注目され、好感度が上がりました」

 こう語るのは、父親がドイツ人、母親が日本人のコラムニスト、サンドラ・ヘフェリンさん(43)だ。

「私たち“ハーフ”って、ルーツが日本にあるのに、常に周りから“あの人たちはどこまで日本人なんだろう?”と試されるんです。だから“日本の食べ物は好きですか?”というような質問を受ける。

 これが普通の日本人なら、イタリア料理が好きと言っても何の問題もないのに、大坂さんや私のような見た目の人が好きなのはホットドッグと言ったら“あ、やっぱりあの人はガイジンね”となっちゃう。つまり、私たちが何を発信するかによって“日本人なのか、そうではないのか”と判断される。人と関わるうえで結構、緊張感があるんです

 サンドラさんはドイツで育ち、22歳のときに来日。

「子どものころから漠然と“いつか母の母国の日本に住んでみたい”と思っていました。夢が叶った、という感じですね」

 以来、在住約20年になるのだが、その顔立ちのせいで不愉快な思いをすることも少なくないと言う。

「まだ若いころ、役所に印鑑証明を取りに行って窓口に並んでいたら、係の人に“外国人登録書の窓口はあちらですよ”と言われました。“印鑑証明なんです”と並んでいたんですが、書類を見た窓口の人が“あれ? 日本に帰化された方ですか?”と聞いてくる。若かったから頭にきて大声で“いいえ。もともと日本人です!!”と言ってしまいました。今思えばそんなにムキになることでもないんですけどね(笑)」

日本語で話しかけても英語で返ってくる

 サンドラさんの著書に『ハーフが美人なんて妄想ですから!!』がある。副題は「困った『純ジャパ』との闘いの日々」。

サンドラさんは「ハーフといじめ問題」など多文化共生をテーマに執筆

 ここでいう「純ジャパ」とは、「ハーフでない日本人」。彼ら彼女らは「ハーフ」と聞いた途端、「モデルみたいにきれい」「日本語も英語も話せるバイリンガル」「海外と日本を行ったり来たりするお金持ち」などの勝手な思い込みでズケズケと質問してくる人々である。

「初対面なのに両親のなれそめを聞かれるのはもう慣れました(笑)。また、こっちが日本語で話しかけても英語で返ってくるなんてしょっちゅう。駅で駅員さんに『本屋さんのある出口は何番ですか?』と聞いたら『ブックストア? あー。ストレート・ゴー!』なんて言われたり。きっとガイジン顔を見ると条件反射で英語になるのでしょう」

 サンドラさんの母国語は日本語とドイツ語で、実は英語はそれほど得意ではないという。

「英語がペラペラだと思われがちですね。勉強会などでも英語の資料を渡されますが毎回、日本語版をもらいにいってます(笑)」

 サンドラさんの友人で、日本とアメリカの「ハーフ」で通訳・翻訳の仕事をしている女性は、日本育ちなのに、いつまでたっても「日本語、お上手ですね」と言われることに悩んでいた。

 あるとき、先日亡くなった日本文学研究の世界的権威ドナルド・キーンさんに相談する機会があった。キーンさんから「大丈夫、大丈夫。私も日本文学の講義をしたあとに、聴講者に“ところで日本語は読めますか?”と聞かれるんだから」と言われて楽になったという。「日本語お上手ですね」のような「ハーフあるある」の根は深く、相当に困ったものなのだ。

根深く残る「憧れと偏見」のイメージ

 日本には現在、どれぐらい「ハーフ」の人々がいるのだろうか。

「“ハーフ”の正確な人口統計はありません。唯一、出生時における親の国籍数の統計をもとに、日本国籍と外国籍の組み合わせで生まれた子どもの年間数がわかっています。それによると、新生児の50人に1人で、年間約2万人ずつ増えていることになります」

 そう語るのは、「ハーフ」や「混血」の研究を続けている社会学者の下地ローレンス吉孝さん(32)。

「社会で作られたイメージではなく実像の発信が重要」と下地さん

「ハーフ」の歴史は戦後すぐにまで遡る。下地さんが続ける。

「そのころ、“混血児”と呼ばれた子どもたちは、ほとんどすべてが米兵と日本女性との間に生まれた子どもを指し、差別と偏見の対象になりました。私の母は、朝鮮戦争で沖縄にやってきた米兵の祖父と沖縄の祖母のもとに生まれました。だから私は“クオーター”になるわけですね」

 しかし、当時の文部省は“混血児は日本人だから無差別平等に対処する”との方針で、“問題ない”とする姿勢を崩さなかった。そのため具体的な支援策もなく、差別やいじめは温存され、「混血児」の存在自体も見えにくくなったのだ。

 こうした歴史を踏まえて「混血児」の言葉が使われることはなくなった。では、いつから「ハーフ」という言葉が日常化したのか。

「1970年代にドリフターズの番組に出演して人気を博した『ゴールデン・ハーフ』というアイドルグループの登場が大きい。アメリカの『アイ・ラブ・ルーシー』や『奥さまは魔女』などのドラマが人気となって、アメリカ文化への憧れがあったところに、彼女たちのセクシーさや日本語のたどたどしさが強調され注目を集めました」

 その後、'90年代になると、出入国管理法の改正により、南米在住の日系人などが数多く来日、またフィリピンなど東南アジアからの移住者も増え、日本人との結婚が相次いだ。

「そうして生まれた“ハーフ”の子どもたちがいまでは成人しています。私のように“ハーフの親から生まれた子ども”も着実に増えている。“ハーフ”をめぐる問題は最近、突如として湧き上がってきた新しいテーマのように思われますが、そうではない。存在が日本社会に組み込まれてこなかったために、いつも“最近のテーマ”であり、“今後の問題”にされてしまうのです

些細なことでも誰かを傷つける恐れがある

 日本人や日本社会を単一民族のイメージとして描く発想はいまだに強い。

私はこれまでに多くの“ハーフ”と呼ばれる人々のインタビューを重ねてきました。その中で多く聞かれるのは、やはり見た目との不一致という経験ですね。外見から外国人とみなされてしまった場合、日本生まれ日本育ち、日本語で話していても、国籍を確認されたり、在留カードの提示を求められたりします。

 かたや、アジアをルーツに持つ人たちは見た目から海外ルーツとは思われないために、人間関係のなかでカミングアウトを迫られるという問題も起こります」

 “ハーフ”をカッコいいものとして羨望する一方で、「日本人らしくない」との理由から偏見のまなざしを向ける。このような相反するイメージに、“ハーフ”の人々は常にさらされてきた。

 下地さんは『ハーフ・トーク』というサイトを運営している。“ハーフ”をはじめ海外ルーツの人に向けた情報を発信しているのだが、そこで最近、注目を集めた記事がある。

「ある女性誌の“ハーフ顔美女”というメイク企画に対し、2人の“ハーフ”の女性が抗議したものです」

 彼女たちは「“ハーフ顔”の言葉は、外見に対するステレオタイプを強化し、理想の“ハーフ顔”を作り上げることで、それに当てはまらない人々を傷つけ、コンプレックスを生み出している」と主張したのだ。

「結果、その女性誌の編集部は真摯に素早い行動で対処し、謝罪してくれたようです。些細に思えるようなことでも、とんでもなく誰かを傷つけるおそれがある。偏ったイメージは直すべきではないでしょうか。

 すでに私たちは多様な背景を持つ人たちと隣り合わせに暮らしています。多様な日本人がいて、多様な日本社会であることに、いまこそ気づくときなのだと思います

(取材・文/小泉カツミ) 


《PROFILE》
小泉 カツミ ◎ノンフィクションライター。医療、芸能、社会問題など幅広い分野を手がけ、著名人へのインタビューにも定評がある。『産めない母と産みの母~代理母出産という選択』『崑ちゃん』ほか著書多数